第28話「追跡者の視座と記録拒絶」
霧に包まれたログ領域の深層。
そこには《ログ未承認エリア》と呼ばれる、システムによって分類されていない断片的な記録の集合体が存在する。
“そこ”にアクセスできる者は限られていた。
その一人、運営直属の追跡者は、淡々とその空間に降り立つ。
──静寂。
仮想空間とは思えない沈黙が支配する空間の中、リィの姿は半透明のデータグラフのように揺れていた。
その外見は人間の少女に酷似しているが、表情は一切の感情を欠いた“白い仮面”のようだった。
「対象:レイ、識別コード:R-1738──進行率、37.82%。」
淡々と記録が読み上げられる。
「記録干渉:観測困難。副作用指数、変動有。創造兆候、確認済み。」
その眼差しは、鋭くも無機質。
彼女は“監視”ではなく、“記録の外”に存在する存在を“再構築”するために存在していた。
「観測再開──対象の現在座標:不定。ログ拒絶反応、増加。」
リィの周囲にデータの“波”が広がる。
まるで、大海の底に沈む廃都市を探るように、記録の断片が次々と引き出されては解析されていく。
──だが。
「……観測拒否」
その瞬間、リィの視界が崩れた。
彼女のログ画面が“黒ノイズ”に侵食され、ログを読み込もうとするたびに、謎のエラーコードが発生する。
《ERROR/Δ-Absence:データソース消失》
《保存拒絶:観測不能対象》
「……記録拒絶現象、発生。対象レイのログが、自動破棄されている……?」
リィの無表情に、わずかに“歪み”が生まれた。
その現象は、彼女自身のアルゴリズムでは処理しきれない“創造系スキル”の副作用。
(──このままでは、対象の存在がログ外へと“逸脱”する)
観測できない存在は、システムの“安全”を脅かす。
それは“例外”として扱われ、いずれ“削除”の対象となる。
「上層へ報告──対象レイへの物理干渉、許可申請」
リィの背後に、新たなデータリンクが開く。
そこには、運営最高会議のロゴと、承認フラグが並んでいた。
──承認済。
「次回ログイン時、観測干渉プロトコルを実行。同期対象による直接接触を開始する」
その言葉とともに、リィのデータがログの深層に再統合されていく。
静かに、しかし確実に“介入”の段階へと移行していた。
•
その頃、レイは別のエリア──《虚枝の回廊》にて、1人探索を続けていた。
「保存反応、なし……。この辺りはもう、取り尽くしたか……」
彼の視線は、慎重ながらも疲弊していた。
ここ数日の間に感じた“視線”や“干渉”は、確実に強くなっていた。
「……まただ」
頭痛。
思考の断絶。
そして、知らない“記憶”が脳裏に流れ込んでくる。
(これは……俺が保存した覚えのない……)
“誰かの戦闘記録”。
“誰かの絶望”。
“誰かが見たラストログ”。
(他人の記録が、混ざり始めている……!?)
彼のスキル《きょむほぞん》は、本来「自身が遭遇したもの」のみを保存できるはずだった。
だが今や、他者の記憶、戦闘記録、スキルデータまでが“漏れ”のように彼の中へと入り込んでいた。
まるで──システムそのものが、彼を「記録媒体」として扱い始めているようだった。
(……俺は、ただ強くなりたかっただけなのに)
だが、その想いすらも“誰かのログ”に上書きされていくような錯覚が、レイを蝕む。
「まだ、大丈夫……まだ……俺は、俺だ」
レイは自らに言い聞かせ、ログアウトの操作を押す。
──しかし。
《ERROR:ログアウト不可。観測中のデータが存在します》
(観測中……?)
画面に浮かぶ、“見たことのないアバター”の名前。
《Echo-002》
その名に、レイは深い既視感を覚える。
•
画面の向こう側。
リィは静かに言った。
「観測ログ、再起動。次の接触時、記録拒否を解除し、“創造者”を識別する」
彼女の瞳は、最初の頃よりも、わずかに“揺れて”いた。
その感情が本物かどうか、今の彼女にも分からなかった。
第29話「記録再起動、そして同期干渉」へと続きます。




