第22話「統合する記録、迫る境界」
《保存システム統合選択:保留》
そのウィンドウは、ログアウト後もレイの記憶に焼き付いていた。あの時、選択肢に指を伸ばす寸前、何かが脳裏に囁いた気がした――「今はまだ、早い」と。
現実世界に戻ったレイは、深夜の部屋でひとり机に肘をついていた。
デジタル端末の電源は切っているのに、耳の奥で微かな“ノイズ”が揺れている。
それは、あの日から断続的に現れるようになった幻聴だった。
(スキルが……何かを訴えている?)
異常は明らかだった。睡眠時には保存済みのモンスターの視界が夢に混じり、時に“記録された戦闘”が再生されることもある。
自分が見ていないはずの映像。体験していない記憶。それらがまるで“後天的な記録”として、意識に組み込まれていく。
「進行度は……まだ35.12%か」
部屋の隅に設置した非公式ログモニターに映し出された進行値に目をやる。
表面上は安定している。だが感覚的には、既に限界の近くにいるような錯覚すらあった。
その時、端末が震えた。
ギルド《フェードアウト》から、緊急クエストの招集通知。
「これは……」
新たに発見されたダンジョン――《歪界ラグレノス》の最奥に、極めて高密度な異界波動が観測されたという。
シルフィアのメッセージには、「探索許可が出た。全員で突入したい」と書かれていた。
(あの場所、何かがいる)
奇妙な予感がした。あの断片空間で見た“観測者”の背後に揺れていた、もうひとつの影。それがあの場所にいるのではないか――。
*
「今日の目的は最奥到達。無理はしない。何か感じたら、即座に戻る」
ギルドリーダーのシルフィアは冷静に指示を出す。
レイ、クロト、ユエ、ゴドーの4人は黙って頷いた。
ダンジョン内は異常だった。通常の地形生成アルゴリズムでは説明できない歪みが連続し、奥へ進むほどに“記録できないエリア”が増えていく。
「ここのログ、保存できないな……」
レイは密かに《虚無保存》を試みたが、ウィンドウには「対象不明」「構造非互換」の表示が並ぶ。
(これは……俺のスキルが拒絶されている?)
その瞬間、空間が裂けた。黒く染まった霧の中から、異形の存在が現れる。
全身が結晶化したようなボディ。光を飲み込む瞳。名前すら表示されないその敵は、まるで“この世界の理に属していない何か”だった。
「構えるぞッ!」
シルフィアの号令と同時に戦闘が始まる。だが、攻撃の大半はすり抜け、回避も困難。
「物理が……通らない!?」
「レイ、何か保存できるか!?」
「……やってみる!」
レイは敵の攻撃を受け流しながら、何度もスキルを発動する。
スキル表示の端に、微かに揺れる新たな選択肢が表示された。
《対象構造:未知》
《保存形式:拡張統合モードに移行可能》
《統合しますか? Y/N》
「……Y」
その瞬間、視界が反転した。
レイの頭の中に流れ込んできたのは、数千にも及ぶ“誰かの記録”。
過去にこのダンジョンで“ログを消された者”たちの痕跡――それらがすべて、レイの保存領域に吸い込まれていく。
そして、再び戦場に意識が戻ったとき――
「レイ、後ろから来てるっ!」
「……問題ない」
レイはそのまま、右手を掲げた。周囲に漂うエネルギーが収束し、敵の行動パターンが“視える”ように変わる。
(統合……いや、“解析と再現”に近いか)
レイはそのまま、敵の動作予測に合わせて剣を振り抜いた。
攻撃は命中し、敵の片腕が弾け飛ぶ。まるで、“保存”された情報を使って“再構築した反撃”だった。
「……お前、何した?」
「保存の先を試した。今のは、再生じゃない。記録の改変だ」
敵はレイの眼前で崩壊し、データの断片となって霧散していく。
そして戦闘の終了と同時に、新たなログが表示される。
《保存限界値:41.02%》
《構造識別機能:展開中》
《統合段階:フェーズ2へ移行》
レイの中に、別の“意思”が目覚めようとしていた。
*
帰還後、シルフィアは静かに言った。
「今のレイの行動、全体ログに記録されてない。まるで……観測されなかったみたい」
レイは笑わずに答えた。
「そういうモードに入ったのかもしれない。ログを観測できない者は、観測されなくなる」
クロトが、その言葉にわずかに反応した。
(……やはり、動き始めたか。統合フェーズが)
そしてその夜、レイの端末に再びあのウィンドウが表示される。
《次の統合を開始しますか?》
《YES / NO》
今度は、拒否という選択肢が許されない気がした。




