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ケモノは服を着ているほうがエロい

「えーと、たしかこっちの廊下だったような」


 ドラクロワの一家が夕食を終えた頃、僕はフルールさんにネージュの部屋に向かうように言われた。

 理由はネージュの夜のブラッシング。

 これもまた僕の仕事だ。

 すでに付き添いは無く二、三度道を間違えながら、何とかネージュの部屋の前にたどり着く。


「ネージュ、いるかい? 僕だよ、会いに来たよ」


 扉をトン、トン、トンと叩いて、そう呼びかけると。


「……はいって」


 中からささやくような声が聞こえた。


「お邪魔します」


 扉を開けると、目に入ってきたのは白を基調とした女の子らしい部屋だった。

 天蓋付きのベッドには白色のレースが垂れていて、窓際の花台には白い花が一輪挿してある。

 白い化粧台の他に高価そうなソファまであり、棚の上には木彫りの鳥が置かれている。

 その角がうっすらと爪とぎの跡でざらついているのは部屋の主が猫だからだろうか。


「来てくれたの?」


ベッドの上で膝を抱えたパジャマ姿のネージュが言う。


「うん、ブラッシングをさせてもらいに来たんだ」

「……そう」


 ネージュはベッドから降りると少し歩いて衣装棚からブラシとマットを取り出すと、僕にブラシを差し出して、マットを床に広げた。

 そして流れるようにパジャマのボタンを外し始めた。


「えぇ!? なんで服脱いでるの!?」

「……ブラッシング、服着てたらできない」

「そりゃそうだけど、恥ずかしくないの?」

「なにが?」


 ネージュはパジャマを脱いでしまうと、くるくると丸めてベッドの上に放り投げてしまい、その場に残ったのはふわふわの白い毛に覆われた裸の猫獣人だけだった。


「その、裸になることが」

「裸? 毛が生えてるけど」

「うーん、そういうもの?」


 確かに元の世界では野良にゃんこたちは服なんて着てないし、そのことを恥じるようなことはなかったけど、ネージュはさっきまで服を着ていたのだから、なんか見てはいけないものを見ている気分になる。


「……本に書いてあった。私たち毛に覆われた獣人が服を着るようになったのはここ数百年のことだって」

「どういうこと?」

「もともと服なんて着てなかったの。だって最初から着ているようなものだから」

「たしかに」

「でも、毛の無い種族の国では服を着るのが当たり前で、良い服を着ればそれがお金持ちの証になる。それを知ったこの国の当時の王や貴族が真似して、それがみんなに普及していった」

「へー、面白い歴史だね」

「だから、本当は服なんていらないの」

「それでネージュは裸でも恥ずかしくないんだね」


 というか、僕ら人間にとっての裸が獣人にとっては裸ではないんだろう。

 せいぜい腕時計やイヤリングを外した程度のことで、わざわざ騒ぐほどのことでもないと。

 なら僕も気にしなくていいか。


「わかった。納得したよ」

「じゃあブラッシングして」


 ネージュはベッドから枕を一つ持ってくると、マットの上に置いて、そのままうつ伏せになって両手を伸ばして寝転がった。

 可愛いけど、こうなるとただのデカい猫なんだよなあ。


 僕は深呼吸をしてからネージュの横に腰を下ろした。

 そして、ブラシを片手にまず首の後ろから梳き始めた。


「痛くない?」

「……うん」


 シャッシャッと首から背中へとブラシを流していく。

 長い毛はブラシを通すたびにさらさらと流れて、引っかかるところがない。


「よく手入れされてる。今までは誰がやってたの?」

「フルールさん」

「そっか、そんな感じがする。でもそれならどうして僕に?」

「もう年だし、それに私も大きくなって。でもわたし一人じゃ背中に手が届かない」

「たしかにこんなに大きいサイズだとブラッシングも大変だね」

「……わたしって大きい?」

「世界にかわいいの体積が増えることは喜ばしいことなんだよ」


 しばらくそうしていると、ブラシに毛が溜まっていることに気づく。

 ブラシをかける度に白い毛がひらひらと舞い上がって、今度は僕のタキシードの袖に張りつく。

 指でつまんで剥がすとまた別のところにくっつく。


 お尻から足の後ろ側へとブラシを下ろしていく。

 太ももの裏は毛が柔らかくて、ふくらはぎに向かうほど毛足が短くなる。

 かかとのあたりまでブラシを通してやると、ネージュの足がもじもじと動いた。


「くすぐったい?」

「……ちがう」

「これでも?」

「くすぐったくない!」


 だらんと伸びた尻尾を持ち上げてブラシをかける。

 獣人だけあって尻尾も長いので、360度全方位から丁寧に。


「あふっ」

「なにその声」

「……尻尾触られると力が抜ける」

「いいこと知った」


 そんなこんなでネージュの後ろ半分のブラッシングを終えると、その毛並みは照明に照らされて輝いて見えるほどだった。


「いい仕事をしたなぁ」


 僕はその背中を撫でてから、頬擦りをしてみた。

 あったかくて、ツヤツヤしていて、しかも面積が大きい。

 僕はいつもの癖で猫吸いしていた。


「……何してるの?」

「ネージュを吸ってるの」

「吸ってる?」

「うん、お日様みたいな、少し甘いにおいがする」


 僕がそう言うと、ネージュはごろんと寝返りを打って仰向けになると、僕をジト目で睨みつけた。


「それはだめ」

「どうして」

「……恥ずかしいから」

「恥ずかしがる必要なんてないのに」


 ネージュが寝返りを打ったことで露わになったお腹の白い毛は、背中のそれとは違ってパヤパヤと広がっていて、彼女の呼吸に合わせてゆっくりと上下する。

 胸元にブラシをかけると、直接手が触れているわけでもないのにじんわりと温かい。


 細い腕の外側は比較的短い毛が密に生えていて、手首のあたりまでブラシを通してやると、ネージュはされるがままにぼんやりと天井を眺めていた。


「手、出して」


 ネージュは無言で手のひらを上に向けて差し出してくる。

 サッと手の甲をブラッシングして、さりげなく肉球をぷにぷにしてみる。


「今度は何してるの?」

「健康チェック」

「意味わからない」

「腕、上げて」

「……こう?」


 ネージュが片腕を上げると、脇の下が露わになった。

 そこは毛が密集していて、ブラッシングのしがいがありそうだ。


「ここもくすぐったい?」

「……っ、ちがう」

「我慢しなくていいよ」

「がまんしてない!」


 ネージュは平静を装っているが、脇の下にブラシを通すたびに体をくねくねさせて、堪えるように唇をきゅっと結んでいる。


「反対側もやるよ」

「ふぎゃ」


 次にお腹へと移る。

 お腹の毛は特に柔らかくて、ブラシを沈めるとふかふかと手ごたえがある。


「お腹、ふわふわだね」

「……さわりすぎ」

「仕事だから」

「……むー」


 口では文句を言いながらも、ネージュはお腹をブラシに押しつけるようにわずかに体を傾けてくるので、僕は笑いをこらえながらブラシを動かし続けた。

 ちなみにお腹は僕が一番顔を埋めたい場所でもある。


 次にブラシを内ももへと移す。

 ブラシをゆっくりと通していくと、ネージュの体がぴくりと震えたが、あえて追及するのはやめておいた。


 最後に太ももから膝、それからすねへと丁寧にブラシを通して、今度こそ全身が終わった。


「起きて」

「……ん」


 ネージュがのっそりと起き上がって、女の子座りに座り直す。

 僕はその正面に膝をついて、ブラシを再度手に取った。


 頭頂部にブラシを当てて、ゆっくりと毛並みに沿って動かしていく。

 さらさらと白い毛が流れて、ブラシが通る度にネコミミが気持ちよさそうに揺れる。


 うん、これならなんとかやっていけそうだな。


 そう確信したとき、ふと思った。

 元の世界のみんなは今、なにをしているんだろう。


 弟は学校の宿題をしていて。

 お父さんは仕事から帰ってきて。

 お母さんの作った料理を家族で食べている。


 毎週見てたテレビ番組とか。

 廊下の電球がひとつ切れたまましばらく放置されていたこととか。

 そういうどうでもいいことばかりが次々と浮かんでくる。


 友達の顔も浮かんだ。

 明日も学校で会えると思っていた顔が、今はひどく遠い。


 それから、地域猫のことを思い出した。

 いつも通学路の途中にいた茶トラで、僕が学校に行く道をずっと歩いてついてきてた。

 あいつは今頃どうしているだろう。

 僕がいなくなったことに気づいているだろうか。


 いつの間にか、手の中のブラシが止まっていた。


「……どうしたの?」


 僕は少し間を置いてから、笑って答えた。


「なんでもないよ」


 ネージュはしばらく僕の顔をじっと見ていた。

 何も言わずに、ただ尻尾をゆらゆらと揺らして。


「よし、綺麗になったね」

「……そう?」

「うん、光ってる」

「……ふふ」


 ネージュが小さく笑った。

 声に出して笑うのを初めて聞いた気がして、僕は少しだけ驚いた。


「ふわぁ」

「眠いのかい?」

「……ねむくない」


 ベッドからパジャマを持ってきて着せるとネージュは突然あくびをして、さっきまでぴんと立っていた耳までへたりと横に傾いている。

 目も半開きでうつらうつらとして、その場に座り込んでしまった。

 それでもまだ起きていようとしているのか、時折びくりと背筋を正す。


「ネージュ、寝るならベッドだよ」

「……ねない」

「でももう寝てるみたいだ」

「……ねてない」


 そのまま返事が途絶えた。

 どうやら本当に寝てしまったらしい。


「キミもやっぱり寝子なんだね」


 このままじゃ可哀そうなのでそっと抱き上げると、ネージュは目を閉じたまま僕の胸に頭を預けてきた。

 そのままベッドまで運んで、天蓋のカーテンの中にそっと寝かせてやると、ネージュは丸くなって、すうすうと小さな寝息を立て始めた。

 整えたばかりの白い毛が窓から差し込む月の光を浴びてほんのりと光っている。


「おやすみ、ネージュ」


 僕はブラシとマットを衣装棚にしまうと、扉をそっと閉めて、廊下に出た。

 夜の屋敷は静かで、自分の他に誰もいなくなってしまったような気分になる。

 僕は窓から遠い月を見て思う。


 この世界は素晴らしい。

 ネージュは可愛いし、使用人の仲間たちはいい人そうだし。

 ここで買われて良かった。

 本当にそう思っている。


 でも、それでいいのだろうか。

 きっと家族は僕のことを探しているし、友だちも僕のことを心配しているだろう。

 なによりこんな形で人の人生が歪められることは筋が通ってない。

 だから、僕は元の世界に帰らないといけない。


 それがどういう結末をもたらすかはわからないけど。

 ここでの出会いを大切にして。


「明日からも頑張ろう」

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