遺言
【カイル視点】
『リベルタス歴16年、フェリカ歴144年 7月10日 昼過ぎ』
「グワハハハハハハハ! 見たか、リベルタスの民ども! このグラナリア公王、赤熊のヴィレム・ディ・スピーガ・グラナリアが、貴様らの英雄、『交易路の守護者』ゼファーを討ち取ったりぃ!」
忌々しい赤熊の毛皮を纏ったヴィレムが、右手を天に突き上げ、馬上で得意満面に勝どきの声を張り上げていた。その声が、やけに大きくに周囲に響く。
俺は、バートルさんに抱えられて、ようやくトーリン門の城壁の上に連れてこられたところだった。目の前で起こった、信じられない光景に、ただ立ち尽くすしかできなかった。
「くそっ……! よくも……! よくも、俺の……俺のオヤジをぉぉっ! グラナリア……ヴィレム……絶対に、絶対に許さねぇっ!」
俺は、城壁の胸壁を掴んで、怒りと絶望で叫んだ。涙で視界が歪む。
ヴィレムの槍に腹を貫かれた親父の巨体が、まるで糸の切れた人形みたいにぐらりと揺れ、そしてゆっくりと、赤い血だまりの中へ……倒れ伏した。
遠くてよく見えねぇけど、親父の周りが、みるみるうちに赤黒く染まっていくのが分かる。
(嘘だ……! あんなの嘘だ! 親父が、あの親父が、こんなところで死ぬわけがねぇ! まだ息はあるはずだ……でも、あの傷じゃ……助からねぇ……! いやだ、いやだ、いやだぁぁっ!)
その瞬間、さっきまで模擬戦の見物客として集まっていた市民や旅人たちを、なんとか門の内側へ避難させていたトーリン門が再び開き、中から怒号と共に、雪崩を打ってオーロラハイドの重装騎兵隊が出撃していくのが見えた。
内々に公王になってから、オーロラハイド各地に配置されている兵力については、俺も一通り頭に入っている。
万が一の不祥事や、外部からの奇襲に備えて、この主要な門であるトーリン門には、常に五百騎の屈強な重装騎兵隊が常駐しているはずだ。
その騎兵隊の指揮を執っているのは、親父の代からの古参兵で、俺もよく知っているロイド隊長だ。
「うぉぉぉぉっ! ゼファー様をよくもぉぉっ! グラナリアの犬どもめ、一人として生かして帰すなぁぁっ! 全騎兵、続けぇい! 各自の判断で、奴らを八つ裂きにしろぉぉぉー!」
ロイド隊長が、怒りに顔を真っ赤にしながら、先頭に立って重装騎兵隊に檄を飛ばしている。
それと同時に、俺がいるこの城壁の上でも、エルミーラママの指揮下にあるエルフの弓兵たちが、一斉に長弓を構え、グラナリア兵に狙いを定めた。
「待て! まだ射つな! 今射てば、味方の騎兵に当たってしまう!」
俺の隣にいたバートルさんが、冷静に、しかし鋭い声でエルフの弓兵たちを制止した。
ロイド隊長も、弓兵たちも、オーロラハイドの守備隊は皆、目の前でゼファー公王が討たれたのを見て、完全に頭に血が登り、冷静さを失っている。
だが、敵将ヴィレムは、それを見越していたかのように……。
「ハハハハハ! 目的は達成したぞ! ゼファーは討ち取った! 全騎兵、これより全速力でグラナリアへ転進する! 長居は無用だ、このままでは敵軍が出てくるぞ! 各自の判断で構わん、武器だろうが鎧だろうが、全て捨てて構わん! とにかく逃げろ! 逃げろっ、逃げろっ、逃げ延びろぉぉー!」
赤熊のヴィレムが、高らかに退却命令……いや、あれは命令というより、逃走許可だろうか? とにかく、そんな叫び声を上げた。
ロイド隊長率いるリベルタスの重装騎兵たちは、怒りに任せて必死に追撃しようとするが、重い鎧を纏った彼らでは、軽装のグラナリア投槍騎兵隊に、追いつけそうにない。あっという間に引き離されていく。
やがて、グラナリア騎兵隊の姿が遠くの土煙の向こうに消えると、さっきまでの喧騒が嘘のように、戦場は不気味なほど静まり返った。残されたのは、いくつかの死体と、そして……
俺は、バートルさんの制止も聞かずに、城壁の階段を転がるように駆け下りると、ただ一心に、親父が倒れている場所へと向かった。足がもつれて、何度も転びそうになった。
血の海の中に横たわる親父のそばに駆け寄ると、親父は、うっすらと目を開けて、か細い声で呟いた。
「……あぁ……もしかして……カイル、か……?」
まだ、かろうじて意識はあるようだ。でも、その声は、今にも消え入りそうだった。
「オヤジっ! オヤジっ! しっかりしろ! いまアウローラさんを呼んで来るから! きっと助かる! 絶対助かるから! そうしたら、また一緒に釣りへ行こうぜ! 約束だ!」
(そうだ! アウローラさんなら! あの人なら、きっと親父を助けてくれる! そして、また親父と一緒に塩の村へ行って、一緒に穴釣りをするんだ! 大きな魚を釣って、二人で食べるんだ! だから、死なないでくれよ、親父……!)
だが、俺の必死の叫びにもかかわらず、親父の口からこぼれたのは、まったく意外な言葉だった。
「カイル……女を抱け……孫が見たい……おま……え……に、つけて、やった、メイド……天……使……だ……アウ……ローラ……も……天……」
そこまで言うと、親父の言葉は途切れ途切れになり、その後も、何かを伝えようと必死に口を動かし続けるが、もう声にはならなかった。ただ、ヒューヒューという、苦しそうな息遣いだけが聞こえる。
そして、最後に、親父は……俺に向かって、本当に、本当に優しく、にっこりと微笑んでみせた。いつもの、俺が大好きだった、あの親父の笑顔だった。
その瞬間、さっきまで真っ青だった空に、どこからともなく巨大な入道雲が湧き上がり、トーリン門の上空を覆い尽くした。
燦々と照りつけていた太陽の光が、まるで何かの合図のように雲に隠れ、あたりが急に薄暗くなった。まるで、世界から色が消えちまったみたいに。
……もう、親父の口は、ぴくりとも動かない。
さっきまで聞こえていた、苦しそうな息遣いも、もう聞こえない。
開かれたままの親父の瞳は、もう、何も……何も、うつしてはいなかった。
「うわああああああああああああああっ! オヤジっ! オヤジっ! オヤジぃぃぃーーーーーーっ!」
俺の慟哭の叫びだけが、静まり返ったトーリン門の戦場跡に、いつまでも、いつまでも、響き渡っていた。
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