絶望のグラナリア
【赤熊のヴィレム・グラナリア公王視点】
「フハハハハハ、憎きゼファーめを仕留めてやったぞ、フハハハハハ!」
我は笑いが止まらなかった。
しかも、逃走時に脱落する騎兵も出なかったため、さらに機嫌が良かった。
我率いるグラナリア投槍騎兵隊は、本拠地であるグランヴァル城へと帰還した。
「ガッハッハッハ、ルクレツィア、アーサー、いま戻ったぞ!」
我はリビングにいた、妻のルクレツィアと息子アーサーに声をかける。
妻は、我を見ると、抱き着いてきた。
「おかえり、ゼファー! 会いたかったわ!」
「な……何を言う? 我はヴィレムだぞ! ゼファーではない!」
妻の目はトロンとしており、どうやら我の声が届いていないらしい。
ルクレツィアは、ハグを終えると、テーブルに座る。
テーブルの上にはクッキーの皿があった。
「さあ、ゼファーもレオンもクッキーを食べて! お仕事お疲れ様!」
「パパー、なんかママが変なんだよ。僕のことレオンって呼ぶし、パパのこともゼファーって呼ぶんだ」
(これは、権能の呪い返しだ!)
例えば、魅了や呪いの権能で『自害しろ』という命令を出したとする。
だが、その呪いが返ってきた場合、どうなるか?
考えたくもない。
今考えれば、ゼファーが『家に帰れ』と言う命令しか出していなかったのは、万が一、権能が自分に反射してきた場合を想定した事だったのだろう。
そう、仮に弾き返されたとしても、自分が家に帰るだけなのだから、ほとんどダメージは無い。
「くっ……すまん、ルクレツィア……我は、お前の権能に頼り過ぎたのだ……これは天使か神の罰なのだろうか?」
「パパー、ママを戻してよ~。パパの王の権能でどうにかならないの?」
アーサーが泣きながら、我にすがってきた。
基本的に『王の権能』とは、対象に権能を与えるか、対象の権能を奪うことしかできない。
他にも、同等の王の権能や、下位の貴族の権能を無効化できるというのもある。
だが、基本的に、王の権能自体は無力なのだ……
王を慕う臣下がいてこそ、王の権能は威力を発揮する。
「アーサー、お前は王の権能を持っている。だから、パパみたくなるな。本当に大切な人にはな、権能を与えてはいけないのかも知れない……」
「パパ……」
すうっと、我の両目から、涙が零れ落ちた。
『コンコンコンッ』
「ルーロフです、お取込みのところ失礼ですが、急ぎご報告が……」
扉の向こうから、北海の狼ルーロフの声がした。
ルーロフの権能は『俊敏』動きが早くなる権能だ。
こういった、単純な権能のほうが扱いやすいのかも知れない。
「入れ」
ガチャリと扉が開き、狼の毛皮をかぶったルーロフが入ってくる。
「リベルタス軍、およそ1万が、グラナリアへ向けて兵を準備中との報告が入りました」
「なにぃ! 来るとは思っていたが、そうか、やはり来るか。して、どのルートを通りそうだ?」
我は、クッキーを棚にどかすと、テーブルの上に地図を広げる。
「なんでも、海沿いを進軍する予定だとか?」
「もっと詳しい情報はないのかっ!」
我は妻のせいで、気がたっていた。
自分でも声を荒げているのがわかる。
「これ以上詳しい情報は入っておりません。おそらく、間もなく進発するだろうと。こちらも兵を動員されてはいかがでしょうか?」
「むう、それしかあるまい。民たちに動員令を出せ。軽騎兵もすべて集めろ!」
「はっ!」
ルーロフの姿がシュッと消えた。
おそらく権能を使ったのだろう。
「ゼファー、気をつけてね……」
妻のルクレツィアが、我の背中にすがりつく。
その手は肩から首筋にかけて優しく動く。
だが、嬉しくは無かった。
「ああ、ああ、行ってくるよ。何も心配せず待っていろ」
我は、振り返らずに部屋を出た。
夏の湿気が、いやな暑さだ。
我の頬を、涙か汗か分からない何かが流れ落ちた。