使い魔13 移動する影
バイト帰り、駅からの道をレイは一人歩く。
駅前の商店街をぬけて、住宅街にはいり、道がいくぶん細くなる。
夕方の薄暗さの中でも、その影を見間違いようはなかった。
あれは、あの異様に細長い影は零だ。
大きくなってる、ということは今日はカラダの調子がいいのだろうか。
なら機嫌もいいかもしれない、と声をかけることにする。
「零さーん!」
黒い影は、まるで声に吹き消されたように、見えなくなった。
「え?」
一瞬驚くが、そういえば何度か聞いていた。
”俺は、人間じゃない。”
消えたりできても、当たり前なのかもしれない。
納得はできたが、でも、何も声をかけた途端消えなくてもいいじゃないか、と、不満も感じる。
これは、家についたらさっそく抗議だ。
「は?」
家に居たのは小さなままの零で、レイの問いに眉根を寄せて不可解そうな声を出す。
「今日はとっくに買い物もすませて家に戻ってた。そんなところで、しかも必要もないのに大きくなってうろうろしてるわけがない。見間違いだろう?」
「確かに見ました!一瞬とかじゃなく、しっかり見たんです。消えちゃったけど。」
零は、少しだけ考えて言った。
「・・・、じゃ俺以外のなんかだ。たぶんよくないもの。」
元の自分の姿が、異様であることは零もよくわかっていた。
それは、見た目で人を怯えさせる目的もあるが、人に害をなす零の本質も現している。
彼らのような魔物は、本質と見た目が互いに影響を及ぼしやすい。
見た目が怖ければ、中身も怖いことが多いのだ。
ただ、姿を自在に変えるから、擬態もあれば望む姿に変身していることもあるが。
とりあえず、見た目が零に似ているなら十中八九悪魔的なものだろうから、もし本当に居るなら危険だ。
「それって、怖い零さんってことですかぁ?」
情けない顔でレイが言う。
彼女の言う怖い零とは、目の前で首を裂いて見せ、彼女を脅かしたときの零のことである。
あれは、脅かしただけだが、主従関係も何もない魔が人と接触した時どうなるか。
たいていの場合、人は、死に追いやられる。
「・・・もっとだな。」
レイの不安を解することなく、平然と彼は答えた。
「やだやだやだっ!」
零の服をつかんで怯えるレイからは、零に力と、えもいわれぬ快感とを与えてくれる恐怖の感情があふれだしていた。
思わずにやりとすると、さらにそれをあおって絞りとってやろうとした零だが、主に危害を加えればどうなるかを、すんでのところで思い出し踏みとどまった。
とりあえず今は、少しだけとはいえ発せられた恐怖を大事に味わう。
快感に身を任せる様子は、あまり表情にあらわれないものの、目つきだけは陶然としている零に、恐怖をぬぐいさりきれないままで、けれどレイは見とれる。
零の妖しい魅力にレイの恐怖が薄れ、おちつくと、零のほうも現実へ帰ってくる。
「はなせ。」
レイは零の服をずっとつかんだままだった。
「あ、ごめんなさい、それであの、もしあれまた見ちゃったら、どうしよう・・・。」
毎日通る道なのだ、帰り道でまた会ってしまったらたまらない。
おむかえとか、来てくれないかな、などと期待もするが、そんなに零が甘くないことくらい彼女は百も承知だった。
この調子では、オネガイしてもダメであろうことも。
「無視しろよ。見えてないふりすればいい。そもそも声かけられて消えるくらいだから多分襲ってはこない。」
零の答えは、やはり甘くはない、が一応対処法は教えてくれた。
主に問われて答えただけで、使い魔としては当たり前ではあるが。
「はい、ありがとうございます、気をつけますね!」
微笑む彼女に、さらに零はそっけない言葉をあびせる。
「無視するくらい、気をつけなくてもできるだろ。」
ミもフタもないような言い方に、うぅ、と彼女が小さくうなると零はバカにしたように鼻先でフフン、と笑った。
「今日もみちゃいました・・・昨日の場所の近くで。」
ウンザリした顔でうなだれるレイ。
「無視だ、無視。もう少し力が戻れば俺が喰うんだがな。」
惜しそうに零が言い、サラリと出てきた”喰う”という言葉にレイは引いた。
レイの表情の変化に気付き、零は問うた。
「なんだよ?俺は、悪魔だ。おまえら人間とか、ユウレイとか天使とか、そんなものを数え切れないくらい喰って生きてきてるんだぞ。怖いなら俺を手放せよ。」
零の表情からは、何の感情も読み取れない。
平然と別れを口にしているように見えた。
しかし零の冷たさに、ある程度慣れてきていたレイは、負けずに言い返す。
「ちょっとびっくりしただけですっ!悪いユウレイとかはいいけど、人はダメですよ、零さん!」
これはヤバい、と零は思った。
主の言葉に、わかった、と言ってしまいそうになる使い魔としての性質を、悪魔の本能が必死でおさえる。
少々おどかすために人も食うことをバラしたものの、裏目に出てしまったようだ。
人を食うのを禁止されては、悪魔が生きていくうえで非常に大きなマイナスとなる。
この主従関係がいつまで続くかわからない以上、そんな条件を呑むわけにはいかなかった。
使い魔の生活も、もう長くなってきて、すぐに返事をしてしまうキケンさがイヤというほど零にはわかっていた。
だから、
「取り消せ。」
彼は食い下がった。
交渉に入る余裕ができたのは、大きな進歩である。
「ダメですっ」
まっすぐ零をみつめるレイ。
表情に出さず、けれど悩む零。
なにかレイをごまかせるいいわけはないか・・・理由、理由。
わかった、といってしまえば楽になる。
って言えるかっ!楽にもならん。
使い魔としての思考が、本来の零の思考の間をノイズのように走る。
理由だ、人を食わなきゃならん理由を考えろ俺!
わかったと言え、わかったと、わかった、わかったわかった・・・
黙れ!俺は言い訳を考えなきゃならんのだ!
時間がたつにつれ、零の使い魔の部分が、本来の零の思考をさらに強く邪魔してくる。
どうやら命令の際に名前を呼ばれると、命令の拘束力が強まるらしく、”使い魔”零と”悪魔”零の戦いは、激しくも苦しいものとなった。
数十秒のせめぎあいの末、零は無事に光明を見出すことができた。
「レイ、考えても見ろ。ユウレイは元は人間じゃないか。」
「え」
わかったといえー。
いえるかー。
「人間もだめならユウレイもだめだろ。お前が襲われても助けてやれないが、いいか?」
わかった!わかった!わかった、だ!
だめだだめだ絶対だめだ!
「え?え?そうなんですか?」
言われてみるとそんな気がしてしまうレイは、とても素直な性格だった。
「そうにきまってるだろう、助けてほしいよな?レイ」
わかったというんだ!
いえないというんだ!
「あ、ハイ!」
こくこくと高速でうなずく。
「じゃ、取り消そうな、さっきの。」
零はやさしげに笑って見せた。
「ハイ取り消します!・・・から、助けてくださいね?」
零の頭の中にうるさく響く、もう一人の零の声が消えた。
途端、零は無表情に戻った。
「ん、まあ、今は無理だけどな。」
今は、と条件をつけて返事をぼかしたせいか、これは逆らったことにはならないようだった。
とはいえ、力が戻ったら彼女を護衛する、と約束したようなものではあるが、それは仕方ない。
人を食うのを禁止されるよりずっといいだろう。
「えええええええー!」
眉尻を下げて、レイがおおげさに不満の声をあげた。
(続)