続き2
腐ったものを食べたら、当然腹を壊す。
契約を破れば、それなりのペナルティがあるのも、それと同じこと。
零は命令に逆らったわけでもないし、主を手にかけてもいない。
が、あれだけ脅かしてしまえば、主に危害を加えたも同じことだ。
それは、主へのはっきりとした裏切りを意味する。
「ん・・・?」
一人部屋に残った零は、身体から急激に力が抜けていくのを感じて、その可能性に思い当たった。
「やり・・・すぎ、か。」
主側の、彼への想いも同時に裏切られたことが加味されている、ということまでは、予想の範囲外であったから、思った以上に力が失われていくのを感じながら、主従契約違反のペナルティって、異様に重いんだな・・・と彼は思った。
そして、最後に見たのは、彼自身の身体を構成していた、黒いもやのように見える力、抜け出して行くそれらで、だんだんと暗くなる部屋。
こんなに沢山なくしたら、死ぬかもな、本気で。
そう思った。
ここが、死に場所じゃ、かっこ悪いな、とも。
すっかり住み慣れてしまった、この狭い部屋。
幸い、雨は止んでいた。
マンションから出て、いくらか走ったところで、限界を感じてレイはへたりこんだ。
日は沈み、ゆっくりと夜の顔に変化しようとする街。
人通りは、まばらにある。
あぁ、普通の風景だ、人がいる、あたし、生きてる。
涙が乾いたばかりで、また泣きそうになった。
そういえば、顔は血まみれになったのではなかったか。
このまま人前に出て大丈夫だろうか?
考えるうちに、無意識に手が顔を触っていた。
べたついていない。
ぺたぺたと、顔中をさわってみる。
いつも通りの感触で、血をあびた感じはしない。
あれだけの勢いの血なら、体にもかなり浴びたはず。
胸にも、腕にも、血はついていなかった。
ありえない、と思った。
最初からあんなことはありませんでした、とでも言うように、レイの身体はどこも汚れていないのだ。
幻でも見たのだろうか。
でも、たった今経験したことはあまりに生々しく、とてもそうは思えない。
たとえ幻だとしても、あんな怖いことがあった部屋に、一人で帰れなかった。
少なくとも、今夜は。
だが、ケイタイもサイフも持たずに出てきてしまった。
無論そんなものを持ち出す余裕などあったはずもない。
どこかで電話を借りよう。
レイはとりあえず明るい大通りへ向かって歩き出した。
なんとか友達に迎えに来てもらい、その日は泊めてもらえた。
が、とにかく何も持たずにでてきてしまったのだから、一度部屋へは帰らなければならない。
友達には呆れられてしまったが、頼み込んで翌朝、部屋へついてきてもらうことにした。
「オバケェ?レイ子本気でいってんの?」
「ほんとだよー!オネガイ愛香!一緒にきてくれないと一人でなんて入れないってー!」
零のことは、何と言ってよいか説明しづらかったので、とりあえずオバケが出るのだと話した。
「しょーがないなあ・・・てか、あんた男と一緒に住んでるんじゃないっけ?今。」
友達、愛香が何気なく言った一言は、今のレイにはなにより痛かった。
眉尻を下げ、見る見る情けない顔になったレイを見て、愛香は気を使ってくれた。
まさかその相手が自称悪魔で、つい昨日ホラー映画ばりの体験をした、などとは露知らず、きっとフラれちゃったんだね、と思った愛香は励ますように、つとめて明るく声をかけた。
「じゃ、さっさと行こうよ、ね!あたしがついてるからさ!」
「・・・・・・うん」
あからさまに元気のない声とともに、レイはうなずいた。
てくてく歩いて、電車にのって、またてくてく。
そして、
・・・がちゃ。
「鍵、あいてるね。ドロボー、だいじょぶかな?」
愛香は、後ろに隠れるようにひっついているレイを振り返った。
彼女は、目を閉じてぶるぶる震えていた。
血だらけの死体があったらどうしよう。
怖い方の零さんがいたらどうしよう。
怖くない方の零さんがいてもやっぱり怖いかも。
頭の悪い考えも含めて、悪い想像で頭がいっぱいになっていた。
「あんた、怖がりだもんね・・・」
愛香は、呆れながら笑った。
「おじゃましまーす・・・」
薄暗い部屋へ、二人ではいる。
入ってすぐに、変化に気付いた。
「ねぇレイ子さ、子供・・・いたっけ?」
「え?」
目をつぶったまま愛香の服にしがみついて進んできたレイは、そこで初めて目を開けた。
そっと、愛香の後ろからのぞく。
黒い服を着た子供が、倒れていた。
「し、しらない!どこの子だろ?」
愛香は、とりあえずカーテンをあけて部屋を明るくし、レイは駆け寄ると、膝をついて子供の様子を確認した。
「部屋は、荒らされてないね」
と、愛香。
「ボク、大丈夫?」
レイは小学校低学年くらいに見える、その子供の肩をゆする。
やけに身体が冷たい。
し、死んでる?
レイは固まった。
「大丈夫そう?」
愛香ものぞきこむ。
もぞり、と子供が動いた。
「きゃぁあーーーーー!」
死体が動いた、そう思ったレイは悲鳴をあげる。
「ちょ、驚きすぎ」
愛香には、子供が動いたことに反応したようにしか見えていない。
その子供が、素早く動いてレイの口に手を当てた。
「うるさい。」
愛香は、ちょっと可笑しくなって笑った。
「あはは、ボク正解」
ボク、が振り向く。
白い肌に、男の子にしては少し長めの黒い髪。
瞳の色が、日本人ではないことをうかがわせた。
「ボク・・・?」
子供は、不思議そうに繰り返して、自分の身体を改めて見るような仕草をした。
「あれ・・・ワタシだった?」
髪と服は男の子のようだけど、キレイな顔をしていて、女の子といわれればそうも見える。
彼だか彼女だか判然としないその子供は、少しの間をおくと、まだ怯えた顔のまま固まっているレイにしがみつき、こうのたまった。
「あのおねえちゃん、コワイ」
「え・・・あたしぃ?」
突然のことに驚く愛香。
彼女は決してコワモテではない。
子供から特に好かれはしないが、嫌われもしない、普通の女の子である。
レイの服へ顔をこすり付けるようにして、愛香を視界から追い出して、もう一度。
「コワイ。」
可愛いって思ったけど、撤回。
まるであたしが、悪者みたいじゃない。
ややムッとしつつ、愛香はレイのほうを見る。
レイの目は、いかないで、と言っていた。
が、愛香は正直これ以上つきあってやる気はなかった。
オバケもいないし、部屋はなんともない。
気のせいにここまでつきあえば、友達の義理は果たしただろう。
おまけに、子供にこんな無礼な扱いまで受けたのだから。
泣き出されたのではたまらないし、あとはレイに任せて帰ろう。
「じゃ、あたし行くから。家も無事だったし、もういいでしょ?またね」
「あ、ぃかあ・・・」
泣きそうな声もむなしく、バタン、とドアのしまる音がひびいた。
(続)