使い魔 1 今日から使い魔
この世に悪魔はどうやらいないようだが、
悪魔のようなモノはいる。
比喩表現というのではなく、まさに悪魔のようなモノたち。
それは、人に見えたり、そうでなかったり、見た目や性質はさまざまではあるが、悪魔のようなモノは、この世に確実に存在するのだ。
たとえば、それがどんなものか
といえば。
人に幻を見せ、時に死霊を操り、人の生命そのものを食らう。
そんな危険な存在でありながら”彼”は甘いものが好きだった。
”彼”の気に入りの店には、レイというウェイトレスがおり、
彼に熱烈な想いを寄せていた。
このあいだまで決まった名を持たなかった彼に、
零という名がついたのは彼女のせいである。
名を訊かれた零が、ない、と答えたのを、れい、と聞き間違え、
訂正するのが面倒になった零がそれを受け入れたのだ。
もっとも、響きが気に入り、以後もそう名乗ると決めたのは零の勝手であるが。
とにかく、そのレイの気持ちをいいことに、
彼は飲食した代金をすべて彼女に立て替えさせていた。
そして、今日も。
「ごめんね、また財布忘れちゃった。」
そう言って微笑みかけると、いつもレイは、次はお願いしますね、
といいながら嬉しそうに立て替えてくれるのだ。
しかし、今日の彼女は違った。
「こらー!零さん、もうだまされませんからね!」
それ絶対だまされてるって!
零のことを話した友達に言われ、
あれ?そうかも・・・かもっていうか、だまされたー!!!
同じ手に引っかかり続け十数回、やっと気付いたのだった。
お金返してもらうって約束で、
店の外で会ってもらえばいいじゃん。
そんな作戦も同時に授けてもらい、意気揚々と叱りつけたわけである。
一方、零はというと。
・・・・こら?俺、怒られてる?
全く予想外の展開に軽くパニクっていた。
が、それも一瞬のことで、なんといっても彼は人ではない。
思い通りにならないなら、人間など催眠状態にして操ってしまえる能力があった。
彼は、素に戻っていた表情を、微笑みの形に作り直し、レイに優しい視線を注いだ。
これで、問題はなくなるはず。
特に微笑んだりせずとも人をコントロールするなど、造作もないことではあるが。
「だめっ!今日という今日はおうちに帰って取ってきてください!
お店閉まっても、私ここで待ってますから。」
こんなはずはなかった。
何かがおかしい。
零にコントロールされない人間がいるなどとは。
目の前のこのちっぽけな女は、修行をつんだ高僧でも、
エクソシストでもない。
清らかな祈りのこめられたお守りを持っているわけでも
なければ、零にとって敵となりうる、”天使”の加護の気配もない。
もちろん、彼女自身はただの人間だ。
零は、自分は弱ったのだろうか、と考えた。
人の命を食うなど、もうずいぶんしていない。
彼らは、人のように食物を摂ることでも生きてはいけるが、本来は人の心や命を食うものであり、普通の食物をとるだけでは、だんだんと弱っていってしまう。
最近の彼は、何日か眠っては目覚め、ここへ来るだけの生活で、ほとんど何もせずに時を送っていた。
まるで、なにかを待っているように。
たとえばそれは、ゆっくりとフェイドアウトするように彼を連れ去る、死そのものなのかもしれなかった。
とにかく彼は、押し切られ。
「わかった」
とか言っちゃってた。
眉間のあたりに力をこめ、少々怒ったような表情を一生懸命作っていたレイは、それをきいた瞬間ぱっと笑顔を咲かせた。
その笑顔の輝きが、憎悪や恐怖を糧とする零には、まことに鬱陶しかった。
なんだか面倒になり、他の店を探さなくちゃな、零は そう考えた。
「じゃ、あとでね」
とりあえず、また会えるような言葉をかけながら。
「はい、あとで!」
嬉しそうに、レイが言った。
それもやはり鬱陶しく、早くこの場を離れようと彼は歩きだす。
店から出て細い道へ入ると、人通りがほとんどないのを確認し、零は自分を拡散させた。
彼は、霧よりももっともっと細かい粒子となり、空間を漂う。
集まれば黒いもやのようにも見え、広がれば空気に溶け込む。
意識だけの、見えない存在。
この状態でいるとき、彼は人にも動物にも気付かれることはなく、よって、静かに眠ることができた。
ふと、気付いた。
こんなことしてるから、弱るんじゃないのか?
自分は、消えようとしているのだろうか。
そのつもりはなかった。
彼は、焦りを感じた。
彼らに寿命があるという話は聞かないが、
もしや自分は今、そのときを迎えているのではないだろうか。
彼は、人の心から生まれた、心だけの生き物だった。
彼と同じような生き物は、目立たず、決して数多くはないが、それでも確かに、いた。
小さく弱い者は、大きな者に吸収されたり、拡散したまま消えてしまったりしたが、物質化するほどの力を持った、彼のように大きく育った個体はそれにはあてはまらなかった。
それでも、彼は不安にかられた。
彼らは、同種間でのつながりが薄いため、情報交換も満足でない。
そのため、彼は自分達のことも、自身が体験したこと以外あまりよく知らないのだ。
誰かに相談したくとも、彼の知る限りで近くに同じ種は、食性の違う「天使」と呼ばれるタイプの個体が一体いるのみだった。
「天使」たちは、「悪魔」タイプである彼らと相反する性質をしており、互いにしばしば敵対した。(続)