第29話 ロマン
昼休みの教室は、いつものざわめきに包まれていた。
窓際の席で弁当を広げながら、俺はふと外を眺める。
青空に浮かぶ雲が、どこかのんびりと流れている。
――こういう日常も悪くないな。
(『直哉、平穏を満喫しているようですね』)
(まあな。こういう普通の生活も大事だろ)
(『ですが、あなたは第3層まで踏破した探索者です。統計的には、平穏とは対極です』)
(……お前、言い方が皮肉っぽいぞ)
(『事実を述べただけです』)
そんな念話を交わしていると、前の席の佐藤が振り返った。
「なあ神谷、最近探索どうなん?」
――来たな、この話題。俺からは言わないつもりだったけど、聞かれたら答えるしかない。
「まあ、ぼちぼちかな」
「ぼちぼちって……どこまで行ったんだよ?」
「第3層まで」
「は!? マジかよ!」
佐藤の声が少し大きくなり、周囲の数人がこちらを見た。
「第3層って、すげー本格的じゃん! やばくね?」
「すげえな神谷。俺なんてまだ第1層でスライム狩りだぞ」
「いや、運が良かっただけだって」
――控えめに言ったけど、内心はちょっと誇らしい。
(『直哉、声のトーンが半音上がっています。自慢モードですね』)
(いいだろ、たまには自慢させろよ)
「第3層って、どんな感じなんだ?」
「広い草原だな。モンスターも強いけど、景色がきれいでさ」
「うわ、いいなあ……俺も早く行きたい」
「どんな敵が出るんだ?」
「ゴブリン系とか、ちょっと魔法使うやつもいる」
「魔法!? やば!」
「戦闘どうしてんの? バットで殴るだけ?」
「まあ、基本はそうだけど……素の身体能力がやばいんだよ、自分でも引くくらい」
「たしかに、お前最近体育とかの動きやべぇよな!」
男子たちが机を囲み始める。質問攻めに遭いながら、俺は苦笑いで答える。
「あれでも結構抑えてるんだよね。周りからやりすぎるなって言われててさ」
「そういやお前、筋肉ついたんじゃね?」
「まあ、多少はな」
「見せろよ!」
――え、ここで?と思ったが、ノリで腕をまくってみせる。
「ほら」
「おお、カチカチじゃん!」
「すげえ、前より太くなってる!」
その声に、近くの女子がちらっとこちらを見て、興味ありげに近づいてきた。
「え、神谷くん、腕すごーい!」
「ちょっと触っていい?」
「え、あ、まあ……」
女子の指が俺の腕を軽く押す。
「ほんとだ、固い! すごーい!」
――やばっ、なんか恥ずかしいけど悪くない。
(『直哉、心拍数が上昇しています。これは戦闘ではなく、別の刺激によるものですね』)
(うるせえ!)
昼休みが終わり、午後の授業が始まる。ノートを取りながら、俺は心の中で次の週末の予定を思い浮かべていた。
――藤堂の道場。必殺技の話、聞けるかな。
(『直哉、顔がまたにやけています』)
(……うるせえって)
* * *
週末、俺は電車を乗り継いで、藤堂の道場へ向かっていた。
駅から少し歩くと、古びた木造の建物が見えてくる。表札には「藤堂心眼流迅術」と墨で力強く書かれていた。
――やっぱり雰囲気あるな。
引き戸を開けると、木の香りが鼻をくすぐった。
裏道場では数人の門下生が稽古をしていて、打ち込みの音が響いている。
「お、来たな」
奥から現れたのは藤堂武虎。
黒い道着に身を包み、汗で額が光っている。相変わらず、筋肉の密度がすごい。
「よっ、トラ」
「よっす。元気そうだな」
「まあな。学校も探索も、どっちも充実してる」
「いいことだ」
武虎は笑ってタオルで首筋を拭いた。
「で、今日は何しに?」
「ちょっと聞きたいことがあってさ」
「ほう?」
「この前のボス戦で見せた技――断裂猛襲ってやつ。あれ、どういう仕組みなんだ?」
武虎は一瞬、口角を上げて笑った。
「もう見せちまったしな。隠す理由もねえか」
彼は腰を下ろし、俺も座って向かい合う。
「断裂猛襲はな、簡単に言うと――魔素を纏わせて身体能力を極限まで強化する技だ」
「魔素を……消失させるやつ?」
「そう。身体能力を大幅に強化した上で、触れたものを消滅させる。最終的には、触れた瞬間に何も残らないのが理想だ」
「防御不能ってことか」
「そういうことだ。ただな――現状じゃ、攻撃以上の魔素量で防御されると、消失効果が薄れる」
「なるほど……」
「だから、レベル上げも大事だが、魔素量を増やすのが課題でな」
武虎は腕を組み、少し遠くを見るような目をした。
「それに、まだ修行中だ。発動に時間がかかる。
だから普段は、手だけに具現化した断裂掌を使ってる」
「あぁ、だからいつもは断裂掌を使ってるのか」
「ああ。あれなら溜めも少ないからな」
武虎は立ち上がり、軽く構えた。
「見せてやるよ」
次の瞬間、彼の右手が淡い光を帯び、空気が震えた。時折バリバリと走る黒い稲妻がカッコいい。
「……すげえ」
「これが断裂掌だ。まだまだ未完成だがな」
「で、断裂猛襲は飛び道具にもなる」
「飛び道具?」
「ああ。虎の形をした魔素を飛ばすんだ。今は目標にしか飛ばせねえけど、いずれ自在に操れるようにする」
「虎が飛んでくるとか、めちゃくちゃカッコいいじゃん」
「だろ?」
武虎は笑った。
俺は目を輝かせながら聞いていた。
――こういう必殺技、やっぱ憧れるよな。
「羨ましいな……俺もそんな技ほしい」
「お前もすごいよな」
「え?」
「戦闘中に目が光って、異様な回避能力見せてたろ。あれ、なんだ?」
――来たか。
「時穿つ瞳っていう魔眼だ」
「……魔眼?」
武虎が眉をひそめる。
「なんだそれ、アニメっぽい名前だな」
「まあ、実際そういうノリだな」
「目が光るのが魔眼なのか?」
「いやいや、違うって!」
俺は思わず身を乗り出した。
「魔眼っていうのは、アニメとかゲームでよくある特殊能力だ。
目に宿る力で、世界の理をねじ曲げるんだよ。例えば――」
指を折りながら、俺は熱弁を始める。
「時間停止とか、未来視とか、相手の動きをスローに見せるとか。『コード○○○』とか『写○眼』とか、そういうやつ!」
「……お前、めっちゃ詳しいな」
「当たり前だろ!昔から憧れてたんだよ。目が光って、敵の攻撃を全部見切るとか、カッコよすぎるだろ」
「ふーん……で、お前のは?」
「俺のは、時間を操作できる。正確には、体感速度を上げて、周りの動きが遅く見えるんだ」
「遅く見える?」
「そう。相手の動きがスローに見えるから、回避も攻撃も余裕になる。アニメでいう『時を止める能力』の簡易版みたいなもんだ」
「なるほどな……ロマンあるな」
武虎は腕を組み、少し笑った。
「そういうの、俺も欲しいわ」
「だろ?魔眼は男のロマンだ」
「お前、完全にオタクだな」
「うるせえ!」
(『説明に熱が入りすぎています。声のボリュームが上昇中です』)
(いいの!)
* * *
「よし、話はわかった。じゃあ、模擬戦でもするか?」
武虎が立ち上がり、木刀を手に取る。その動きは無駄がなく、獣のような迫力がある。
「今日も全力でいくぞ」
「望むところだ」
中央で構えを取る。
俺も木刀を握り、深呼吸。
魔素を流し込み、身体強化を発動する。筋肉が熱を帯び、視界が鮮明になる。
――今回は、少しでも食らいついてやる。
「始め!」
武虎が踏み込む。
速い――だが、見慣れた動きだ。
俺は木刀を横に払って受け流す。衝撃が腕に響く。
「悪くねえな」
「そっちこそ!」
打ち込み、回避、反撃。
何度も繰り返した攻防だが、武虎の精度はさらに上がっている。
俺も必死に食らいつく。
「前より反応速えな」
「お前もな!」
だが、時間が経つにつれ、差が出る。
武虎の動きは衰えない。魔素の流れが安定している。
――くそ、身体強化が切れそうだ。
(『魔素残量が限界値に近づいています』)
(わかってる……でも、もう少し!)
最後の一撃を振るうが、武虎の木刀が俺の肩を軽く叩いた。
「そこまで!」
息が荒い。膝が笑う。
「……また負けたか」
「悪くなかったぞ。前より粘ったな」
武虎が笑って木刀を下ろす。
「でも、やっぱり魔素量の差だな。お前、動きはいいけど、燃料が足りねえ」
「わかってる……」
――悔しい。でも、確かに成長はしている。
そのとき、道場の奥から重い足音が響いた。
「ほう……腕を上げたな」
低く響く声。
振り向くと、藤堂柳太郎が立っていた。
武虎の父、そして心眼流の宗師。
「あ、こんにちは」
「前に見たときより、ずいぶん雰囲気が変わってる。死線を潜ったな」
「……まあ、ちょっとは」
「その経験は、技に染み込む。忘れるな」
柳太郎の眼光は鋭いが、言葉には温かさがあった。
「はい」
――死線。
確かに、あのボスゴブリン戦、そしてそのあとの脱出は命がけだった。
あれが、今の俺を作ったんだ。
柳太郎は武虎へ視線を移す。
「武虎も油断するな。彼は伸びるぞ」
「わかってる」
武虎が笑う。俺も笑った。
悔しさと、少しの誇りを胸に。
* * *
道場を後にした俺は、夕暮れの街を歩いていた。
筋肉が心地よい疲労を訴えている。
あの後、武虎を含め他の人とも模擬戦をした。
負けた回数の方が多いけど、以前より良く戦えるようになった。
トラの親父さんに褒められたのも、ちょっと嬉しい。
『心拍数が安定しました。戦闘モード解除を確認』
「お前、いちいち報告しなくていいから」
『では、雑談モードに移行します』
「雑談モードってなんだよ」
夕焼けに染まる道を歩きながら、ふと思いついた。
「なあイチカ」
『はい』
「時間を操作する必殺技、作れたらカッコいいよな」
『既に時穿つ瞳がありますが』
「いや、もっと派手なやつ。例えば――」
俺は手を広げ、空想を語り始める。
「敵が10人いて、一瞬で全部止めるとか。時間を切り裂いて、斬撃が未来から飛んでくるとか」
『それは物理法則を無視しています』
「ロマンだよ、ロマン!」
『ロマンを優先する場合、効率は低下します』
「いいんだよ、カッコよければ!」
俺は歩きながら、アニメで見た必殺技を思い出す。
「『時の牢獄』とか、『クロノ・ブレード』とか、名前だけで燃えるだろ?」
『名称の厨二度は高いですが、実用性は不明です』
「お前、夢がねえな」
『私は合理性を重視します』
「でも、ちょっと考えてみてくれよ。時間を止めるだけじゃなく、時間を切り裂く攻撃とか、できない?」
『理論上、魔素の流れを極限まで圧縮すれば、局所的な時間歪曲は可能です』
「おお、できるのか!」
『ただし、現状の内在魔素では不可能です。最低でも現在の10倍以上が必要です』
「10倍か……まあ、目標にはなるな」
『その意欲は評価します』
俺は笑った。
夕焼けの中、未来の必殺技を妄想しながら歩く――そんな時間も悪くない。




