続き
「おにいちゃんのバカ!変態!」
おにいちゃん、と呼ばれてミライはあからさまに動揺した。
「バッ・・・何いってるのよレイ!」
ふりかえろうとすると、零の大きな手が肩におかれた。
「そうだな、やりすぎたな、お兄ちゃん。」
驚いたミライが、恐る恐る零の顔をうかがうと、その顔には先ほどからなんの変化もないように見えた。
「お見通しだと、言っただろう?」
零は最初から、ミライが男であることに気付いていたし、レイについた”悪い虫”を追い払いにきたことも、心を読んだのだから、当然知っていた。
「シスコンか。まあ、俺は嫌いじゃないぞ、そういう倒錯的な趣味は。おまけに妹にたかる男を遠ざけるのに、わざわざあいつが泣くような手段を選ぶサディスト。泣いてる妹が可愛くて仕方がない。何とか手を出すのはガマンしてるようだが、ま・・・たしかに変態だな。」
どちらかというと自分に向いている修羅場の雰囲気に、今日の零はいつもより饒舌だった。
そして、いまやミライの顔は土気色をしている。
「おにいちゃん・・・?」
まだ涙が乾いていないレイは、状況を本人なりに頭の中で整理しつつ、見るからに追い詰められている兄を心配そうな目で見る。
その兄の方は、後ろめたくてどちらとも目をあわすことができない。
全て見透かされていた上、最愛の妹の前で胸に秘めた気持ちや、嗜好までもをバラされ、彼は絶体絶命だった。
零の細い指がミライの顎をくいと持ち上げ、色の薄い瞳が至近距離でその顔を細部まで観察する。
同時に、ミライのほうも酷薄な印象の零の顔をじっくり見せ付けられた。
冷たく陰気に見える顔は、けれどどこか美しさも漂っている。
彼の薄い唇が開いた。
「そっくりだな。おまえ、ナルシストも入ってるだろう?」
事実は、ミライの胸を深くえぐる。
「もう、やめてくんね?」
ミライは、零の手を払うと横を向く。
女を演じる必要がなくなり、 ミライの声がいくらか低くなる。
「アンタのゆーとーりだよ。レイの彼氏って、いっつもロクでもねーのばっかりだしさ、俺が全部別れさせた。悪かったよ、謝る。だから、もうやめてくれ。」
うなだれ、元気のない兄を、レイはまだ気遣うような目でみていた。
「おにいちゃん。」
泣かされたばっかりで同情なんかするとは。
零は少し呆れる。
ミライが黙って立ち上がり、出て行こうとする。
その後姿は、喪失感と悲しみを漂わせていた。
「おにいちゃん待って、あたし怒ってないよ!」
ミライの動きが止まり、レイが後ろから抱きつく。
「あたしのため、だったんだね。」
「おいレイ」
零が水を差そうとする。
「ちげーよ、結局・・・とられたくないだけ、だったんだし。」
兄は正直な気持ちを口にし、妹は首を振る。
「ごめんね、心配かけて。」
「レイ、そいつはおまえを」
零だけが、いつのまにかおいてきぼりにされていて、二人は零の言葉など聴いていなかった。
「心配とか、そんなんじゃねって。」
照れたように、兄が少し言葉を荒くする。
「あたしも、おにいちゃん大好き。おにいちゃんが、ほかの誰かのおにいちゃんになっちゃったらヤだもん。」
シスコンを、妹が好き、程度にしか認識しておらず、さらに(零を通してだが)可愛いなどと言われ、レイはどうやら全て水に流したようだった。
根本的なところで噛み合っていなかったが、その言葉は変態兄貴の心に響いたようで、兄は少し嬉しそうに笑った。
「ふふ、・・・ほかの誰かのお兄ちゃんって、なんだよ。」
その話し方は、たしかに兄らしい態度で、なんのうしろめたさも、暗い感情も混ざってはいなかった。
そうやって兄妹が和解しようとする後ろで、先ほどから背景扱いになっていた零は、テレビのチャンネルを次々変え、見たい番組を探したりしている。
すっかりいい雰囲気になった彼らに、もう興味はないようだった。
「えへへ、・・・でね、あのね、さっきの事だけど零さんは、違うの。彼氏とかじゃなく、あたしのこと、なんとも思ってないの。」
零のほうを見ると、確かに彼はテレビから視線を動かすこともなく、あまりにも無関心そのものに見え、 どうやら妹の言うことは本当らしい、とミライは納得する。
そして、ふぅ、とため息をつくと、兄は身体の向きをかえて、レイの方を向いた。
「じゃ、今日は帰るけど、今度はお兄ちゃんとして、また来るからな。」
そう言って、レイの髪を撫で、彼女の前髪をあげて、額に軽くキスをした。
この兄、カンペキに諦めてはいないようだ。
ちょうど、横目でそれを見ていた零と目があった。
「キケンが全くないとはいえないしぃ?」
零が何なのかを知らない兄は、一方的に宣戦布告をする。
零はそれを受け流し、すぐにテレビに視線を戻した。
彼としては、レイがだれと結ばれようが関係ないのだ。
ただ、この敵意むき出しの兄だけはやはり少々カンベンしてほしいかもしれない、とは思った。
兄が帰ったあと、レイはややこしいことになってすみませんと、零に詫びた。
実家からの電話の際に留守番をしていた零の存在が家族の知るところとなり、どこの馬の骨ともわからぬ男を追い出そうと兄がやってきたのだった。
が、詫びたあとは、兄がいかに自分を可愛がったかという自慢話めいたものをえんえん話して聞かせ、 「お兄ちゃん、御礼とか御願い(おねがい)の御って字で御、雷って書いて雷で、御雷って言うんです。かっこいいでしょ?」
ついでに”大好きなお兄ちゃん”の名前まで説明してくれたが、それを聞いて、零はなんとなく納得する。
雷、ね。うるさいわけだ。
御雷が去った後の家では、小さな鈴が遅くまで彼の隣で騒ぎ続けた。