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水槽少女は立ち上がる  作者: きさきなのは


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2/7

静寂が満ちていた。


祭りの喧騒が遠く霞むほど、教会の奥はひっそりと静まり返っている。


高い天井から差し込む光は、青い水を通してゆらゆらと揺れ、

その中心――透明な水槽の中で、一人の少女が眠っていた。


透きとおる白い髪が水中に広がり、閉じたまぶたの下には穏やかな影。

まるで永遠に時を止めた聖女のように、美しく、そして儚い。


「……これが、“フローレス”か。」


勇者ライオネルの声が、水音のように響いた。


後ろには、仲間たち――ミア、カイ、ガルドが並んでいる。


「神の器、ってやつね。思ってたより……普通の女の子じゃない?」

ミアが肩をすくめる。


「普通じゃねえだろ。これ、息してんのか?」


ガルドが眉をひそめた。


その横でカイが腕を組み、ため息をつく。


「まったく……お姫様を連れ帰るとか聞いてないわよ、勇者ちゃん。アタシたち、護衛のはずだったのに。」


勇者は答えず、水槽の前に膝をついた。

指先をガラスに触れると、わずかに水面が波打つ。


そのときだった――

少女のまつげが、かすかに震えた。


「……」


水の中で、目が開かれた。


光を知らぬような、透きとおる灰青の瞳。


視界に映った勇者を見つめ、少女は小さく唇を動かした。


「――だれ、……?」


声はかすれて、泡に溶けた。

次の瞬間、封じられた水槽が静かに解かれ、聖なる光がぱっと広がる。


彼女の身体が抱き上げられ、外の空気に触れた。フローレスはわずかに身を震わせ、息を吸い込む。それは、まるで世界に初めて触れた人間の呼吸だった。


勇者は静かに言った。


「……ようこそ、フローレス。ここからが“お前の世界”だ。」




数日後――

フローレスは煙の臭いと共に目が覚めた。

だが「自分が誰なのか」も、「なぜここにいるのか」も思い出せない。


辺りを見渡すと、高価そうだが趣味の良い家具の数々。壁には本が一面にずらりと。部屋にはカーテンの隙間から柔らかな光が差し込む。


ベランダには煙草をくゆらすオレンジ髪の男がいた。


「あなたたちは、だれ。ここは、どこ。わたしは、だれ。」


「ねえ、喋ったよ。意識がはっきりしてきたのかね」


フローレスが言葉を発すると、周りにいた大柄な4人組がわらわらと集まってくる。


「だが、驚いた。...記憶もないのか。

...俺たちは魔王ってやつを倒した勇者パーティー、暁星(あけぼし)。お前の名はフローレス。

教会の中の水槽にいたの、覚えているか?ここは城の離れだ。

まあ、ゆっくり慣れてくれればいい。俺はライオネル。勇者だ。よろしくな。」


ニカッと眩しい笑みを浮かべる彼には敵意など微塵も感じられない。ホワッと暖かな感情が胸に広がる。


「ミアって呼んでー!戦士だよ!。よろしくね。」

猫耳の付いたショートカットの女の子が、わしゃわしゃと頭をなでてくれる。


「アタシはカイよ。魔術師なの。こんな喋り方だけどバイよ。」


「ガルド。...料理人だ。」


全員が暖かく彼女を囲んでいる。初めてのことだらけの彼女は、無表情な瞳を困惑したように揺らした。


彼女は少しずつ、人としての感覚を取り戻していった。

ミアに服を着せてもらい、ガルドに食事の仕方を教わり、カイには髪を梳かされながら「お姫様、可愛いわねぇ」と茶化され、ライオネルには「無理するな」と短く気遣われる。


世界はまぶしい。


外の空気は暖かく、風が頬を撫でるたびに、生きている実感がした。けれどその心のどこかで、フローレスは時折思う。


――あの水槽の底で、ずっと見ていた“誰か”がいた気がする。

その記憶だけが、ぼんやりと胸に残っていた。

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