続き
外が暗くなってきて、ユゥちゃんはもう帰らなきゃ、と言い出した。
玄関まで零と、レイも出てくる。
「ばいばい、ユゥ。」
と、なゆた。
「うん、なゆ、・・・またあしたね!」
ユゥちゃんが少し寂しそうにするので、レイは、一人で帰しちゃカワイソウかな、などと考える。
「なゆくん、送ってあげたら?」
その言葉に零が、レイを見上げて紅い唇の端を吊り上げ、音もなく笑う。
本当にそう思ってる?
とでも言うように。
それから、その様子を見守っていたユゥちゃんのほうへ。
「じゃ、行こうか。」
送ってもらえるとわかると、ユゥちゃんは嬉しそうに笑った。
「うん!」
さりげなく手をつなぐ二人を見送りながら、今日一日さんざん仲のよさそうな場面をみせつけられたレイは休日にもかかわらず、疲れとストレスをかみしめていた。
はりついた愛想笑いを落とし、ゲッソリとしているレイの前で、閉まったはずのドアがバタンと急に開く。
そこから、零の白い小さな顔がのぞいた。
「スゲー顔。」
それだけ言うと、すぐにドアを閉めて今度こそ行ってしまった。
「くぅ・・・」
誰のせいだと思っているのだ。
恥ずかしいのとくやしいのとで、レイのノドから子犬のなくような声が漏れた。
夜も更けて、電気を消したレイの部屋。
ベッドには零とレイが並ぶ。
今日は怖いDVDを見ていないので、一緒に寝る必要もないけれど、床よりはベッドのほうが零も気に入っているようで、あまりくっつかないように並んで寝る。
くっつきたくないのは、もちろん零側の希望。
「・・・零さん。」
ユゥちゃんが帰ってからも、口数の少なかったレイが話しかけてくる。
「ん?」
そのユゥちゃんのことだろうな、と見当はつく。
「ユゥちゃんて、零さん、なゆくんのこと好きですよ、たぶん。」
「ん」
そんなことは、出会ったときから知っている。
「どう、するんですか?」
「どうって?」
ほしい答えは決まっているくせに、なぜそんなことを聞くのか。
人間の多くは偽善者。
ものわかりのいいふりをしたいだけ、いい人を演じているだけ。
レイには、そういうところがほとんどないと感じていた零だが、やっぱりコイツも同じか、とひそかに笑う。
それならこれからいくらでも、悪魔の主人にふさわしく導いてやれる。
偽善者と悪人は、同じ生き物だ。
そんな零の考えなど知らないレイは、言葉を続ける。
「ちっちゃくても、オンナノコなんですよ。子供だって恋するんですよ?」
説教でもする気だろうか、と零は聞く前からウンザリした。
「で?」
「零さん、あたしとユゥちゃん見て面白がってたでしょ」
零は笑うのを隠さなかったから、レイが気付いても不思議はない。
「どうかなー。」
わざとらしく答える。
「胸の奥が、チクチク痛いんです、苦しいんです。こんな気持ち、零さんにはわかってもらえないかもしれないけど、こんな痛みを、あんな小さい子に与える気ですか?」
むこうが好きになってきただけなのに、なぜ自分を責めるのだ、と零はレイの言葉を理不尽に思う。
だいたい、ガキの好き嫌いなんて単純なものだ。
物事を自分の価値観でしか判断できないのか、バカ女。
「勝手にあっちが寄ってくるだけで、俺には関係ないんだケド。」
「でも、もてあそんでますよね?・・・零さんが好かれることは仕方ないけど、そういう零さんでもキライになれないあたしが苦しいのは仕方ないけど、あんな小さいコには、辛すぎる。」
キライになれない、ね。
なんだかその響きが気になる。
レイは契約で一緒にいるだけの、ただの人間の小娘だが、その小娘の心が自分に支配されていないのはシャクにさわる、と零は感じた。
レイの感情など、どうせ少し機嫌をとればカンタンに取り戻せるものでしかないが、生意気だ。
気に入らない。
レイ自身にみずからの偽善をつきつけてやろう。
そうすればちょっとしたおしおきにはなるだろう、と零は思った。
「ならユゥにはもう会わない。いいだろ?」
「それも・・・ダメ。」
その答え自体は想定内のものだった、が、本気でそう言ってくるのは、予想外だった。
矛盾をついてやるつもりだったのに。
レイが主人であるゆえか、彼はレイの心をのぞくことはできなかったが、人間同士ならわからないような、言葉にふくまれた偽善の気配を感じることはできる。
けれど、レイのこの言葉にはそれがなく、本心から出たものだった。
いいと言ってしまえば、それでもうレイは嫉妬に苦しむことはなくなる、なのに。
「なんで」
そうまでして、いい人でいたいのか?
好きな人の前だから?
けれど、彼女の言葉から感じる彼女の心には、嘘の気配はない。
自分のペースだと思っていた零は、あっさりそれが違うと気付かされ、レイの反応を予測することができなくなる。
「あたしだって、いきなり零さんと会えなくなったらつらいから。」
ふ、と隣のレイが微笑む気配がした。
これは、違う。
自分の価値観でしか物事を見ていない、というよりも。
相手の立場を自分におきかえ、レイはずっとユゥちゃんの気持ちで話していたのだ。
別れを思うと、胸を覆ってしまいそうになる寂しさ。
それを振り払うために、笑ってみる。
そんな微笑。
その寂しさは、微笑は、本当に相手の気持ちにならなければ現れないもの。
なぜ気づけなかったのだろう、最初から、レイは自分の痛みと相手の痛みとを同じように感じていたのだ。
それは、物事を自分の価値観だけで見ている、というのとは少し違う。
相手の痛みを思った時点で、レイはユゥちゃんの視点にたとうとしているのだから。
幼いユゥちゃんの感じるものは、レイが感じる痛みや悲しみとは少し違うかもしれない。
けれど、違っていても痛みは存在する。
好きな相手にその気持ちをからかわれたなら、相手をいきなり失ったなら、大人でも子供でも、何も感じないわけはない。
痛みを共有するその感覚は、偽善ではなかった。
零は、不愉快になった。
レイの優しさに、自分の負けだという事実に。
「失うのは、いつだって突然なんだ。」
カベ側に寝返りをうち、レイに背をむける。
「でも・・・」
「これ以上俺のオモチャになるより、いいだろ、そのほうが。」
それが零なりの、譲歩なのだとわかると、レイは反論するのをやめ、ただしずかに目を閉じた。
彼女から、寂しさが漂う。
それは零にとって糧となる感情だったが、なぜか体に取り込むと、いつものような心地よさではなく、心の奥で音も無く冷たい雨が降る感じだけがした。
彼女の感じた寂しさを、ただ共有しているかのように。
やがて彼女が眠り、漂っていた寂しさが意識とともに少し薄れた。
零は半身を起こすと、寂しい気持ちのまま眠りについた彼女の額にそっと手を置き、その不思議な力で、彼女のまわりに安らぎそのものの空気を作り出す。
寂しさが、その空気に散らされるように、消えていく。
これで彼女が悲しい夢を見ることはまず、ない。
こうしたら、俺もいい夢見れるかもな・・・。
ついさっき、レイの寂しい気持ちを共有したばかりの零はそんなことを思う。
それから、手のひらを当てていた場所に、唇をそっと近づける。
それは無意識に、そうすることがあたりまえのように。
けれど、触れることなく。
彼は、途中で自分のしようとしていることに気付いた。
これって、オヤスミの、チュ・・・そんな、意味のないこと。
彼女の額に触れようとした自分の唇を、ぱしっと手で押さえる。
けど、意味なんかないけど、今、なんでやめた?
したけりゃすればいい、コイツに遠慮なんかすることない。
気付いたって喜ぶぐらいなもんだろう。
じゃあなぜ?
自問自答してみる。
恥ずかしいから?
レイは寝てるし、誰も見てない。
それなのに、何が自分の行動を邪魔したのだろう。
どうしてこんなことをしたがるのか、この気持ちが自分でもわからないから?
そして、それが、・・・コワイ?
どくん。
怖がっている自分、という考えに達したとき、彼はあるはずのない自分の鼓動を感じた気がした。
俺に怖いものなんかない。
彼はそれを試してみる。
眠るレイの額に、小さな唇をそっと当ててみた。
何もおこらない、彼には何の変化もなかった。
ホッとして、彼はまたベッドにもぐりこんだ。
何もかわらないことに、安心し、行動の意味も、その衝動がどこから来るものなのかも考えることなく、眠った。
なんだか楽しげな夢の中には、レイの声が聞こえていたような気もした。
そして、今までと何も変わらない朝がやがて来る。
変わらない彼女の笑顔とともに。