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水槽少女は立ち上がる  作者: きさきなのは


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4/7

夜は深く、城の離れは静まり返っていた。

蝋燭の火がゆらめく廊下に、そっと影が差し込む。


彼は扉の前で立ち止まり、息を整える。

この屋敷に入ること自体、許されてはいない。

だが、それでも足を止められなかった。


(少しでいい。ただ、顔を見たいだけなんだ……。)


遠くから、かすかな声が聞こえる。廊下の角では勇者たちがまだ起きていた。


「……彼女の過去について、話す必要はあるのか?」


低く抑えた声はライオネルのものだ。


「刺激しすぎるのは危険よ。」とカイ。

「記憶を取り戻すより、今は落ち着いて暮らす方がいいわ。」


「でも、あの子が“何者だったか”を隠し続けるのも……」


ミアが腕を組み、渋い顔で言う。


「いずれ知ることになる。だが今は……まだ早い。」


そう答えたのは勇者本人だった。

焔のような瞳が、一瞬だけ迷いを帯びる。


――その隙を縫って、リュカは音を殺して通り過ぎた。


冷たい石畳の上を踏みしめながら、祈るように歩く。

手の中では、いつか彼女に渡したかった白い花弁が潰れそうになっていた。

(一度でいい…これで終わりにするから...。)

 






リュカは神官だった。


フローレスが水槽に閉じ込められていた頃――

末端の者である彼が、彼女の世話を任されていた。


教会の中で、フローレスは常に“象徴”として扱われていた。

しかし、彼女自身を見ていた者は、どれほどいただろう。


自由に歩けていた頃でさえ、常に誰かに連れられ、無垢なはずの瞳は、いつも戸惑いと困惑に沈んでいた。

そしてある日から、彼女は水槽に繋がれ、眠り続けるだけの存在となった。


初めて会ったときは同じ年頃だった。

けれど今の彼女は、成長を止めてしまったかのように幼い姿のまま――。

リュカにとってフローレスは、偶像でも聖女でもなく、ただの少女だった。

 



部屋の場所には見当がついていた。

離れの一階、一番奥。

リュカは高鳴る胸を押さえながら、バルコニーをよじ登る。


そっと扉を押し開けると、月光が静かに室内へ流れ込んでいた。


窓際のベッドで眠る、白い髪の少女。

薄い寝息。

かすかに動く指先。

頬に落ちる、淡い光。


リュカの胸がじんと熱くなる。


(本当に……外の世界で眠ってるんだな。)


あの日、冷たい水の底で揺れていた少女が。今は、こんなにも穏やかに息をしている。

それだけで、胸がいっぱいになる。


彼は床に膝をつき、花をそっと枕元に置いた。声に出さず、唇だけが静かに動く。


「……おやすみ、フローレス。」

 

だが、その瞬間――


「誰だ!」


廊下の奥からライオネルの声が響いた。扉の隙間から、光が差し込む。


リュカの心臓が跳ね上がる。

(やばい……!)


近づく足音。


彼は急いで部屋の奥に身を隠した。扉が軋む音がして、ライオネルが半身を入れる。

寝顔を確かめ、静かに息を吐いた。


「……何でもないか。」


再び扉が閉まる。

足音が遠ざかる。

リュカはようやく息を吐いた。


震える手を胸に当てる。

(本当に……怖いな、勇者ってのは。)

それでも、彼の顔には小さな笑みが浮かんでいた。

彼女が穏やかに眠っている――

それだけで、十分だった。



リュカはそっと窓を開け、夜風を受けて外へ出た。

遠くで鐘が鳴る。


(いつか...また会えたら...。)


月光の下、少年の姿は静かに闇に溶けていった。

 



――その夜、フローレスは夢の中で、金の光をした誰かが微笑むのを見た。


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