別れの宴
【カイル視点】
俺は、少しだけ緊張しながら、ユリアの小さな手を握って、『輝きのゴブリン亭』の重い扉を開けた。親父が、もういない初めての夜。どんな顔して入ればいいのか、正直よく分からなかった。
俺たちが来るのを待ちきれなかったのか、店内では、もうすでに盛大な酒盛りが始まっていた。いつもの賑やかな、だけど今日はどこか特別な空気が漂っている。
カウンター席では、ドワーフ王のトーリンさんと、ゴブリン王のグリーングラスさんが、大きなジョッキで「うぃ~、ヒック」なんて言いながら、豪快にワインをあおっていた。もう出来上がってるな、あの二人。
その隣では、バーリンくんとグリータちゃん、弟のレオン、妹のエリュアの子供組が、大きなグラスに入った真っ赤なぶどうジュースみてぇなものを、仲良く飲んでいる。
(うん、アレは絶対に色の濃いぶどうジュースだよな。子供は酒飲んじゃダメだからな、うん、そうに違いない、そう信じたいぜ……)
そして、店の奥の一番目立つ場所に、いつの間にか運び込まれていた、真っ白な大理石で作られた親父の等身大の石像が置かれていた。それに、シルクママと、リリーママ、エルミーラママ、そしてなぜかアウローラさんまでが、わいわい騒ぎながら抱き着いていた。
「さあさあ、今日は無礼講よ! 遠慮しないで、たくさん飲んでちょうだい!」
シルクママが、ゼファー像の大きな頭の上から、とくとくと上等そうな赤ワインをかけている。
石像の頭が、あっという間に綺麗なワイン色に染まった。
「あ~っ! シルクずるーい! アタイだってゼファーにやる~!」
リリーママは、そう言うと、今度は像の口のあたりに、無理やりワインを流し込もうとしている。
たぶん、飲ませているつもりなんだろう……
「もう、二人ともはしたないわね! じゃあ、アタシはココにかけちゃうわよ~!」
エルミーラママは、ケラケラ笑いながら、像の股間のあたりに、持っていたワインをぶっかけた! おいおい!
それを見たアウローラさんが「やだ~エルミーラさんったら、下品ですわ~」なんて言いながら、大声で笑い声をあげている。
「じゃあ、わたくしもご相伴にあずからせていただきますわね! え~いっ!」
アウローラさんも、同じように像の股間に、自分のグラスのワインを嬉々としてぶっかけた。
「キャハハハハハ! ゼファーったら、もう~!」
さらに訳の分からないことで盛り上がる、三人のママと、なぜか混ざってるアウローラさん。自由すぎるだろ、この人たち。
(やれやれ……ママたちは、悲しいんだか楽しいんだか、本当によく分からないな)
俺は、まだ親父が、この場にいるような、そんな気がしていた。
きっと、いつものようにトイレから「よぉ、ただいま」とか言って、ひょっこり姿を現すんじゃないかって。
そんな想像をしていたら、無意識のうちに、隣にいるユリアの小さな手を、ギュッと握りしめてしまっていたらしい。
「あ、あのぅ……カイル様……その……痛いです……」
ユリアが、遠慮がちに声を出した。
ハッとして見ると、彼女の小さくて細い手が、少し赤くなっている。
やべっ、これはちょっと痛かっただろうな。
「あっ! わ、わりぃ、ユリア! つい、力が入っちまったみたいだ。大丈夫か?」
俺はすぐに謝ると、ユリアの手をそっと離し、今度は優しくエスコートするように引いて、空いていたカウンター席へと並んで座った。
部屋の隅にある大きな円卓テーブルでは、宰相のバートルさんと、軍務大臣のヒューゴさん、そしてエドワードおじいちゃんが、何やら神妙な顔つきで静かに酒を酌み交わしていた。
そこへ、俺たちの後ろからついてきていたシドも、黙って腰を下ろした。男四人、なんだか絵面が濃いな。
「シド。カイルとやりあったそうじゃないか?」
バートルさんが、いつものねっとりとした特徴的な言い方で、シドの方を向いて尋ねた。
その顔は、少し酒も回っているのか、ほんのりと赤い。
「……ああ。アイツは、もう一人前だ。この俺が、認めた」
シドは、空いている自分のグラスに手を伸ばしながら、ぶっきらぼうに、だがどこか誇らしげにそう言った。
それを見て、バートルさんが黙ってシドのグラスに赤ワインを注いだ。
「うおおおぉぉ~、そうか、そうかぁ! ワシのかわいいカイルたんが、一人前の男になったというわけじゃな~! うっ、うっ、うれじいぞぉ~、このじいちゃんは~!」
ブワーッとエドワードおじいちゃんが、盛大に泣き始めた。
テーブルの上には、オーロラハイド近海で獲れたという、カレイの煮つけが盛られていた。
だが、あまり箸は進んでいないようだ。
「うううっ……! こ、このヒューゴも、カイル様の目覚ましい御成長ぶりに、感無量でありますっ!」
(ヒューゴさん、体はムキムキなのに、すぐ泣くんだよなぁ……)
軍務大臣は、大きな体に見合わずわんわん泣きながらも、燻製ナッツをつまんで、ポリポリと食べていた。泣いてても腹は減るらしい。
俺の隣で、そんな大人たちの様子をニコニコと見ていたユリアが、そっと囁いた。
「カイル様。なんだか、皆さんとても個性的で、面白い方たちですね」
「ははっ、ユリア、そう思うだろ? みんないい人たちなんだ」
俺とユリアは、それぞれ赤ワインを頼んだ。
二人で、初めてワイングラスを合わせると、カチン、と心地よい綺麗な音が店内に響いた。
「あっらぁ~? いつの間にやら、カイルったら、いっちょまえにこんな可愛い彼女さん連れちゃってまぁ~!」
いつの間にか、ゼファー像に絡んでいたリリーママが、俺たちのテーブルにやってきて、ユリアの肩に馴れ馴れしく手を回すと、からみ始める。
「まあ、本当だわ~! カイルったら、いつの間にそんな色男になったのかしら? 確か、ゼファーがつけてあげた娘だったわよねぇ~、うふふ」
シルクママも、楽しそうにユリアの反対側の肩にそっと手を伸ばす。
「もう、ちょっとぉ~! シルクさんとリリーさんだけズルいじゃないのよ~! アタシだって、お近づきになりたいんだからぁ~!」
エルミーラママは、そう言うと、ユリアの頭に手を置くと、『わしゃわしゃわしゃ~』と、撫で回し始めた。ユリアの綺麗な金髪が、ぐしゃぐしゃになってるぞ!
「あらあら、ユリア。それで、カイルくんとは、もう夜のオトナの契りは済ませたのかしら?」
アウローラさんまで、いつの間にか加わってきやがった!
そうだ、忘れてたけど、ユリアはアウローラさんの神殿で育ったんだったな。絶対、変なこと吹き込まれてるぞ……
「あ、あの……そ、それは……まだ、その……いたしておりません……で、でも、その、カイル様のお部屋に、お、お伺いするお約束は……いたしました……」
ユリアは、顔を耳まで真っ赤にして、うつむいてしまった。
その声は、まるで蚊の鳴くような声だったけど、三人のママとアウローラさんには、しっかり聞こえていたようだ。
「なんですってぇ~!? ちょっとぉ~! これは、女だけでじっくりと話す必要があるわね!」
リリーママが、獲物を見つけた肉食獣みたいな目で、ユリアの肩を掴むと、店の奥にある個室の方へ連れて行く。
「そうよ、そうよ! アナタ今日から私たちの娘ね! 私のことも『シルクママ』って呼びなさいねっ!」
シルクママも、ニコニコしながら後をついていく。
「ええ、ええ、これはこれは、『夜の作戦会議』を、それはもうゆっくりと、みっちりとする必要がありそうですわね! うふふふふ!」
エルミーラママも、当然のように、微笑みながらその後を行く。
「うふふ、若いって、本当にいいわねぇ~! なんだか、アタシまでドキドキしてきちゃったわぁ~!」
アウローラさんは、舌なめずりしながら、ついていった。あの人、絶対何か企んでるだろ。
俺が一人、カウンター席で呆然としながらワインを飲んでいると、連れて行かれた個室のほうから、「ええっ! ヤダ! そんなことまで!」「ええっ、すごい! 恥ずかしいっ!」なんていう、ユリアの声が、かすかに聞こえてきた。
(……何を吹き込んでいるんだか、ママたちは……。まあ、ユリアが楽しそうなら、いっか)
俺は、肩をすくめると、一番しんみりとしている、男の大人組のテーブルに混ぜてもらった。
頃合いを見計らったように、次々と料理が運ばれてくる。
シェフのゴルゴンさんによると……
「いつものヤキトリだと、ゼファー様も天国で飽きているでしょう。趣向を変えて、新鮮な魚介と、旬の野菜や果物を中心にした、さっぱりとしたコース料理を作ってみたぜ」
とのことだった。
『アミューズブーシュ(食前のお楽しみ)』
・朝採れキュウリと完熟トマト、そして柚子とミントの冷製ガスパチョ(冷たい野菜スープ)
『前菜』
・オーロラハイド近海産、旬の魚介の刺身三種盛り合わせ 特製柑橘ポン酢と共に。
『スープ』
・じっくり煮込んだ昆布だしと、彩り野菜の滋味深い澄ましスープ。
『魚料理』
・活け締め天然鯛のふっくら蒸し 香り豊かな柚子生姜ソースを添えて。
『サラダ』
・太陽をたっぷり浴びたグレープフルーツと、朝採れ枝豆のフレッシュサラダ 自家製はちみつレモンドレッシングで。
『メインディッシュ』
・特大グリルエビと、オーロラハイド産季節野菜のハーブソテー 特製バルサミコソース。
『デザート』
・完熟フレッシュフルーツの豪華盛り合わせ & 柚子を添えて。
・そして仕上げは、香り高いオーロラハイド特産のハーブティー、または、キリリと冷えた自家製柚子ドリンク。
親父との、本当の最後の別れとなるこのコース料理は、どれも素材の味を活かした、優しくて、そして少しだけ切ない味がした。
みんなで、それぞれの想いを胸に、食後の温かいハーブティーを静かに飲む。
「……おい、カイル。グラナリアを攻めるのか? やるなら協力するぞ?」
食後の静寂を破ったのは、意外にもシドだった。いつになく真剣な目で、聞いてきた。
その瞬間、さっきまでの和やかな宴の雰囲気が嘘のように、とつぜん店内が水を打ったようにシンと静まり返った。皆の視線が、俺に集まる。
「……ああ、当然だ。親父の仇は、この俺が必ず討つ。明日から、全軍出兵の準備を命じる! メルヴ総督の『砂漠の狐』ハッサンにも、兵力と資金を出させろ! 総指揮は、俺が執る! シド、お前には兵站と補給の全権を委ねる。量は、多ければ多いほどいい。手抜かりは許さんぞ!」
「……御意。必ずや、ご期待に応えてみせましょう」
シドは、静かに椅子から降りると、俺の前に恭しく片膝をついた。
「ヒューゴ! リベルタス公国の兵力を動員できるように準備を! 頼めるか?」
「はっ! カイル陛下の御心のままに! このヒューゴ、身命を賭して!」
ヒューゴも、シドにならって力強く片膝をつく。
「トーリン! グリーングラス! エルミーラママ! 各種族の兵も出せ! これは命令だ!」
「ははーっ!」
ドワーフ、ゴブリン、そしてエルフを代表する三人も、俺の前に膝をついた。
「エドワードおじいちゃんは、申し訳ないが、至急フェリカの王都ヴェリシアへ戻って、守りを固めてほしい。グラナリアの奴らが、何を仕掛けてくるか分からない……もし、万が一のことがあった場合は……フェリカからの援軍も、頼むかもしれない」
「おお、カイル殿! 任せておけ! 君のためならば、喜んで馳せ参じようぞ!」
エドワード王も、力強く頷きながら、俺の前に片膝をついた。
いつの間にか、この『輝きのゴブリン亭』にいる全員が、俺に向かって静かに膝をつき、頭を垂れていた。
レオンやエリュアたち子供たちも、さっきまで騒いでいたママたちも、アウローラさんも、そして、ユリアまでもが……
俺は、皆の顔を見渡すと、静かに、しかしはっきりと宣言した。
「狙うは、グラナリア公王、赤熊のヴィレムの首だ!」
店のランプの灯りに、一匹の小さな羽虫が、チリチリと音を立てて近づいていくのが見えた。
やがて、羽虫は、その身を焦がす炎の中に自ら飛び込み、静かに落ちて行った……
店の中に置かれた、ワインまみれのゼファー像が、俺たちをじっと見つめているような気がした。
「とても面白い」★五つか四つを押してね!
「普通かなぁ?」★三つを押してね!
「あまりかな?」★二つか一つを押してね!




