第1話 スライム日和と黒い箱
「……今日もスライム日和だな」
市庁舎の地下、ダンジョン課のゲート前で、俺は金属バットを肩に担いでぼそっと呟いた。
名前は神谷直哉、17歳。高校2年生。
部活には入っていない。放課後はバイトをしていたが、最近はダンジョン探索を“副業”にしている。
理由は単純。こっちの方が稼げるからだ。
第1層は初心者向けで、スライムやラット程度しか出ない。
倒したモンスターが落とす魔石や素材は、市の換金所で現金化できる。時給換算すれば、コンビニより大分いい。
しかも、ダンジョンでは痛みはあるが死なない。
これは、世界中のダンジョンに共通する“ルール”だ。
致命傷を負っても、一定時間が経てば自動的に外へ転送される。
意識を失っても、血を流しても、死ぬことはない。
だからこそ、ダンジョンは“危険な遊び場”として市民に開放されている。
ゲートにカードをかざすと、淡い光に包まれて転送される。
次の瞬間、俺は石造りの街並みに立っていた。
* * *
第1層は石造りの街並みだ。
中世の様相で、苔むしたりボロボロになっているところもある。
崩れかけた建物、石畳の通路、風化した看板。まるで廃墟のテーマパークのような雰囲気だ。
ただし、転送ゲートの周辺だけは例外だ。
職員が整地していて、見晴らしがよくなっている。
案内板や休憩所も設置されていて、初心者向けの安全ルートが確保されている。
俺はバールを腰に差し、バットを握り直して歩き出す。
ダンジョンには“レベル”という概念がある。
経験を積むことで、筋力・敏捷・精神力といったステータスが数値として表示される。
スマホの専用アプリと連動していて、探索後に数値の変化を確認できる。
俺の現在のステータスは――
レベル:2
体力:13
筋力:12
敏捷:12
器用:11
知力:10
数値は低いが、体感としてははっきりとわかる。
階段を上るのが楽になった。疲れにくくなった。風邪を引かなくなった。
代謝が良くなったのか、肌の調子もいい。
「……まあ、悪くないかもな」
* * *
その日、俺はスライムを10数体倒した。
腕は痛み、足は重い。だが、確かな手応えがあった。
バールのグリップが手汗で滑る。バットの先端にはスライムの粘液がこびりついている。
スライムを倒すと、魔石が落ちる。
魔石は、ただの石だ。拾っただけでは何の価値もない。
だが――意思を込めることで、魔石は変化する。
「水が欲しい」と願えば、水が湧く。
「火が欲しい」と願えば、熱を帯びる。
「食べ物になれ」と願えば、パンになる。
「金属になれ」と願えば、鉄片に変わる。
想像力次第で、魔石は何にでもなる。
ただし、制限は3つ。
1つ、想像力の範囲内でしか変化しない。
2つ、魔石の価値以上の変化は起きない。
3つ、犯罪に使おうとすれば――魔石は消える。
俺の拾う魔石は、せいぜい数百円レベルだ。
コンビニのレジ横に置いてある小物くらいの価値しかない。
それでも、十分な収入だ。
それに魔石自体を使って不思議現象を起こすことも楽しい。
たとえば、湯を沸かすとか、部屋を暖めるとか。
地味だけど、便利だ。
「……そろそろ帰るか」
そう思った矢先、地面が揺れた。
ゴゴゴゴ……
低い音が足元から響き、壁が軋み、天井の石がぱらぱらと落ちてくる。
「おいおい、ダンジョンって倒壊しないんじゃなかったのかよ……!」
崩れたのは、通路の奥。
床が割れ、その下に大きな空間があるように見える。
「……あれ、行けるのか?」
好奇心が勝った。俺は崩れた床の隙間に入り込み、奥へと進んだ。
* * *
崩れた床の隙間から慎重に下へと降りた瞬間、視界が真っ白に染まり、足元の感覚が消えた。
「うわっ……!」
目を開けると、そこは見知らぬ街だった。
石畳の道、尖塔のある建物、空を舞う小型の飛行船――まるでファンタジーの世界そのもの。
だが、周囲の人々は誰一人として直哉に気づく様子がない。
「……俺、見えてない?」
自分の手を見て、息を呑む。半透明になっている。
指先が光に透け、通りかかった人の肩に触れようとしても、すり抜けてしまう。
「え、なんだ……これ?」
困惑しながらも、直哉は街を彷徨う。
どこか懐かしいような、惹かれるような感覚に導かれ、路地裏の奥にある一軒の店へと足を向ける。
看板には文字がなく、ただ魔法陣のような模様が描かれている。
扉をすり抜けて中に入ると、そこは「ザ・魔法道具屋」とでも言うべき空間だった。
棚には色とりどりのポーション、巻物、用途不明の素材――目玉のようなものや、黒い羽根、液体に浸された骨などが所狭しと並んでいる。
カウンターの奥にはショーケースがあり、いくつかのアイテムが厳重に保管されていた。その中で、鎖でぐるぐる巻きにされた黒い箱が目に留まる。
「……なんだ、あれ?」
吸い寄せられるように手を伸ばし、箱に触れた瞬間――
『魔力体との接触を確認』
『**の同調を開始します』
『お名前を告知してください』
「……名前? 神谷直哉、だけど……」
『承認を確認、同調を開始します』
名乗った瞬間、激しい耳鳴りが頭を貫いた。
「っ……!」
こめかみが締め付けられるような痛みに襲われる。
視界がぐにゃりと歪み、直哉はその場で気を失った。
* * *
「おいっ、おい、大丈夫か!?」
誰かの声が遠くから響く。肩を揺すられ、頬を軽く叩かれる感触がある。
「……っ、う……」
神谷直哉はゆっくりと目を開けた。
ぼんやりとした視界の中、石畳の床と、心配そうな顔が見えた。
「気がついたか? 急に倒れてたから、びっくりしたぞ」
探索者らしき男がしゃがみ込み、直哉の顔を覗き込んでいる。
「……俺……なんで……倒れて……?」
頭が重い。記憶が曖昧だ。何かを見た気がする。
どこかにいた気がする。だが、それが何だったのか、思い出せない。
「大丈夫そうか? 無理すんなよ」
「……ああ、ありがとうございます。ちょっと……帰ります」
ふらつく足をなんとか支えながら、直哉は第一層の通路を歩き出す。
帰路につくその背中に、探索者はしばらく心配そうな視線を向けていた。
「スライム倒してそれから、俺何してたんだっけ……」
すこし立ち止まり自分の体を確かめる。特に怪我もなく、体調も問題なさそうだ。
「……まあ、何ともないならいいか」
気を取り直し、ゆっくりと家路につく。
ファンタジーの街並みも、魔法道具の店も、黒い箱も――すべてが霧のように消えていた。
ただ、胸の奥に残る違和感だけが、彼に何かが起きたことを告げていた。




