第26話 死地への突入
第3層の草原は、どこまでも広がる緑の絨毯だ。
遠くに朽ちた石塔が点在し、風が吹けば草が波のように揺れる。
空は薄曇りで、時折、雲間から差し込む光が地面を照らす。
何度もこのフィールドに足を運んでいる俺たちにとって、景色はもう珍しくない。
だが、油断はしない。ここは第3層だ。
第2層までの“バイト感覚”とは違う。
死地を踏む覚悟がなければ、すぐに草の肥やしになる。
(『ダンジョンでは死にませんよ』)
(「少しは酔わせてくれよ」)
イチカのツッコミに少し萎えながらも、俺は深呼吸し、草の匂いと獣の気配を感じ取る。
遠くで風に乗って、かすかな金属音が響いた。
武虎が鉈を肩に担ぎ、低く構えた。その姿は、何度見ても頼もしい。
彼の戦闘スタイルはシンプルだ。
鉈で切り裂き、必要なら素手で断裂掌を叩き込む。
(『直哉、前方30メートル。ゴブリン4体。
2体は短剣と盾、残りは槍と弓。
弓兵の射線を予測します。
回避タイミングを指示しますので、身体強化を維持してください』)
イチカの声が脳内に響く。冷静で、どこか機械的な響き。
でも、最近は妙に人間っぽい言い回しをすることが増えた。
俺はうなずき、金属バット(紅蓮の豪撃)を握り直した。
腰のホルダーには、ヤスからもらった発明品がセットされている。
どれも便利だが魔石をエネルギー源にしているから、使いすぎると後が怖い。ここぞという時だけだ。
「行くぞ、神谷」
「了解」
武虎が草を蹴り、疾風のように前へ。
鉈が唸りを上げ、盾持ちゴブリンの腕を一刀両断。ポリゴンが草に散る。
俺も身体強化を全開にし、弓兵の矢をイチカの指示でタイミングよく回避。
矢が空を裂く瞬間、イチカの声が飛ぶ。
(『右へ2歩、今!》)
俺は反射的に動き、矢が頬をかすめて草に突き刺さる。心臓が跳ねるが、動きは止めない。
「スモーク!」
直哉の掛け声に反応して、イチカがホルダーを操り煙幕弾を射出、弓兵の視界を遮る。
白煙が草原に広がり、ゴブリンの動きが鈍る。
「今だ!」
武虎の声に合わせ、俺はバットを振り抜く。
鈍い衝撃とともに、槍持ちゴブリンの頭が地面に沈む。
(『残り2体。弓兵は視界不良、槍兵は動揺中』)
「槍は俺がやる!」
武虎が鉈を逆手に構え、槍兵に突進。
俺は弓兵に接近し、バットで弓を叩き折る。
ゴブリンの顔に恐怖が浮かんだ瞬間、俺は一撃で沈めた。
草原に静寂が戻った。
風が草を揺らし、ポリゴンを散らしていく。
俺は荒い息を吐きながら、スマホを取り出した。
画面をタップすると、見慣れたUIが表示される。
【神谷直哉のステータス】
レベル:10
体力:32
筋力:34
敏捷:39
器用:25
知力:23
特殊能力:現象伝導、時穿つ瞳
内在魔素:103 / 141
内在魔素:51 / 60
数字を見た瞬間、胸の奥がじわりと熱くなる。ついに、レベル10。
この世界で「一人前」と呼ばれるラインに、俺は到達した。
「おお、レベル10か! おめでとう!」
武虎が鉈を草に突き刺し、ニヤリと笑う。声には素直な驚きと喜びが混じっていた。
「おぅ、サンキュー! これで一人前なのか」
「一年で第3層って、普通じゃねぇんだよ! 俺なんか数年かけてんだぞ!」
武虎は笑いながら俺の肩を軽く叩く。
「しかも、ここ半年で2層、3層と来たんだろ。 お前、急に伸びたよな」
武虎は感心したように眉を上げる。俺は曖昧に笑ってごまかした。イチカのことは秘密だ。
(『事実です。あなたの成長率は統計的に異常値です』)
(「……うっせ。」)
(『褒め言葉です』)
念話で返す俺を、武虎は不思議そうに見ていたが、何も言わなかった。
「で、内在魔素は?」
「141」
「おお、悪くねぇじゃん! 3層来た時は100なかったよな?」
「だな。たしか80ぐらいだったと思う」
「ちょっと成長しすぎじゃねぇか?」
「はっはっは、才能だ! トラの内在魔素ってどのくらいになったんだ?」
「聞いて驚けっ、557だ!」
「……化け物かよ。」
「努力の結果だ、努力の!」
武虎は胸を張り、得意げに笑った。
* * *
「ふぅ、結構進んだな」
武虎が草にドサッと座り込む。俺も腰を下ろし、ホルダーから例の発明品を取り出した。
変換装置。
名前はふざけているが、性能はガチだ。ヤスが魔石を使って作った発明品で、戦闘後の栄養補給に最適。
しかも、最近バージョンアップされた。
カツ丼だけじゃなく、親子丼とカレーも作れるようになったのだ。
――そのバージョンアップは、数日前にヤスとファミレスで会ったときのことだ。
「ナオヤ氏、カツドン・メーカーをバージョンアップしましたぞ。」
「なになに、厚切りカツ丼とか?」
「むふふふ、親子丼とカレーもいけるようになりました」
そう言って、ヤスは得意げに笑っていた。
俺はその時、心の中で「カツドン・メーカーじゃないじゃん」と突っ込んだが、ありがたいことに変わりはない。
「トラ、何にする?」
「カツ丼くれ」
と魔石を渡してくる。
「んじゃ俺はカレーだな」
魔石を握りしめながら、俺は装置を起動する。
魔石が淡く光り、瞬時に湯気を立てるカツ丼とカレーが出現する。
「……うまっ。」
一口食べた瞬間、思わず声が漏れる。
スパイスの香りが鼻を抜け、疲れた体に染み渡る。
「最高だな! これ、家でも欲しいわ!」
武虎はカツ丼をかき込みながら、目を輝かせている。
心なしか筋肉も躍動しているように見える。
* * *
「なあ、神谷。」
武虎がカツ丼を食べ終え、真剣な目を向けてきた。
「近くにゴブリンの集落がある。攻略してみないか?」
「……集落って、この前行ったあの?
ゴブリンが大量にいたよな?」
(『1度だけ訪れたことがある集落には43匹のゴブリンが生息していました』)
(「おいおい、やばいじゃん」)
「死地を経験するほど、内在魔素の伸びはいい。
ここでは死なないんだ。なら、機会があれば挑むべきだろう。」
その言葉に、イチカがすぐ反応する。
(『危険です。現時点での成功率は低いので推奨できません』)
「死ぬのはさすがになぁ。」
こう見えても直哉も戦闘経験を積んできており、骨折もしばしばだ。
だがまだ死んだことはない。
「危険に飛びこまないと、強くなれないぜ!
俺は2度死んだことがあるけど、どっちも魔素が1割増えたぜ。
もちろん死にたいわけじゃない。勝算もちょっとはある!」
「ちょっとかよ!」
武虎の声は力強い。俺はカレーを食べながら、しばし考えた。
――死地を踏む覚悟。生き返るとはいえ、死ぬのは怖い。怖いが…
「……わかった。やろう」
「よし! 燃えてきた!」
武虎が笑みを浮かべる。その笑顔は、嵐の前触れのように見えた。
* * *
食事を終えた俺たちは、草原の奥に見えるゴブリン集落を双眼鏡で覗き込んだ。
そこには、粗末な木柵で囲まれたエリアと、見張り用の櫓が3つ。
中央には焚き火の煙が立ち上り、簡易な小屋が並んでいる。
ゴブリンたちの声が風に乗って届く。
「……結構でけぇな。」
武虎が低く唸る。
「見張りは櫓に3体、柵の周りに5体。中には30以上いるな」
「正面突破は無理だな」
「当たり前だろ。スニークで行く」
武虎の目がギラリと光る。こういう時のこいつは、妙に楽しそうだ。
(『直哉、最初に櫓の敵を排除してください。視界を確保しない限り、隠密行動は困難です』)
(了解。)
(『発明品のホルダーを確認してください。』)
俺は腰のホルダーを開き、魔石を限界までチャージする。
ヤスのバージョンアップによって、ホルダーは11までチャージ可能だ。
すべての発明品にもチャージ済みだ。
(『準備完了。残り魔石は3個です。節約を推奨します』)
(わかってる。)
「まずは櫓からだな。」
「でも、どうやってバレないようにやるんだ?」
「こう見えても、ウチの流派は小器用でね。」
とリュックから手斧を取り出す。
「おぉーー、まじか」
「外れないことを祈ってくれよ」
武虎は手斧を握り、笑った。
その笑顔が嵐の前触れに見えたのは秘密だ。
* * *
俺たちは草原の影を縫うように進む。膝をつき、草をかき分け、音を殺す。
遠くでゴブリンの笑い声が響く。焚き火の煙が空に溶けていく。
(『左の櫓、敵1体。弓装備。視界は広いが、死角があります』)
(死角?)
(『左前の建物の影からなら、櫓の裏側までたどり着けます。そこから手斧で倒すのが最適でしょう』)
俺はうなずき、武虎に伝える。
武虎はちょっと驚いた顔をしながら笑みを浮かべる。
できるだけ足音を殺し、イチカのナビゲートに従う。
バレることなく櫓の裏にたどり着き、武虎が手斧を投げる。
手斧は吸い込まれるようにゴブリンの延髄にあたり、ゴブリンはポリゴンになって散る。
「1体、完了。」
(『良好です。次は中央の櫓に行きましょう。こちらも見つからずに行けるルートがあります』)
櫓に上り手斧を回収し、次のルートを指し示す。
お互いにうなずき合い、中央の櫓を目指す。
イチカのナビゲートに従い、順調に3つの櫓を落とした俺たちは、柵の隙間から内部へ。
ゴブリンたちは焚き火の周りで騒いでいる。まだ気づかれていない。
(『次は孤立した個体を優先してください』)
武虎と目で合図し、身体能力を発動。
トップスピードで接敵し、声を上げる暇も与えず直哉と武虎でそれぞれを叩きのめし切り裂く。
――順調だ。
だが、中央に近づいた瞬間、ゴブリンの1体がこちらを見た。
目が合った瞬間、大声を上げる。
その暫くあと、鐘が鳴り響く。
「……バレた!」
「やっちまえ!」
武虎が吠え、鉈を構える。
* * *
鐘の音が草原を震わせる中、ゴブリンたちが次々と集まってくる。
焚き火の周りで騒いでいた奴らが武器を手に取り、こちらに殺到する。
「くそっ、早ぇな!」
武虎が鉈を構え、歯を食いしばる。俺もバットを握り直し、イチカの声を聞いた。
(『直哉、まずは数を減らしてください。退路確保が最優先です』)
「了解!」
俺はホルダーから無限拘束を取り出し、左側の集団に向って投げる。
鋼鉄の網が広がり、2匹のゴブリンを絡めとる。
それに巻き込まれるように数匹のゴブリンも動きが止まる。
「今だ!」
武虎が鉈を振り抜き、拘束されたゴブリンの首を一撃で落とす。
ポリゴンが草に飛び散る。
「次、右だ! クリムゾン・インパクトっ!!」
イチカが変幻武器を起動し、バットをハルバード形態に変形。
エネルギーで形成されたハルバードを振り回し、右側のゴブリンの集団を牽制する。
(『良好です。左側に2体接近』)
「トラ、左!」
「任せろ!」
武虎が鉈を逆手に構え、拘束されているゴブリンを片付ける。
そして草を蹴って突進。近づいてきたゴブリンの腕を切り落とし、返す刃で首を裂く。
「どうだっ!」
だが――倒す数以上にゴブリンが湧いてくる。
柵の奥から、さらに10体以上が走り出てきた。
「くそっ、キリがねぇ!」
「だめ」だっ、退くぞ!」
武虎の声に、俺は頷いた。
俺たちは建物を乗り越え、出口へ退却を始める。
だが、背後から矢が飛び、俺の肩をかすめた。
「っ……!」
(『直哉、煙幕弾を使ってください。視界を遮断します』)
「了解!」
俺は煙幕弾を投げ、白煙が広がる。
視界が曇り、ゴブリンたちの動きが鈍る。
「トラ、右へ!」
「わかってる!」
俺たちは煙の中を駆け抜ける。だが――その時、イチカの声が再び響いた。
(『左側にマジシャン出現。壁を生成していますっ!』)
「マジかよ……!」
視線を向けると、左のゴブリンが地面に手をかざし、土の壁が隆起する。
退路が塞がれ、さらに高台が形成され、弓兵がそこに陣取る。
「やべぇな……!」
「右にもいる!」
武虎が叫ぶ。右のゴブリンは杖を掲げ、巨大なファイヤーボールを生成中だ。
「防げ!」
俺は防御壁を展開。
青色の半透明なエアバックが火球を受け止め、爆風が草を焼き焦がす。
熱気が頬を刺す。
「くそっ、囲まれてる!」
「神谷、走れ、全力だ!!」
武虎の声が焦りを帯びる。
俺は壁を乗り越えようとするが――大地魔法のマジシャンが上手すぎる。
新たな壁が立ち上がり、高台が次々と形成される。
進路はどんどん狭まり、ゴブリンの群れが迫る。
「うぉぉぉぉ!!」
武虎が雄たけびを挙げ、断裂掌で壁の根本を削る。
壁は即席なためか、そこまで厚くないようで何とか脱出路を確保する。
「こっちだ、抜けられるぞっ!!」
その時、正面から雄叫びが響いた。
低く、重く、地面を震わせる声。
視線を向けると――2つの頭を持つ、通常より二回り大きなゴブリンが姿を現した。
筋肉の塊のような体躯、両手に分厚い剣。
「……ボスかよ」
(『誘導されてしまったようです』)
「面白ぇじゃねぇか!」
武虎の笑顔が、戦場の狂気に染まる。
俺はバットを握り直し、息を整えた。




