続き
零は、笑う。
「ふふ・・・アハハハハ!なぜ泣く?おまえが望んだことだろう?」
人間が泣くとき、彼は笑う。
「こんな、こんなこと望んでない!まさか死ぬなんて!」
顔を真っ赤にしてぼろぼろ涙をこぼし、へたりと座り込んだ少女の耳元へ零が唇を寄せる。
「追い詰めたのはおまえだろう」
「違・・・うそ・・・あた・・・し・・・亜季、亜季ぃいー!」
少女は泣き崩れた。
「くっくっく、はははは!あははははは!」
高らかに零は笑う。
少女は、太っていた。
いくらかの金と引き換えに、零は彼女を痩せさせてやった。
少女には、自分よりスタイルのいい友人がいた。
仲は、よかった。
彼女達は、お互いのことをよく知っていた。
隠し事がない仲だったから。
だから、友人に彼氏がいること、二人がとてもうまくいっていることも聞かされていた。
笑顔で聞いていた。
心は笑っていなかった。
仲が良かろうと嫉妬はある。
仲がいい分、遠慮や、友の幸せを一緒に喜びたい気持ちが、その嫉妬を押さえつける。
押さえつけられた嫉妬は、ゆがみ、形を変えていく。
「ずいぶん可愛くなったね。」
目標体重よりさらに痩せ、前よりも見た目に気を使うようになった彼女の前に零はふらりと現れ、心にもない世辞を言う。
体型というコンプレックスを克服しても、まだ友人への劣等感は消えない。
「今の君には、たりないものなんてないよね?」
零の目が、淡く紫色の光を灯し、彼女をのぞきこんだ。
彼の魔力は、彼女の心の奥底にある嫉妬の成れの果てに深く爪をたてると、外界へと引きずり出した。
彼女の友人、亜季は、みるみる太りだした。
彼女の願いによって、前よりもだいぶ上乗せされた料金で、零は亜季に呪いをかけたのだ。
太りすぎた体のせいで、イジメにも遭うようになっていた。
彼氏は、亜季を捨てた。
そして、こともあろうに彼女と付き合いだした。
自慢話を聞かされるうち、彼女はひそかに亜季の彼氏に憧れを抱き始めていたのだ。
あのコ、落ち込んでるよ。
亜季のことを相談するフリをして近づき、徐々に親しくなり、それとなく好意をチラつかせる。
案外カンタンに落ちた。
それが、亜季に知れた。
ひどく罵られ、頭に血が上った彼女は、元の自分を省みず、こう口にした。
「バカじゃない?そんなに太ってたら彼氏だって引くっつの!悔しかったらやせればいいじゃん!」
自分でそうさせておいて、よく言えたものだ。
イジメられ、付き合う友人も今ではほぼなく、彼氏にも捨てられた亜季に、この言葉はトドメとなった。
その日のうちに、近くのマンションの屋上から飛び降りた。
そして、零は笑い、少女は泣く。
「なあ、俺は不思議な力があるといっただろう?それはさあ、俺が、悪魔だからなんだよ。」
泣きながらも、その奇妙な言葉に彼女は顔をあげる。
「どういう、こと?おまじない、って言ってた、じゃない。」
泣いているせいで途切れ途切れになる。
「おまじない?何言ってる。おまえの二度目の願いはそんなにカワイイもんじゃなかっただろう。悪魔と契約してまで、友人を呪ったんだよ、おまえは。」
「・・・な、呪いなんて・・・」
呪い、という恐ろしげな言葉を否定しようとするが、そんな彼女の話など、悪魔は聞かなかった。
こういう時に人間がする言い逃れなど、聞き飽きている。
「悪魔はさあ、こんなこともできるんだ」
赤い口を弓形にして笑う彼の後ろに、ぼんやりと何かが見える。
ねえ、あたしのこと、呼んだ?
潰れた顔面から、しゃがれた声が聞こえる。
あの服、亜季の・・・。
「亜季ちゃんがさあ、おまえにお礼がしたいってさ!」
血だらけの顔が、おかしな格好にまがった足が、土ぼこりと血のついた服が一瞬で目の前に移動してきた。
彼女は、叫ぶ。
零は、愉快でたまらないといった声で笑う。
「あはははは!醜いなあおまえ!やっぱりちっとも可愛くなんかないな!あはははははは!」
「殺さなくていいのか?」
飛び降りて死んだ亜季の霊は、少女に背を向けると零のもとへ寄ってきた。
もう、気が済んだ、ということなのだろう。
姿はいつのまにか生前のものにもどっていた。
亜季の後ろで、少女はぶつぶつと早口に、何度も謝罪を口にしているが、とうに心が壊れてしまっていて、うつろな目には零さえ映っていないようだった。
亜季は、こくりとうなずき、言った。
「そこまでしたくないよ、だってね、このコの気持ち、いまなら全部わかるから。
あたしも、ちょっとは悪いんだもん。
このコが悔しいの、知ってて自慢してた。
あたしが思ってたよりも、ずっと傷つけちゃってたみたいだけど。
それにね、それでもね、こうなる前は、あたしたち親友だったんだよ?
気が済むまでおどかして、言いたい事言ったら、かわいそうになっちゃった。」
亜季は、可愛らしく笑った。
「・・・まあ、あれでも今後マトモに生きていけるかはビミョーだけどな。」
零はチラリと少女に目をくれた。
「もう、いいよ。あたしのこと、食べちゃうんでしょ?」
「そうだな。」
「痛く、ないんだよね?」
「ああ」
亜季は目を閉じた。
零が彼女をそっと腕の中におさめると、亜季の姿は薄れ始める。
「なんだか、いい気分・・・」
言い終える前に、彼女は空気に溶けるようにして消えた。
「ごちそうさま。」
妙に優しい声音でそうつぶやいた零は、レイの言うところの
”悲しい目”をしていた。
悲しみを、怒りを、憎しみを零は糧とする。
それらを、またそれらを抱いて死んだ命を吸収するとき、彼は他では味わうことのできない快い感覚とともに、矛盾するはずのその感情たちも、まるで食事を味わうように体感する。
だから彼は知っている。
憎しみを、怒りを、悲しみを。
もしかしたら人間などよりも、よほど深く。
彼を知ろうと思うのなら、笑わせたいのならなおさら、あの目から逃げてはいけないのではないか。
レイはそう思った。
だいたい、零は自分のことをなんとも思っていないのだから、彼の憂いの原因が自分であるという可能性は少ないだろう、とも。
ある意味ちょっと悲しくもあるが、それが何日も何日も考えて、
レイの出した結論だった。
そして、今日。
帰宅したレイを待っていたのは、零の、あの目。
よし。
「零さん。」
返事もせずに、チラリと目線だけをよこす同居人。
「どうして、そんな、・・・あの、悲しそうなんですか?」
まっすぐな質問に、軽くため息をつくと零は一応返事をした。
「おまえには一生わからない理由だ。」
「え」
答えのようで答えになっていない。
返事をしてくれただけでもレイには大きな収穫であった、
が、それ以上ツッコめる雰囲気でもなく。
「こうすればいいのか?」
零が、諦めたように笑顔を作って見せた。
その笑顔もなんだか悲しげで、レイは胸をしめつけられる。
「ごめん、なさい」
笑いたくないのに笑わせる、なんて、一番したくないことなのに。
「別に。」
そう次の言葉を吐き出した時、零はまた無表情な零に戻っていて、そこには笑顔どころか、悲しみの痕跡さえ残っていない。
「れ、零さん、あのね!」
あたしが、笑おう。
いつか、もしかしたらあなたが、つられてでも笑ってくれる
かもしれないから。
今日あった、一番楽しかったことから、レイは話し出す。
零は、うるさそうな顔をしながら黙って聞き流している。
いつもと変わらない彼らの日常。
けれど、レイはいつかそれを変えられたらと思い、零はこの
日常自体から抜け出したかった。
それぞれの思惑とは関係なく、いつもの夜がいつものように更けていく。