続き
そっか、悩むことなんてないよね。
ちゃんと思い出した。
零さんが笑わないなら、あの人の分まであたしが笑うんだ。
あたしが零さんを笑わせてあげるんだ、って。
前はそうやってガンバってたんだもん、これからだって大丈夫、できるできる。
すっきりしたレイは、今日も元気よく帰宅した。
「ただいまぁ、です!」
と、なんだか家の中が暗い。
いや、目の前が真っ暗なのだ。
「えぁ?」
よく見てみれば、真っ暗ではなく、真っ黒。
零の服の色だ。
視界のほとんどがそれでふさがれてしまい、一瞬真っ暗になったかと錯覚したのである。
零は、元の大きさに戻っていた。
出迎えに来たのか、ただたまたまそこに立っていたのか。
表情は、ない。
「・・・」
言葉もない。
長い髪の間からこちらを見下す、色の薄い瞳。
・・・零さんて、こんなに・・・。
・・・こんなに、怖かったっけ?
自分しだいで零も笑ってくれる、というさっきまでの考えに、レイは自信がなくなってきた。
「元に・・・戻っちゃったんですね」
レイは、素直だったが、それ以上に思いやりのある性格をしていたはずだった。
それが、零の思いを無視したこんな本音を出してしまったのは、もともとうかつなせいもあるが、大きくなった零に怯えてしまい、動揺したからである。
言ってしまってから、失言に気付いたが、後の祭りだ。
「あ、じゃなくて、あのぅ」
ゆっくりと、不機嫌そうに零が髪をかきあげる。
「小さいままがよかったのか?」
視線が冷たい。
「ぅ・・・、ごめんなさい。」
零の作った夕食を、一人で取る。
今日は一緒に食べてくれないのか、と寂しくなり、零を見る。
特に表情は浮かんでいないけれど、こちらを見ていない横顔は恐れを抱かせることもなく、ある意味無防備。
長いまつげをした、不思議な色の瞳に、ほどよく高く形のよい鼻、やや薄すぎる感もある唇は、けれど妖しい紅色をたたえてその存在を主張する。
そして、血の気のない肌と夜の海のような髪。
ただ純粋に、美しさだけが漂っている。
寒い冬の夜、天高く輝く月のような、触れることのできない、ただ見ることしか許されないような美しさだけが。
見る人によっては不気味にしか見えない零の容姿は、やはりレイを魅了して止まず、近寄りがたくともやはりこちらの零も惜しい、そう思わせるには十分だった。
けれど、その視線はアニメの2時間スペシャルを熱心に見ているものであったりする。
それを意識してしまえば、美しさも台無しだ。
気付いて、レイは少し笑いそうになる。
「何だ。」
こちらを見もしないで、零が問う。
ずっと見られていることくらい、気付かない零ではない。
「なんでもない、です」
重苦しい空気がたちこめる。
なんだかきまずいまま時間がたっていき、そして。
きのうまで二人で寝ていたベッドに、今日は一人で横たわる。
零は、ベッドに背を預けて、座ったまま、腕組みし、伸ばした足を交差させた姿勢。
縮む前は、いつもこの姿勢のままで寝ていた。
人間なら、毎晩それでは支障が出るが、そうでない彼は、それで平気だった。
一方レイは、きゅうくつでないベッドが、なんだか寂しい。
零が元に戻ってしまったから、今日は怖い映画も見ないですんだ。
けれど、怖いから、といいながら零にくっついて眠るのはレイにとって嬉しいことでもあった。
今日は、怖い思いをしていないから、言い訳もないけど、でも寂しいから、手ぐらいつないでほしいな、ダメなら、何か話でもしたい。
大きい零との関係も少しはそれで進展するかもしれない、とレイは拒絶を覚悟で勇気をふりしぼる。
「あの、あのね、零さん。」
「何だ。」
それは、無機質すぎる響きだった。
本来の零の声は、低い。
怒っているとしか思えず、レイの勇気はみるみる萎縮してしまう。
「・・・おやすみなさい。」
零はもう答えてすらくれなかった。
コワイヨウ。
態度、かわりすぎだよー。
小さい零さん、可愛かったなあ。
多いとは言えなかったけど、イジワルな笑顔も、可愛さをアピールするような笑顔にも、もう会えないのだ、と思うと。
「・・・ぐすん。」
小さい零さんは死んだわけじゃないけれど。
それでも無性に寂しくて、泣きそうになりながら、レイは無理矢理眠ることにした。
夢かな、とレイは思う。
朝の光の中、床に転がって、カラダを丸めているのは、小さなほうの零。
零さんは昨日元にもどったハズで、けどあたしはそれが寂しくて、・・・願望は夢に出てくるっていうし。
もしかしたら、戻ったのが夢?
どっちだろう。
とにかく、朝だし、ちょっと起こしてみようかな。
「零さん、れーーーさーーーん。」
ゆさぶると、まぶしそうに薄目をあけた。
「・・・」
寝過ごしたことを悟ったのか、ガバッと起きると、時計を見る。
目覚まし時計が鳴る時間から、まだ5分ほどしか経っていないのを確認すると、少しホッとした表情をうかべ、立ち上がった。
と、そこでカラダが縮んだことに気付いたようだった。
小さく、舌打ちが聞こえた。
やっぱり、夢じゃなくて、昨日は戻ってたんだ、とレイは思う。
本当は、そうではない。
多少力をとりもどした零は、元の姿に”変身”していただけだった。
なかなかカラダが元に戻らない事実は、彼につまらない意地を張らせた。
小さいカラダが嫌で無理に変身し、元に戻ったふりをしていたのだ。
が、たいして戻っていない力では一晩変身したままで過ごすことさえできず、眠って意識がとだえると、結局また縮んでしまった。
そんなことがレイにわかるはずもなく、彼女はただ、きっと本調子ではないのだろう、と解釈した。
「零さん、・・・がっかり、しないでください。あたしもまたがんばりますから!ね?」
零は答えず、コーヒーを入れる準備を始める。
レイはそんな零に近づくと、さらに声をかけた。
「それに、こんなこと、零さんには関係ないかもしれないけど」
ためらうように、言葉を切る。
「あたし、小さい零さん、好きです。」
こちらを見ようともしなかった零が、レイの目を見た。
ただし、それはレイの言葉が気に障ったからのようで、そのまなざしは厳しかった。
「・・・」
「あの、違うんです!って何がだろ、えとえと、そうじゃなくって、だって・・・」
零はただ不機嫌そうな表情のまま、何も言わずレイを見ている。
「笑って、くれるから・・・。」
小さくてカワイイ、とか話しやすいとか、そんな言葉が返ってくると思っていた零は、意表をつかれた。
一言も発せず(実は起きたときからだが、今はまた別の意味で言葉が出ない)、狐につままれたような顔の零。
うまく伝わらなかったと思ったらしく、レイは慌てて補足しようとした。
「だから、小さい零さんで嬉しいです。あ、でも大きい零さんもちゃんと好きです!じゃなくて、あれ?あの、んと、やっぱ聞かなかったことにぃー・・・」
補足のつもりが、いっぱいいっぱいでただの告白になってしまい、さらに慌てるレイ。
零のほうは、というと、顔つきこそ平静を保っていたが、胸の中ではなにかがざわざわとうごめくような感覚を感じ、こちらはこちらで少し慌てていた。
なんだか、落ち着かない。
いや、コイツがあんまりバカだから俺まで調子が狂うんだ。
彼は、これ以上レイのペースに巻き込まれたくない、と思い、一時的に彼女を追い払うことにした。
「寝ぼけたこと言ってないで、顔洗って来い。ヨダレのあと、ついてるぞ。」
「へ?・・・やだきゃぁーっ!」
ばたばたと彼女は洗面所の方へ向かい、水音が聞こえ始める。
「ウソだよ、ばーか。」
零は小さくつぶやいた。
すぐひっかかる、お人よしめ。
彼は二人分のコーヒーを入れる。
零の小さな焦りも、レイの悩みも、日常という大きな波にのみこまれてなくなってしまったように、いつもの二人の朝が始まり、いつも通りに、すぎていく。
悪魔と人間の共同生活という、非日常的な日常。
「いってきます!零さん!」
レイの笑顔。
朝食の後片付けをしている零と、一瞬だけ視線が合い、
「ん。」
小さく零がつぶやいたのを確認して、ひときわ嬉しそうに笑うとレイはドアの向こうへ消えていった。
鍵を閉める音が聞こえ、ドアのむこうに騒々しくも元気な気配が消えていくのを感じながら、零は自分でも気付かぬうち、かすかな笑みを浮かべていた。
この日常を楽しんでいるような、どこか安心したような、そんな微笑を。