使い魔 7 変化
人が新しいものに慣れるように、人の生み出した魔物である彼もまた、環境というものに慣れ、適応していく。
彼の主は、彼とはほぼ正反対の性質をしており、まとう雰囲気というか、とにかくそばに居るだけでうっとうしい気分にさせられた。
彼女の垂れ流す、大好きオーラも、まき散らされる感情が喜怒哀楽の喜と楽ばかりなのも、彼への優しさも、全て”悪魔”である彼には不愉快だった。
彼の糧は人間の憎しみ、悲しみ、恐怖、それから命そのもの。
対極の感情は煩わしいノイズでしかない。
どう煩わしいかといえば、寝不足の状態で乗り込んだ満員電車で、隣の人のイヤホンから漏れてくる趣味の悪い音楽、恋人と別れたばかりの時にきかされる他人のノロケ話、二日酔いの朝の目覚まし時計、などなど。
そんな彼女とほぼ毎日顔を合わせる生活が、もう数ヶ月も過ぎた。
いつからだろう、まったく気にならないでもないが、思ったよりも早く、彼は主の存在に慣れてしまった。
そして、さらにうっとうしかった彼女の笑顔。
それも、どうにか慣れてきたようで、ここ何日かは笑いかけられても、気に障らないわけではないが、前ほど不愉快な気分にはならなかった。
環境に慣れてしまえば、毎日はずっと過ごしやすくなるが、この環境になれてしまった自分を、”悪魔”である零は苦々しく思っていた。
それはそうだろう。
人を喰らう悪魔が、頭の悪い小娘に使役され、しかもその小娘ときたら能天気で疑うことを知らないお人よし、悪魔とは縁のなさそうなお幸せな人柄なのだ。
おまけに彼に恋までしていて、どちらかというと天使が登場しそうな環境ときている。
いや、すでに登場済みなのだ。
その”天使”は、時々彼女のバイト先に現れては世間話に花を咲かせつつ、零が彼女を傷つけやしないかと目を光らせている。
そう、彼女の恋心には天使の加護がついているのである。
そのことにも、もう零は心底ウンザリしていた。
「居るのにルスデンとかだめじゃないですかぁ〜”はい、鳴神です”って出てくださいね。
あ、セールスは断ってください。
それから、用件きいたらメモしてくださいね。」
彼の主は、鳴神 鈴というのだった。
その名前は、ぴいぴいとうるさい彼女によく似合っている、と零は思う。
電話に出るのがいやで留守電にしておいた所、本人が家電にかけてきてバレた次第だ。
そして新たに電話番という仕事がふえた。
それから数日して、レイの実家から電話があった際、
「レイに代わってくれないか」
と言われ
「俺が零だ」
と答え、相手を混乱させて遊んでしまったために、また少々説教をされる。
零にしてみれば退屈しのぎなわけだが、かけてきたのはレイの父で、レイもお説教を受けたらしく、零はレイに半分本気で怒られた。
父曰く、”あのフザケた男はなんだ!”
そう言われない方がおかしいかもしれない。
兄の御雷が、二人の関係を勘違いしてやってきたのは、この少しあと。
とにかくそんなこんなできちんと電話番をこなさなければならなくなったのである。
そしてしばらくしたある日、その事件は起こった。
午後からふりだした雨はなかなか止まず、とうとうレイのバイト上がりの時間になってもそれは続いた。
どきどきしながら、レイは自宅に電話をかける。
「はい、鳴神です。」
ふだんとはまた違った無機質さを持った話し方。
新しい零に触れることが、レイには嬉しい。
勇気をだして、”お願い”だ。
「あの、零さん、カサ・・・もってきて貰えますか?」
「 わかった」
妙な間があったようだが、なんとか成功した。
レイのバイト先は、元々零の気に入っていた店で、来るのに迷うことはないはずである。
できれば一緒のカサに入って帰りたい、無理なら並んで歩きたい。
わくわくしてまっていたレイが
「彼氏きてるよー」
とバイト仲間に言われ、出て行くとカサが、ポツン・・・。
れ、零さん?
レイはあたりを見回すが、見間違いようの無い、まわりよりも頭ひとつ分以上大きな黒い影は見当たらない。
「あれー?!さっきまで居たのに、レイおいてかれちゃったの?!」
仲間のセリフが胸に突き刺さる。
「お、おいかける!じゃあね!」
走っても走っても見回しても、零は見つからず。
部屋まで戻ると、TVを見てくつろいでいる気だるい零がいた。
店を出るときに、仲間からも
「姿消えるの一瞬だった気がすんだけど、アンタの彼、人間?」
とのあたたかいコトバをいただいていたが、まさかすでに家に戻っているとは。
とりあえずTVを見ている零さんに、ちょっと一言いわせてもらおう。
「零さーん、待っててくれてもいいじゃないですかあ、あんまりいなくなるの早いんで、アンタの彼氏、人間?って言われちゃいましたよぉ」
遠慮がちな抗議をするレイが”彼氏”という単語を使ったのは、零の反応が見たいからかもしれなかった。
実際は、何の反応もなく空振りに終わったわけだが。
人間、か。
と零は思う。
零にはずっと考えていることがあった。
人の姿をして、人でないものは恐れられる。
「・・・なら、待ってろまで言えよ。
それに、俺は人間じゃないって最初に言っただろう?」
悪魔らしさを思い切って発揮してしまえば、気味悪がって契約を切るんじゃないか、と。
ただ、これが契約違反になるのかどうかがわからなかったために、今まで踏み切れずにいたのだ。
契約違反の際に彼らは相応の力を失うわけだが、引っかかったとして、そのペナルティがこのケースではどのくらいの割合でつくものか、それも予想できない。
けれど、今のままでは自分は、自分ではない気がした。
彼氏、だと?鳥肌がたつ。
だいたい御雷にしてもスズキにしても、勝手に”彼氏”というポジションを押し付けては煩わしく干渉してくる。
零としてはレイには何の感情もないのだから、いわれのないイヤガラセを受けているも同じことで、非常に不快だった。
レイの一方的な想い、スズキの期待、御雷の嫉妬、重なり合ったそれらは、零の背を押し、彼は思った。
やってしまえ、と。
何にせよ、脅かすだけならたいしたこともないだろう。
「なあ、レイ、確かめてみろよ。俺が、人なのかどうか。」
部屋に影が落ちた。
(続)