第139話 ガス抜きの転送装置
是非、ブックマークか評価を。
私にガソリンをください!!
その倉庫は、ラグナの外壁沿いにひっそりと建っていた。
無機質な2階建てで、周囲に目立った看板はない。
外見だけ見れば、交易都市にありがちな倉庫のひとつに過ぎないが――
ここが、現在進行中の物品転送実験の拠点だった。
コンクリート床の中央には、直径1メートルほどの円形装置が設置されている。
壁面には無数の配管と制御盤が張り巡らされ、起動状態を示す淡い光が、規則正しく明滅していた。
「……これが、転送装置?」
神谷直哉が感心したように呟くと、隣のヤスが軽く胸を張る。
「左様ですぞ。現在は、物品転送のテスト段階ですな」
「確か、1回の転送で送れるのは1キロまでで、燃料は魔石を1,000万円分……だったよな?」
直哉の確認に、ヤスは首を横に振った。
「それは対外向けの仕様です。
ダンジョン課が使う正式モデルは別物ですぞ。
こちらは外在魔素を直接取り込む構造になっていますので、燃料は不要。
重量も最大50キロまで対応可能です」
「……おお、全然違うじゃん」
「はい。“大人の事情”とやらで、そうして欲しいと田所殿から依頼されましてな。
外部から解析されないよう、意図的に差異を仕込んであります。
拙者もナオヤ氏からいただいた研究書がなければ、あの機構の発想には辿り着けなかったでしょう」
「なるほど……」
直哉は装置を見つめながら呻いた。性能だけを聞けば、間違いなく革命的だ。
だが、すぐに別の疑問が浮かぶ。
「でもさ、最初はみんなテンション高いだろ?
1キロを何度も転送しようとする人も出てくるんじゃない?」
「まあ、そういう方もいるでしょうな。
しかし多くはありませんぞ。そのための1回1,000万円です」
ヤスは事もなげに言った。
「仮に100キロ送れば、それだけで10億円ですぞ」
「……確かに」
「そして、ご覧の通りこの倉庫は相当広い。
ざっと200メートル四方ですな。
棚と通路を考慮しても、1万から2万トンは十分に収納できます」
「2万トンって……」
「200兆円です」
「に、200兆……」
「仮に日本の国家予算を全力投入しても、2年はかかる計算でござる」
「あー……それなら、転送でいっぱいになる心配はないか」
「ええ。
もっとも、物品検査や管理は相当大変になるでしょうが……その辺りは田所氏の仕事ですな」
* * *
「あっ、神谷さん。いらしてたんですか」
「田所さん、凄い広いっすね。この倉庫」
「ええ。転送装置が本格稼働すれば混乱は避けられませんから。
それを想定して、かなり大きめの倉庫を押さえています」
田所は続けた。
「加えて、安田さんにアイテムバッグも用意してもらっています。
当面の保管には問題ないでしょう」
――これで、神谷さんの転移能力を隠し通せればよいのですが。
その言葉に、直哉は苦笑する。
「やっぱり、俺の能力ってそんなにまずいですか?」
「ええ、とても」
即答だった。
「現時点ではオンリーワンです。
もし社会主義国家に把握されたら……正直、何をされるかわかりません」
「うへえ……まじですか」
「まじです。ですから、本当に注意してください」
「了解っす……」
一拍置いて、直哉は別の疑問を口にした。
「それで、この転送装置、結局何に使う予定なんです?
俺が転移する時も、人が大半で、荷物なんかは殆ど持ち込んだりはしてないですよね」
「現状では、明確な用途は定まっていません」
田所は正直に答えた。
「本来の最終目標は人の転移です。
これは、その過程で生まれた副産物に近い技術でしたから、あまり大っぴらにする予定はなかったんです」
「じゃあ、なんで公開したんです?」
「先日の中国の件、その対策の一つです」
「……中国の?」
「ええ。人道的観点から転送装置をオープンにすべきだ、という主張が出ましたからね。
その“ガス抜き”です」
「なるほど。
じゃあ、この装置って……そこまで重要じゃない?」
「いえ、そんなことはありません」
田所は首を振る。
「少なくとも私の知る限り、物品であれ転移に成功した他国の例はありません」
「えっ、じゃあそんな技術、公開して大丈夫なんですか?」
「根幹技術は非公開です。
仮に解析されたとしても、例の研究書がなければ理解は困難でしょう」
「へえ……」
「これから地球では、多くの転送装置が作られ、研究されるでしょう。
しかし、異世界で転送装置を持つのは、おそらく我々だけ。
つまり、双方向転移が可能なのは我々だけ、ということです」
田所は表情を引き締めた。
「問題は、アンドレさんとエレナさんです。
この倉庫はいずれ地球からの品物で溢れるでしょう。そうなれば、いつまでも秘密にはできません」
「ですよね」
「彼らは転送装置の存在に気づき、地球とコンタクトできることにも思い至るでしょう。
しかし仮に手紙一通送られるだけでも、国際的には大騒ぎです」
「……確かに」
「今の我々には、他国から圧力を受けた際の対抗手段が限られています」
(なあ、イチカ。なんかいい案ない?)
(『提案です。異世界からポーション類を送るのはいかがでしょうか』)
(ポーション? 怪我が治るやつ?)
(『それもありますが、重点はキュアディジーズとキュアブラインドネスです』)
(……なにそれ)
(『前者は病気を、後者は盲目を治すポーションです。特にキュアディジーズは病気を問いません』)
(つまり……)
(『癌でも、完治します』)
(まじか……)
(『各国の有力者に提供し、恩を売る運用が考えられます』)
(……なるほどな)
直哉は田所へ向き直った。
「田所さん、実は――」
イチカの提案を伝えると、場の空気が変わった。
「ラグナには教会がないでしょ。
だから田所さんも知らないと思うんですが、キュアディジーズというポーションは、教会でしか流通してないらしいんです。
ですがこのポーション、通常の病気はもちろん、癌にも効くらしいです」
田所は卓上で指を組み、しばらく考え込んだ。
「……それが事実なら、医療を通じて日本の発言力を大きく高められますね」
「ただ、価格がこちらの価値換算で300万円です」
「300万円……安いですね」
「え、安いんですか!?」
田所は静かに首を振った。
「胡椒300グラムです」
「……え?」
「こちらでは、胡椒300グラムで300万円分の金貨が手に入ります。
どんな病気も、それで治ると言われたら……どう感じます?」
直哉は言葉を失った。
「市場に胡椒を大量投入すれば価格は下がるでしょう。
最悪、倍になったとしても600グラム、日本の価値換算だと3,000円です」
「日本の3,000円がこっちだと300万円……」
「ナオヤ氏は、最初の商談だけであとは来てないから知らないでしょうが、香辛料や調味料は相変わらず大人気ですぞ。
胡椒もですが、カレー粉なんかも飛ぶように売れるでござる。
売ったお金で高純度な魔石を買って、実験を繰り返し、それでこの転移装置もできたのです」
「なるほどなー。
3,000円で癌が治っちゃうんだ……」
「いろいろと考えなければいけないことがありますが、そのポーションの案、素晴らしいと思います。」
田所はきっぱりと言った。
「至急、上層部に報告します。
各国への影響力を確保できれば……神谷さんの存在を明かせる日も来るかもしれません」
倉庫の奥で、転送装置が低く唸り揺れていた。
それに呼応するように、世界の均衡が、静かに揺れ始めていた。




