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深層への侵入、異形との邂逅

「ここが……《黒廃の環域》?」


ユエが息を呑んだのも無理はなかった。


そのダンジョンは、これまで攻略してきた中級帯とはまるで格が違っていた。


石造りの入り口をくぐった途端、空気が一変する。湿り気を帯びた重い気圧。壁には蔓植物が這い、奥からは獣のような低い唸り声が不定期に響いてくる。


レイは黙って周囲を見渡していたが、やがて呟く。


「……ここ、以前のアップデートでは存在しなかったエリアだ。深層の隔離領域……“未踏データ”かもしれない」


シルフィアからの情報によれば、このダンジョンは「運営の認知外に近い“実験領域”」とされていた。表向きにはランダム生成のレアダンジョン扱いだが、実態は誰にも分かっていないという。


だが、レイの本能が告げていた。


(ここに、“何か”がいる……)


──保存に値する、何かが。


***


開始からおよそ一時間。


モンスターの構成は既知のものと酷似していたが、挙動や特性がわずかに“異質”だった。


「レイさん、また来ます!」


「保存体、遮断!」


ユエの背後から現れた大蛇型モンスターの牙を、レイの影がすっと遮った。


レイは咄嗟に保存スキルを起動し、敵の咆哮を読み切ると同時に反撃を仕掛ける。


「……保存:起動中。特性照合──拒絶不能、逆侵食型……か」


現れたのは、黒く濁った“喰らい蟲”のような存在だった。通常のスキルでは命中すら難しい類型の高難度エネミー。


レイは静かに息を吐き、指を鳴らした。


「保存体《投影・蟲喰》展開」


影から溢れるのは、保存された“前回の撃破データ”を再構築した擬似体。だがこの敵は、それにさえ抗う“独自性”を有していた。


(やはり、このダンジョン……“学習する”)


相手は、こちらの保存データそのものを食い破ってきた。


「ッ──ユエ、引け!」


「でも……!」


「これは、“通常”じゃない」


保存スキルが――侵食されていた。


***


《副作用進行度:34.83%》


ログに浮かぶその数字を、レイは無言で見つめていた。


戦闘の果てに、保存スキルはなんとか敵の“核”を抑え込み、擬似体として吸収に成功した。


──だが。


保存完了の直後、レイの頭の奥に「声」が響いた。


《もっと……欲しい……》《次も……保存を……》《力を……くれ》


まるで、保存スキルそのものが意思を持ったかのような錯覚。いや、もしかすると錯覚ではないのかもしれない。


「……レイさん?」


ユエの声に、レイは我に返る。


「すまない、少し疲労が溜まってるだけだ」


「……顔、青いですよ」


彼女の言葉はまっすぐだったが、レイは何も言わずに先を歩いた。


(これは、俺の中で“何か”が変質しつつある)


それを言葉にするには、まだ情報が足りない。


***


ダンジョン最奥。


そこには、巨大な祭壇のようなものが存在していた。中央には、異形のモンスター──“双頭の咆哮獣”が鎮座している。


ユエが呟く。


「なにこれ……データベースにない……」


「運営未登録か……なら、保存対象として最適だ」


レイはスキルウィンドウを起動し、保存の構えに入る。


だが──その瞬間。


《副作用進行度:35.00%》


体の奥から、ぞわりとした“気配”が湧き上がる。


(……この程度、問題ない)


言い聞かせるように、レイは静かに保存を開始した。


影が祭壇を飲み込み、モンスターの一部を“虚無”の中に格納していく。


その姿は、もはや人知のスキルとは思えぬ異質さを纏っていた。


***


ダンジョン脱出後。


「今回の記録、運営に送っておくわね。……って、また副作用が進んでるじゃない」


シルフィアが不安げな表情を浮かべるが、レイは首を横に振る。


「誤差の範囲だ」


「でも、あのときの“声”……」


「俺の気のせいかもしれない」


(いや、違う。あれは──俺の中の“保存欲”が、膨張している)


ユエが近づいてきて、明るく言った。


「レイさん、次はどこ行きましょう? また一緒に行きたいです!」


「……考えておく」


その背中に、彼女は「また面倒くさがってる」と苦笑しながらついていった。


だが、レイの中では既に、“次の保存対象”を探す声が、かすかに囁き始めていた。

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