第42話 武虎という男
冬の朝は冷たい。吐く息が白く溶け、教室の窓ガラスには薄い曇りがかかっていた。
俺はペンを走らせながら、心の中で小さく笑った。
(……やばい、これ、マジで効く)
魔素を脳に集中させると、視界が澄み、理解度が上がる。
公式の意味が直感で理解でき、記憶が水を吸うスポンジみたいに染み込んでいく。
学業については、知力に寄せた身体強化をすることで、理解力や処理能力が大幅にアップすることを発見。
それを使い、成績がぐんぐんと上がっている。
(『直哉、これは本来の用途ではありません』)
耳元でイチカの声が響く。冷静だが、わずかに呆れを含んでいる。
(わかってるけど、これすごいんだよ。昨日の小テスト、自己最高点だぜ?)
(『……魔素修行になるなら、黙認します』)
(だろ? 脳の処理速度も鍛えられるし、一石二鳥ってやつだ)
イチカはそれ以上何も言わなかった。
俺はペンを走らせながら、心の中でガッツポーズを決める。
学業も探索も、どっちも成果を上げる――それが今の俺のテーマだ。
探索の方も順調だ。
砦攻略でレベル12に上がり、昨日の探索で13に到達。
ステータスは大幅に上昇し、魔素量も増えた。
レベル:11→13
体力:37→48
筋力:38→49
敏捷:45→57
器用:30→39
知力:28→38
特殊能力:現象伝導、時穿つ瞳、瞬閃四連撃
内在魔素:185→292
内在魔素:92→136
(『現在、レベル13。
第3層平均に近づきつつあります』)
(レベル10を超えてから、ステータスの上がり方が倍ぐらいになってない?)
(『はい、そのようです。
レベル10までは平均2.8でしたが、10以降は平均4.7です。
これらも第3層と第4層の探索者の力が違う理由の1つだと思われます。』)
(敏捷も57か。アクセル・バーストの速度も上がるな)
俺はスマホを閉じ、深く息を吐いた。
(アクセル・バーストも同時に4連撃まで出来るようになった。夜の部が楽しみだぜ)
夜になれば――藤堂道場の夜の部だ。
そこが、今の俺にとって最大の修練場になる。
* * *
夜の道場は昼とは別世界だった。
畳の匂いに混じる鉄の匂い、空気の重さ、張り詰めた緊張感。
藤堂道場の「裏」と呼ばれる門下生たちには昼の部と夜の部がある。
昼の部は魔素を使い始めた人たちが多く、夜の部は魔素能力者のベテランが多い。
そのため、夜の部では第4層に潜っている探索者も参加しており、とてもレベルが高い。
俺は道場の隅でストレッチをしながら、心臓の鼓動を感じていた。
(……やっぱり、空気が違う)
第3層の探索者なら、今の俺でも五分に渡り合える。
だが、第4層の連中は――まるで別の生き物だ。
一歩踏み込むだけで、空気が裂ける。
視線を合わせるだけで、背筋が冷える。
「神谷、準備はいいか?」
藤堂武虎――心眼流迅術の使い手であり、俺の友達でありライバルだ。
今のところ模擬戦では俺が全敗している。
原因は魔素量だ。
身体強化が途中で切れてしまうこと、そして武虎の身体強化の使い方がうまいこと。
ステータス差は縮まってきたが、魔素量の差が圧倒的で、まだ勝てない。
俺は立ち上がり、深く息を吐いた。
「よし、今日こそ勝つ!!」
武虎が笑う。
「お、今日はやる気だな。負けたらジュース奢りな」
「勝ったら倍返しだ」
軽口を交わしながら、畳の中央へ歩み出る。
* * *
お互いが身体強化を発動し、魔素が渦巻く。
「始め!」
号令と同時に、武虎が踏み込む。
掌底が風を裂き、俺の胸を狙うが、ほんの少しだけ体を動かし打点をずらす。
「お、今日は本気モードか?」
武虎が笑う。
「当たり前だろ。そろそろ一発くらい入れたいんでな!」
攻防が始まる。
掌底を受け止めるたび、骨が軋む。
(……まだ押されるか!)
俺は呼吸を整え、次の一手を試す。
(イチカ、最上さんが言ってた強度のやつ、できるか?)
(『了解。魔素の出力をサポートします』)
白いオーラが瞬時に凝縮し、炎の揺らめきが爆ぜて、噴き上がる奔流へと変貌する。
ゴォウッ――低い轟音が空気を震わせ、圧縮された力が肌を焼き、血管を駆け抜ける。
(……これが“強度”か!)
次の瞬間、俺は踏み込み、武虎の掌底を弾き返した。
白いオーラが噴き出すように揺らめき、腕に力が宿る。
「おっ、やるな!」
武虎が笑う。
俺はさらに一歩踏み込み、拳を鳩尾へ――武虎がわずかに後退する。
(……いける!)
その一瞬だけ、俺が優勢だった。畳が軋み、空気が震える。
武虎の口元がわずかに笑う。
「お前、急に強くなったな。チートでも使ったか?」
「努力だよ、努力!」
だが――代償は大きかった。
(『内在魔素の消費率が通常の3倍です』)
(わかってる……でも、今は押し切る!)
攻防を続けるうちに、内在魔素の残量が半分を切った。
このままだと押し切れる感じがしない。
(……もう一手、見せるしかない)
(イチカ――やるぞ!)
(『合わせます。時穿つ瞳発動』)
直哉の左目に幾何学模様が浮かび、燐光が瞬いた。
世界が粘性を帯び、水中のようにゆっくりと動き出す。
武虎の動きが鈍り、掌底の軌道が見える。
俺は敏捷特化の身体強化を最大まで引き上げ、踏み込んだ。
「アクセル・バースト!」
青いオーラが爆ぜ、空間に青の軌跡を刻む。
1閃、2閃、3閃、4閃――
肩、鳩尾、脇腹、膝。
不可避の連撃が空間を裂き、雷鳴のような衝撃が畳を震わせる。
だが――
武虎の口元が、ほんのわずかに笑ったように見えた。
瞬閃四連撃を発動した瞬間、俺の世界は加速し、武虎に俺の動きが見えない――はずだった。
なのに、武虎には余裕があった。
それを証明するように、白いオーラが黄色く変わり、まるでゴムを殴ったように衝撃が通らなかった。
有効打撃が入ったのは肩だけだ。
「神谷が何か企んでるのはわかったが、まさか見えないほどの神速の攻撃とは驚いた」
武虎は肩を軽く回しながら笑う。
「でも、オーラを防御に寄せれば、あとは気合でなんとかなるんだよ!」
その言葉と同時に、武虎が反撃する。
武虎が素早く前へ踏み込む。
俺は拳を構えたまま応じるが、身体強化の残り時間が急速に削れていくのを感じる。
身体強化の強度を高めたことで魔素の消費は激しく、時穿つ瞳でさらに限界が近い。
(……やばい、もう切れる!)
武虎はそれを見抜いていた。
「ほら、足が止まってるぞ!」
掌底が肩を打ち、俺は踏み込みで応戦するが、次の瞬間には武虎の膝蹴りが鳩尾をかすめる。
畳が軋み、息が詰まる。
俺も拳を返すが、黄色いオーラに阻まれ、衝撃は吸収される。
攻防が続く――3合、4合、5合。
そのたびに、俺のオーラは薄れ、動きが鈍る。
(……やばい、これ以上は)
最後の掌底が頬を打ち、視界がぼやける。
決着は、武虎の冷静な間合い管理と、俺の魔素切れによって静かに下された。
* * *
「……くそ、また負けた」
俺は畳に倒れ込み、荒い息を吐いた。
武虎が笑って手を差し伸べる。
「でも、面白かったぜ。お前、確実に強くなってる」
「強くなっても勝てなきゃ意味ねぇよ」
「そう簡単にやられてたまるかよ。
それに昼の部じゃ、そこそこいいとこまで行けるようになったんだろ?」
「まぁね」
俺は武虎の手を握り、立ち上がった。
「次は勝つ」
「その意気だ。でも負けたからジュース奢りな」
「くっそ!!」
笑い合いながら、次こそはと心の奥で決意を固めていた。




