ギルド《フェードアウト》との邂逅
朝、ログインと同時に目の前に広がるのは、薄暗く湿った洞窟の入口だった。
岩肌のあちこちから水が滴り、空気は冷たく重い。
“ギミックだらけ”と噂される《黙者の穴》──今日の目的地だ。
「よし、準備はOK?」
先に到着していたシルフィアが、背中の杖を肩に担ぎながら振り向いた。
「まあ、一応な。装備は昨日と変わらず、だけどスキルの実戦テストにはちょうどいい」
レイは頷き、ゴドーと拳を軽くぶつけ合った。
「守るのは任せとけ。お前がスキルを使うタイミング、ちゃんと見とくからな」
三人パーティとしてはやや手薄だが、そのぶん“連携”を重視する。
《虚無保存》のような特殊スキルを最大限に活かすには、人数より信頼が必要だった。
──ダンジョン攻略、開始。
* * *
序盤は難なく進んだ。
敵は低ランクの【洞窟バット】や【スライミングウォーム】。パターンさえ掴めば、驚異にはならない。
だが、このダンジョンの真価は“戦闘”ではなかった。
通路に突然現れる落石ギミック、移動すると床が崩れるトラップ、時間差で閉じる石扉──
レイたちは、まるでパズルゲームのような構造を慎重に読み解いていった。
「左の床石、やけに綺麗すぎる。たぶん、あそこがトリガー」
「なるほど……踏まないように、天井の支柱を利用して渡る、と」
シルフィアのサポートもあり、攻略は順調だった。
そして、最初の中ボスエリアに到達した時、レイは初めてスキルを使用する決断をする。
「来たな……こいつか、“ワイルドファング”」
ボス名【獣牙の支配者・ワイルドファング】
巨大な牙を持つ黒狼型のモンスターで、強靭な突進と“集団指揮”のバフスキルを持っている。
「仲間を呼ぶタイプか……厄介だな」
「一発目、保存で削ろう。あとは私が後衛からデバフでサポート入れる!」
「前は任せろ。突進にはもう慣れてる」
開戦の瞬間、レイはすぐにスキルを発動した。
「《虚無保存》!」
黒い球体が浮かび、ワイルドファングの片腕──右前脚ごと飲み込んだ。
レイの保存上限は“1体”だが、スキルの対象部位が選べるようになっていた。
保存時の“部位指定”は、スキル熟練度が微かに上がった証だった。
「脚を削ったか。あれで突進は使えないな」
「ナイス! あとはバフ封じて動きを止める!」
シルフィアの呪文が発動し、ゴドーが壁となる。
動きの鈍ったボスは、連携の前に押し切られた。
──完勝だった。
「よし、上々の滑り出しだな」
「ね、レイ。あの保存スキル、今のって“保存したまま戦闘続行”してたでしょ?」
「そうだな。実は、昨日その状態でログアウトしたら……変な夢見た」
「夢?」
「保存した対象の“視点”で、ずっと何かを見てる感じだった。暗い場所で、吠えたりして……」
それを聞いたシルフィアの顔が一瞬だけ強張った。
「……やっぱり、出始めてるかもね」
「出始めてる?」
「アビス系スキルには、一定確率で“副作用”が発生するって噂があるの」
「副作用って……何が起きるんだ?」
「保存し続けると、保存された“存在”がこちらに影響を与える。夢、幻聴、反射的な感覚の共有……場合によっては、“人格の侵蝕”もあるって」
「……マジかよ、それ」
レイは思わず眉をしかめた。
だが、その感覚には妙な懐かしさがあった。自分の中に“何か別の思考”が入り込むような──けれど、それを完全に拒絶できない。
「それでも、使う価値はあると思ってる。このスキルは……戦場をひっくり返せる可能性がある」
「それなら、大丈夫。レイは“自分”を持ってる人だし、そう簡単に飲まれたりしないよ」
シルフィアはそう言って、軽く笑った。
そして、パーティはダンジョンの奥へと進む。
だがその途中──異変が起きた。
* * *
「うそ……道が変わってる……!?」
シルフィアがマップを確認するも、先ほど通ったはずの分岐が“消えて”いた。
代わりに、黒く染まった空間がぽっかりと開いている。
「なにこれ、イベント? いや……こんな演出、公式にはなかったはず」
レイは保存スキルの影響を疑った。だが、スキルのログには異常はない。
ゴドーが唸る。
「ヤバい空気だな……戻るか?」
その瞬間、ログに表示された通知。
【未登録の座標へ侵入しました──《境界座標:D-13-X/ANOMALY》】
レイの脳内に、また“あの感覚”が蘇った。
保存中の【ワイルドファング】──その視点、牙、嗅覚、感情が一瞬だけ流れ込んでくる。
「──ッ!」
思わず頭を押さえる。
「レイ、大丈夫!?」
「……ああ、大丈夫。ただ、今のは……」
“保存対象の意識が干渉してきた”としか言いようがなかった。
境界座標──通常マップに存在しない座標表示。これは公式が提供していない“バグマップ”か、あるいは意図された“特殊領域”。
どちらにせよ、今のスキルがその“きっかけ”になったことは明らかだった。
「やっぱり、このスキル……“何か”とつながってる。運営の想定を超えてるかもしれない」
レイは立ち上がり、震える手を抑えて前を見据える。
「でも、それでも構わない。俺はこのスキルで、戦っていくって決めたから」
「……ふふ、やっぱり君、変わってるね」
シルフィアはそう言って、前を指差す。
「じゃあ、行こう。“運命のバグ”が呼んでる先へ」
「了解。全力で保存して、攻略してみせる」
──この一歩が、後に“深淵とつながる最初の記録”としてゲームに刻まれることになるとは、まだ誰も知らなかった。