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「おーい、飯の時間だぞ。降りてこい。」
ガルドの声がする。スパイスと油が混ざった、香ばしくてジューシーな香りが腹の虫を鳴らす。
小走りで階段を降り、テーブルの上の皿を見て目を輝かせる。
「今日のご飯、なに」
「これはガパオライスだ。」
フローレスの背丈には少しだけ高い椅子を引き、急いでテーブルにつく。
鮮やかなパプリカの色とひき肉のコントラストが美しい。目玉焼きをスプーンで割るとトロッとした黄身があふれて皿の上に広がる。
ぱちんと手を合わせ簡単なお祈りをすませると、勢いのままバクっと口いっぱいにスプーンを突っ込む。
「ガパオライス...おいしい...。」
満足そうに頬張るフローレス。しっぽがあったなら、きっとちぎれんばかりに振っていただろう。
「もう、ほんとにガルドに懐いちゃったわね。私がご飯作ればよかった。」
口では悔しいと言いながらも、ほほえましい顔でフローレスを見守るカイ。
そうなのだ。フローレスはここに来てから大変ガルドになついた。
おいしい料理を提供してくれるガルドについて回り、無表情だった瞳にはキラキラとした光を携えておやつまでを要求するようになった。
「午後はどうするんだ」
「ねる。」
「外、出てみるか?」
不器用な彼なりにフローレスを可愛がりたいと思っているらしい。
しかし、はたから見るとちまっこい少女にゴツいガルドの組み合わせは危うく事件の匂いがしそうである。
「医者も“軽い散歩くらいならいい”ってよ。
ずっと寝てたんだ、陽の光に当たらなきゃ体が鈍っちまう。」
少女は少し戸惑いながらも、頷いた。
勇者たちは彼女の外出に付き添うことを決め、
彼女のために外套と帽子を用意してくれた。
「教会のフローレス」ではなく、「ひとりの女の子」として歩けるように。
*
街は明るかった。
遠くから聞こえる鐘の音、焼きたてのパンの香り、子どもたちの笑い声。
少女は立ち止まって、息を吸い込んだ。
(……こんな匂い、知らない。)
「変な顔してるわね。」
カイが隣で笑う。そして、買ってきたアイスクリームをあーん、と言いながら食べさせる。
「この辺りは王都の商区画なのよ。魔王討伐の祝賀ムードで、まだ賑わってる。」
確かに、通りには花の飾りや旗があちこちにかかっていた。
“勇者パーティ暁星に栄光あれ”と書かれた横断幕。
人々は笑顔で行き交い、屋台の音が響く。
「へいわ...。」
少女がぽつりと言うと、ミアが少し微笑んだ。
「そう見えるだけ。でも、まあ……久しぶりに“普通”を感じられるのは悪くないわね。」
少女は頷き、通りを見渡した。子どもが風船を持って走っていく。
夫婦らしき二人が腕を組んで笑っている。
(いいな、こういうの。)
そう思った瞬間――
「……あの方を見て!」
小さな声が耳に刺さった。
視線を向けると、通りの向こうで女性がこちらを見つめていた。
彼女の隣の老人も、少年も、次々に立ち止まり、ざわめきが広がる。
「フローレス様……?」「奇跡の巫女だ……!」
その言葉が広がるのに、時間はかからなかった。少女の足がすくむ。
まるで見えない手が自分を囲い込むような感覚。
「――帽子を深くかぶれ。」
ライオネルが即座に低い声で言った。
彼の表情は穏やかだが、その目だけが鋭く光っている。
「行こう。」
ミアが少女の手を握り、屋台の裏道へと導いた。
人々の視線が背中を刺す。
祈りの声が、追いかけてくる。
「フローレス様、どうか祝福を――!」
「その微笑みを……もう一度……!」
少女は胸の奥がひどく痛くなった。
(わたし、そんなもの……与えられないのに。)
裏通りに入り、ようやく人の声が遠ざかった。
ガルドが息を吐く。
「やれやれ、すげぇ人気だな。まるで歩く聖遺物だ。」
カイが苦い顔で肩をすくめる。
「信仰ってやつは便利よね。都合のいい偶像を作り、縋りつく。教会が崩れても、民は自分で新しい“神”を探すだけよ。」
ライオネルは黙っていた。
ただ、少女の肩にそっと手を置き、静かに言った。
「怖かったか。」
少女は少し間を置いて、ふるふると首を振った。
「私は、だれなの。」
ミアが優しく微笑む。
「フローレスはフローレスだよ。
神様でも祝福を与えるだけの人形でもない。自分の生き方を一緒に探していこう。」
少女は黙って頷いた。
彼女の手はまだ震えていたが、その瞳には確かに“人の色”が宿っていた。




