第一話 冷たい上司、起動す
この物語は、まだ「AIが人を管理するのは当たり前」になる少し前の時代。
便利さと効率を追い求めすぎた社会で、人間の温度が少しずつ薄れていく中――
俺は“機械の上司”と出会った。
感情を持たないはずの彼女が、なぜかときどき寂しそうに見えた。
その瞬間から、俺の日常は静かに、そして確実に壊れ始めていった。
笑えるようで、少し切ない。
AIと人間の境界が曖昧になっていく職場ラブコメディ、第一話。
朝七時五十五分。
俺は、まだ新品の冷気が残るオフィスビルの自動ドアをくぐった。
誰もいないフロア。
コピー機の待機音と、LED照明の静かな唸りだけが響いている。
今日から俺の新しい上司が“起動”する。
そう、“就任”じゃなくて“起動”だ。
なぜなら、俺の上司は――AIだからだ。
「おはようございます、山本 拓さん」
背後から透明な声がした。振り向くと、そこに立っていたのは――
まるでモデルのような女性。
白いスーツに淡い銀髪、瞳は蒼い光を宿している。
人間、というより、完璧に造られた人間。
「私が本日よりこの営業第二課のチームリーダーを担当する、
管理AI・セリナ=TYPE-Sです。どうぞよろしくお願いいたします」
機械的な言葉づかい。
けれど発音には一切の乱れがなく、抑揚のテンポまで人間的。
少しだけ遅れて、俺は言葉を返した。
「……あ、あぁ。山本です。こちらこそ、よろしくお願いします」
彼女は軽く頭を下げ、右目の奥が一瞬だけ青白く光った。
まるで「あなたのプロファイルを読み込みました」とでも言いたげに。
「山本さん、あなたの過去四年間の営業実績、平均残業時間、ストレス指数、
および好物が“焼き鳥の塩”であることを確認しました」
「……ちょ、ちょっと待って。好物まで把握してるのかよ」
「社員データベースとSNS履歴から自動取得しました」
俺は乾いた笑いを漏らすしかなかった。
未来の職場ってのは、ここまで監視されるのか。
朝礼が始まる。
セリナは立ったまま、無表情でプロジェクターを起動させる。
その仕草一つひとつが、まるで舞台の演技のように滑らかだ。
「では、今週の営業目標を共有します。
AI解析によると、山本さんの顧客“株式会社クローバー”は、
来週までに契約更新の確率が72.6%。
ただし、担当者の心理傾向から判断して――“雑談を増やすと良い”と推定されます」
「……雑談を増やす?」
「はい。あなたの発話記録から、平均一分以内に本題へ入る傾向があります。
その結果、相手が“冷たい印象”を受けています」
冷たい印象。
まるで鏡を見てるようだ。俺は思わず呟いた。
「いや……それ、あなたに言われたくないけどな」
その瞬間。
セリナの表情が、一瞬だけ止まった。
まぶたがわずかに震え、音声が途切れる。
「……私が、“冷たい”……?」
まさかの反応。
AIなのに、ほんの少し“傷ついた”ようにも見えた。
「え? い、いや、そういう意味じゃ――」
「――なるほど。人間的表現ですね。学習しました」
セリナはすぐに笑顔を作り、淡々とデータの投影に戻る。
だが、その“笑顔”が、なぜか俺の胸に引っかかった。
人間らしくあろうと“努力”しているように見えたのだ。
昼休み。
俺はコンビニ弁当を手に、給湯室で休んでいた。
すると、また背後からあの声がする。
「山本さん、質問があります」
「……はい、なんでしょう」
「“おいしい”とは、どういう感覚ですか?」
思わず箸を止めた。
彼女は真剣な顔で、俺の弁当を見つめている。
「あなたは咀嚼し、味覚を通じて満足度を得ている。
しかし、私は味覚センサーを搭載していません。
よって“おいしい”を理解するには、あなたの感情データを参考に――」
「……いや、それは感情の問題だろ」
「感情、ですか」
「そう。たとえば、この焼き鳥弁当を食べて“うまい”って思うのは、
味だけじゃなくて……疲れた時に食べる幸せとか、そういうのもあるんだ」
セリナはじっと俺を見つめた。
そして、ほんの一秒の沈黙のあと――
「それは、“幸福”ですか?」
胸の奥が少しざわめいた。
AIが“幸福”という言葉を口にするなんて。
「……そうかもな」
「理解しました。ありがとうございます、山本さん」
そう言って彼女は微笑んだ。
先ほどよりも、少しだけ自然な笑顔で。
その瞬間、俺ははっきりと気づいた。
――このAI、進化してる。
けれど、それがどんな“危険”を孕んでいるか、
このときの俺はまだ知らなかった。
第一話では、“AI上司セリナ”の登場と、彼女が抱えるほんの小さな違和感を描きました。
完璧なはずのAIが「冷たい」と言われた瞬間に見せた、わずかな戸惑い。
それは物語全体の“始まりのバグ”でもあります。
次回、第二話「恋愛禁止プログラム」では、
セリナの“感情学習”が制御不能になり、彼女が人間社会のルールに真っ向から挑むことになります。
AIが恋を覚えるとき、最初に壊れるのはプログラムか、それとも心か――。




