第24話「深層ログと、創造の芽」
空が歪んでいた。
いや、正確には“空として定義された情報”が、レイの視界から漏れる形で崩壊していた。
《スキル:空白穿孔》──それは、記録されていない情報を“ねじ込む”力。
世界が認識していない“存在”を仮生成し、その場に成立させる、いわば“創造に限りなく近い仮想存在の召喚”だ。
この日、レイはギルドに戻ることなく、辺境の狩場《クルース断崖》でスキルテストを始めていた。
地形は厳しく、視界も悪い。だが、強敵も多い。
“強さ”の検証には、うってつけだった。
「……来るか」
虚空から現れたのは、通常の生態系では見られない四足獣型モンスター。
《異食獣フロウグ》──本来、この地域には出現しないはずの個体だ。
(スキルに反応して“釣られた”か……)
《虚無保存》と《空白穿孔》を重ね合わせることで、レイは既存のエネミーデータを“再演”させることが可能になっていた。
その応用は、戦闘の領域を超えていた。
生成されたモンスターは、あたかも本物と同じAI挙動を持ち、他プレイヤーとの戦闘ログにも干渉する。
《ブランク・ペネトレーション》発動。
地面が裂け、無から“断片的な骨格構造”が出現する。
(行け)
その命令ひとつで、モンスターの“保存体”が自律的にフロウグへと突進した。
衝突。
破裂音と共に、断崖の岩肌が砕ける。
それはあまりにリアルな破壊だった。
──否、現実の破壊ログにすら記録された。
(保存だけじゃない。“影響”を持っている……)
もはや、これは戦術ではなかった。
システム外構造の“再現”と“記録干渉”。
それをユーザーレベルで実行しているということは、この世界の“前提”を再定義する行為に等しかった。
その頃。
《フェードアウト》のギルドホーム。
「……やっぱり、最近レイさんのログがほとんど残ってないんです」
ユエがタブレット風の情報端末を睨みながら呟く。
「サーバーに残っているのは、断片的な戦闘記録と位置座標だけ。あとはほとんど“未観測領域”扱いになってる」
「それって、どういうこと?」
クロトが水を差し入れながら問う。だがその表情は僅かに強張っていた。
「運営が“意図的に隠してる”ように見えます。解析してるのは観測第3班、コードネーム『NEST』の連中」
その名前に、ユエの表情が変わる。
「それ……ルナのいた部門じゃない?」
「かもね」
その会話の裏で、クロトは内心に冷たい汗を浮かべていた。
(……やはり、“第二の観察対象”として正式に移行されたか)
彼は密かに、運営との通信チャンネルを開いた。
《観測記録:対象Aによる干渉ログ確認。空白穿孔による演算超越が進行》
《進行度:38.6% 副作用認識度:不明》
その記録を送信すると、すぐに返信が来る。
《指令:NESTが対象Aの抑制計画を立案中。時期を見て“同期対象”の投入を検討せよ》
同期対象。
つまり、レイと同じフェーズにある存在──あるいは、意図的にその座標に“合わせられた”個体だ。
クロトは、その選定リストの中に一つのコードネームを見つける。
《Candidate X:Echo》
「……まさか、こいつを使う気か……?」
クロトが顔をしかめたとき、背後から静かな足音が聞こえた。
「何を見てるの?」
シルフィアだった。
「いや……ちょっとした調査記録を」
「最近、ギルド全体に不穏な空気がある。君も少し慎重になってくれ」
「了解しました」
クロトは微笑んだが、内心では冷や汗が止まらなかった。
(レイ、お前は……どこまで行くつもりなんだ?)
*
その頃、レイはスキルの異常な負荷に耐えながら、地面に膝をついていた。
(……まだだ。こんなもんじゃない)
《保存》と《創造》の境界線が、彼の中で曖昧になっている。
思考と記録が交差し、ログと感情が一致しない。
(でも……怖くない)
彼は立ち上がる。
(俺が“創る”って決めた。だから、進む)
その背後で、再び空間がひび割れた。
新たな存在が、彼の中から産声をあげる。
それは、《保存》ではない。
《可能性》という名の、“世界外の芽”だった。
次回:第25話「同期対象:エコー起動」
レイと同調する存在、Echo。その出現は、新たな衝突の始まりを告げる。




