使い魔11 御雷ふたたび
静かな夜だった。
夕食も終わり、たいした会話もないが平和にくつろいでいる小さな零とレイの部屋。
零は特に興味もないが、レイの買ってきた置きっ放しの雑誌をペラペラとめくり、レイはTVドラマを熱心に見ている。
ピンポーン
ドアチャイムがなり、レイがいそいそと玄関へむかう。
「あ・・・おにい、ちゃん」
零の眉間にかすかなしわが寄った。
嵐の前は、静けさがつきものなのである。
「来るっつったろ?忘れるなよー!」
また兄として来る、前回そんな事を言って去った彼は、連絡もなしにいきなりやってきた。
彼は明日休みなのだそうで、仕事仲間と飲んだ帰り、隣の駅にあるレイの家に寄ったのだという。
「おー、最近キレイになったよなこの部屋!掃除できるようになったのね。えらいじゃんレイ!」
兄は妹の生活ぶりをチェックしにきたのだろうか、彼が先日追い出そうとした零のおかげで、前よりもずっと暮らしやすくなった部屋をのんきにホメている。
御雷の知っている“零”が居なくなっていることには、気を使っているのか触れない。
触れないが、機嫌がいいのはそのせいもあるだろう。
かくして零は、ぬきうちで嫉妬深いレイのシスコン兄貴、御雷の訪問をうけることになってしまった。
ぬきうちなのは妹にとっても同じである。
「忘れてないけど、なんでいきなりなのー?」
レイの抗議の声は、妹という立場からか少し控えめ。
もっといってやれ、と零は思う。
今の零は小さな子供で兄の風当たりもそんなに強くはないはずだが、零はこの兄にあまりいい印象を持っていない。
不快そうに目を細め、険しい顔で御雷をにらみつける零だが。
「ん?なんだよこのちびっこわ!」
子供好きなのだろうか、御雷は零をみつけると笑顔で近寄ってくる。
「ちっちぇー、細っせー、真っ白けだし、カラダ弱そうだなおまえ。つか、超カワイイんですけど。男?女?」
女性のようにきゃしゃなカラダをした兄が、ほんのりと朱い、妹によく似た白いカオを近づけてきた。
「あ・・・、えっとオトコノコ、だよね?」
レイはそこではじめて零の反応が気になったらしく、話しかけつつ、目で問いかける。
”どうしましょうか?”
知るか、まったく。
膝をついて目線をあわせ、御雷は顔をそむける零のアタマをくしゃくしゃとなでる。
「オトコかー、そっかー、ぁ髪やらけーっ!」
喜ぶ御雷に、零が渋い顔をする。
「酒くさい」
「ちょっと、おにいちゃん!あんまりさわらないでよ!」
あわててレイも兄を制する。
「いーじゃんめっちゃかわいー!」
零とレイの抗議も意に介さない、満面の笑みが至近距離にあった。
あーーーーーーーーウゼぇっ!
零にとって、やはりレイ以外の人間の笑顔は不快だった。
特に、この兄。
おまけに少々酔っている。
ぶち殺してやりたいが、主の家族であるからには手を出すわけにもいかないし、今の零では人ひとり殺すのも以前のようにカンタンにはいかないだろう。
ガマンするしかない。
化粧をしていない御雷の顔は、少し男っぽく、似てはいるがやはりレイとは少し違った。
「もー・・・イヤがることしないでよ?お水いる?お茶がいい?」
「茶ぁ入れて。」
釘をさして、レイは兄のためにお茶を入れる用意を始めた。
ちょっと目を離したスキに、兄が暴走したらしく、すぐに非難がましい零の声が聞こえた。
「ぅわ!」
見れば兄は、零を無理矢理ひざに座らせようとしている。
「おにーいちゃーん!!こらっ!」
レイが大きな声を出すが、兄は気にしない。
「照れてんだって!おまえ、名前は?」
勘違いした分析をかましつつ、自分の腕から必死に逃げようとする零に話しかける。
名前・・・。
姿が違う今、零とは名乗りづらい。
零の動きが止まり、レイとカオを見合わせる。
「・・・」
「・・・」
「なーまーえ。いえるよな?ん?そういやこいつの目の色、ガイジン?ニホンゴわかる?おまえ。」
さっきから誰もが日本語でしかしゃべっていない。
御雷は零の、色の薄い瞳をのぞきこんだ。
「・・・なゆた。」
多分いま思いついたのであろう、名前らしきものを零が口にし、レイはあわててかぶせる。
「そう!そう、近所のコで、なゆくん!ちょっとだけあずかってるの!」
なゆくん・・・可愛らしくなってしまったかりそめの名に零はカオをしかめる。
「フーン、そっか、なゆか!なゆはいくつになったんだ?」
にこにこと、またやっかいな問いを口にする兄。
「・・・・・・7歳だ。」
少々考えた後に、”なゆた”の外見から、零がそれらしい年齢を答える。
「なに考え込んじゃってんだよ。まーだ照れがあるかな?・・・よっし、じゃ、なゆ、おにいちゃんと一緒にフロはいろっか!」
「はぁ?!!」
零とレイが声をそろえて問い返す。
零にいたっては目をむいている。
「なんだよ、あずかるんだろ?なゆ太も泊まりじゃねーの?」
確かに外に出すわけにもいかないし、泊まりといえば泊まりだが。
「だからってオフロって・・・」
レイは零の反応が少し怖くて、兄を止めてみようとする。
「俺今日まだだし、酒くせーだろ?それに、男同士なゆも一緒に入れば照れなんかなくなるって!」
零の方が風呂に入ったかどうかなどは、おかまいなしなようだ。
確かに彼は、その特殊な力でカラダをきれいにしてしまうのか、風呂を使うことなどなかったが。
「ワケわかんねーよオッサン。風呂とか入んねーし。」
童顔でただでさえ若く見える御雷を、わざとオッサンと呼ぶと、零はあからさまに嫌そうな顔で断った。
「そうだよ、なゆくんもうおっきいんだから一人で入れるし。」
正直レイも、できれば一緒に入ってほしくない。
ちなみに、おっきい、という言い方にカチンときた零がレイをにらんだ事に、幸い彼女は気がつかなかった。
兄には今までずいぶん彼氏との仲を裂かれていることもあって、彼女にとっては男同士だろうが(子供だろうが)そこは安心できないのだ。
「オッサンて・・・口わりぃな。ま、いーからいーーーから。レイー、タオルどこー?あ、みっけた。」
可愛い なゆた をいたく気に入ったらしい兄は、上機嫌で彼を風呂へ引きずっていく。
「・・・レイ」
引きずられながら、弱々しく零が彼女を呼んだ。
戸惑った表情で、まるで助けを呼ぶように。
「おにいちゃん、イヤがってる!」
「なことねーって!大丈夫ダイジョブ、おにいちゃんやさしいぞー?はいペローン。」
「っあ!」
気の抜けるような効果音とともに、着ていた黒いシャツを剥ぎ取られ、零が短く声をあげた。
これ以上ここにいると痴女になってしまう・・・。 レイはもう退散するしかなかった。
間をおかずに、風呂場のほうからは、うわぁ!だの、触るな!だの、なじる零の声と、兄の楽しそうな笑い声がたびたび漏れてくる。
助けに行きたくとも、行ったら今度はレイが加害者になる。
ごめんね、なゆくん。
レイはテレビのボリュームを必要以上に上げて耐えることにした。
「いや俺弟もいいかなーって思うんだよお!」
風呂場を出てもいつまでも半裸のまま、一人上機嫌な兄をよそに、零はずっと仏頂面、レイは寝る時間まで口数が少なかった。
翌日、レイに追い立てられるようにして兄は帰っていった。
「何もされませんでした?お兄ちゃんに。」
心配そうにそう訊いたレイは、赤くなるまで零につねりあげられた。
悲鳴をあげてもたっぷり5秒間、零は手をはなさなかった。
レイのほうが許しているのか、それとも、もともとこの程度の痛みは許されるのか、名前によって発生した零とレイの間の主従契約のペナルティは、この小さな暴力に関して発動しないようだった。
実際、髪やカラダを洗うほかは御雷は何もおかしなことはしなかったのだが、一緒にフロに入るだけでも十分すぎるほど零は不快だったのである。
ただ、この反応のせいでレイはちょっとした誤解をし、二、三日の間 悶々とし続けたのだった。