血の模擬戦
第79話 血の模擬戦
【カイル16歳視点 本日誕生日】
『リベルタス歴16年、フェリカ歴144年 7月10日 昼 カイルとゼファーの誕生日』
今日、俺は十六歳になった。親父と同じ誕生日だ。そんな誕生日の昼間から、俺はフェリカ王国との親善模擬戦に参加する新兵たちを引き連れて、オーロラハイドの三重城壁の南門、通称『トーリン門』へと向かっていた。正直、ちょっと気乗りしねぇけどな。
このトーリン門ってのは、昔、オーロラハイドの城壁を作った時に、ドワーフ王のトーリンのおっちゃんが自ら現場監督を務めたってんで、いつの間にかそう呼ばれるようになったんだ。頑丈さは折り紙つきだ。
トーリン門は、一番外側の外門、分厚い壁に挟まれた真ん中の中門、そして一番内側の内門っていう、鉄壁の三重構造になっている。
今日の模擬戦は、それなりに大人数でやるから、広い場所が必要になる。
トーリン門の外門に広がるだだっ広い野原に、フェリカ国王エドワードおじいちゃん率いる、百名の屈強そうなフェリカ兵たちがズラリと整列していた。
あっちもこっちも、全員が訓練用の先の丸い木剣と、分厚い皮鎧をちゃんと身に着けている。まあ、模擬戦だから当たり前か。
まあ、そこまでは良かったんだけどよ……なぜか、俺が率いるはずのリベルタス側の新兵の中に、どう見ても新兵じゃねぇ、親父と宰相バートルさんが、しれっと混ざってやがった。
あの二人も、他の新兵たちと同じように、訓練用の皮鎧を窮屈そうに身に着けて、手には木剣までしっかり持っている。何やってんだか。
「な、なあ、オヤジ! 寝てたんじゃなかったのかよ? それに、なんでバートルさんまで、新兵ごっこしてるんだよ!」
俺は、呆れて親父とバートルさんをジト目で見てやった。
正直、この二人に関しては、今さら訓練なんてする必要がねぇくらい強いと思うんだけどな……
「んあ? カイル、何言ってやがる。そりゃあオメエ、こうやって実際に肌を合わせてみねぇと、フェリカのヤツらの本当の実力なんざ、分かりゃしねぇだろうが! 偵察だよ、偵察!」
親父は、悪びれもせずにそう言った。
「はい、カイル陛下。私もゼファー様と同意見でございます。こうして、他国の兵士と直接手合わせできる機会など、そうそうございませんから。彼らの練度や戦術を肌で感じる、またとない機会かと存じます」
バートルさんも、いつものポーカーフェイスで、もっともらしいことを言ってくる。
まあ、二人の言ってることも、一応は理にかなってた。確かにそうだ。
たまに戦う相手を変えてみると、普段の訓練じゃ見えてこない、新しい課題や弱点が見つかったりするもんだ。
特に、相手はあのエドワードおじいちゃんだ。いくら年老いたとはいえ、若い頃は数々の戦場を駆け抜け、国をまとめ上げてきた、本物の猛者のはずだ。
俺に対しては、いっつも『カイルたん~』とか『カイルきゅん~』なんて言ってデレデレしてるイメージしかねぇ。けど、周辺国じゃ、あのエドワード王は『剣王』として、相当恐れられてるらしいからな。
一方、親父は親父で、『交易路の守護者』なんていう、なんだかカッコイイ二つ名で呼ばれてる。
親父本人は「柄じゃねぇ」なんて言って恥ずかしがってるけど、俺は結構気に入ってるんだ。
うん、なんか強そうで、いい二つ名だと思うぜ。
そんなことを考えているうちに、俺たちはエドワードおじいちゃんが待つ、フェリカ軍の陣の前へと着いた。
城壁の上や、少し離れた丘の上には、今日の模擬戦をひと目見ようと集まってきた、オーロラハイドの住民たちの姿も多く見えた。みんな物好きだな。あっ、レオンのやつも城壁の上から手をふってるぜ。
どうやら、今日の模擬戦でどっちが勝つかで、街の連中が賭けまで行ってるらしく、観客席の方からは、すでに「リベルタス頑張れー!」「フェリカ負けるなー!」なんていう、やけに熱のこもった声援まで飛んできていた。
「はははっ、おじいちゃん! なんだか、これじゃあ俺たち、まるで見世物みたいだな!」
「まあまあ、カイルきゅん、そう言うでない。こうして民にささやかな娯楽を提供するのも、為政者の大切な務めの一つじゃぞ? ほれ、もっと胸を張らんか」
おじいちゃんは、ニコニコしながら言った。
いくら訓練用の木剣での模擬戦とは言え、これは両国の軍隊同士の、メンツをかけた決闘でもある。
俺とエドワードおじいちゃんは、互いに一歩前に進み出ると、古式にのっとって、お互いの得物である木剣を交換する儀式を行った。これは、相手への敬意を示すための、昔ながらの習わしらしい。
「エドワードおじいちゃん……いや、エドワード国王陛下。この我が剣、存分にお使いくだされ!」
俺が自分の木剣を恭しく差し出すと、エドワードおじいちゃんも、にこやかに自分の木剣を差し出してきた。
「うむ! カイル皇帝陛下こそ、この剣で戦われるがよい! はうぅぅ~、カイルきゅん、軍服姿も凛々しくて、めちゃくちゃカッコいいのう~! ああ、今すぐにでも絵にしたい~!」
デレッデレになっているエドワードおじいちゃんと、厳かに(?)剣を交換すると、模擬戦開始の角笛が高らかに鳴り響いた。
合図と共に、両軍の兵士たちが雄叫びを上げて、正面から激しくぶつかり合った!
「カイルたん! いや、カイル陛下! いざ、尋常に、勝負じゃあっ!」
「望むところだ、おじいちゃん! いや、剣王エドワード殿! いくぞっ!」
序盤は、俺とおじいちゃんの一騎打ち、そして両軍の兵士たちの激しい打ち合いがそこかしこで繰り広げられ、見物に来ていた観客たちも、やんやの喝采で大いに盛り上がっていた。
俺は、おじいちゃんの胸元めがけて、自分の出せる最速の突きを繰り出した。
狙うは、がら空きに見えた胴鎧だ!
だが、おじいちゃんは、俺の鋭い突きを、まるで柳に風と受け流すように、ひらりとかわすと、逆に俺の剣先を自分の剣先で巧みに巻き上げ、くるっと手首を返し、俺の木剣を見事にからめ捕った!
あっと思った瞬間、カラカラッと乾いた音を立てて、俺の手から木剣が弾き飛ばされ、無残にも地面に転がる。
(くそぉっ!これが長年の経験ってやつか! なんてとんでもねぇテクニックだな! さすがは『剣王』エドワード! 伊達じゃねぇ!)
俺は、咄嗟に地面を転がって、落ちていた自分の木剣を拾い上げると、すぐさまおじいちゃんとの距離を大きく取った。危ねぇ危ねぇ。
「ほうっ! 今の突きは、なかなかどうして、筋が良かったぞ、カイルくん! それに、その咄嗟の判断力、打ち合いを避けて一度距離を取るというのも、実に良い選択である!」
おじいちゃんが、さっきまでのデレデレした顔とは打って変わって、ニヤリと獰猛な将軍みてぇな笑みを浮かべた。
(くそっ、やっぱり正攻法じゃ、簡単には勝たせてくれそうにねぇな! どうする? 何か策はねぇか? 何か……!)
俺がおじいちゃんと一進一退の攻防を繰り広げている間にも、戦場のあちこちでは、親父とバートルさんが、面白いようにフェリカの兵士たちをバッタバッタと打ち倒していくのが見えた。あの二人、完全に楽しんでやがるな。
(よし! この調子なら、俺がおじいちゃんをなんとか抑え込んでいる間に、親父とバートルさんが敵の兵隊を全部片付けてくれるはずだ! そうすりゃ、大将同士の一騎打ちに持ち込めて、この模擬戦、勝てる!)
俺がそんな楽観的なことを考えていた、まさにその時だった。突如として、周囲の観客たちが、何かを恐れるように騒ぎ始めたのだ。
『ドドドドドドドド……』
地響きと共に、遠くから無数の馬蹄の音が、まるで雷鳴のように近づいてくる。
その数、目視でも数百騎はいる。
いや、あれは下手をすると、千騎近い大軍だ!
その騎馬隊は、鬨の声を上げるでもなく、ただ黙々と、しかし恐ろしいほどの速度で、まっすぐに俺たちのいる野原へと突っ込んできた!
「全軍突撃ィィッ! 第一目標、リベルタス公王ゼファー! 第二目標、フェリカ剣王エドワード! 一人残らず、串刺しにしてくれるわ! 全軍、このグラナリア公王、赤熊のヴィレムに続けぇい!」
騎馬隊の先頭、ひときわ大きな馬に乗った、赤熊の毛皮を纏った大男が、腹の底から響くような大声でそう叫んだ。
「「「応ッ!」」」
その声に応えるように、後に続く騎馬隊からも、一斉に鬨の声が上がる。見れば、その騎馬隊は、全員が馬上からの投擲に優れた投げ槍と、軽快な皮鎧で武装していた。あれは、間違いなく精鋭部隊だ。
このただ事ではない殺気と地響きに、さっきまで模擬戦に熱狂していた観客たちが、恐怖の叫び声を上げながら蜘蛛の子を散らすように逃げ惑い始めた。
猛スピードで突撃してくる騎兵たちの胸当てには、黄金色の麦畑に、勇ましい鹿毛の馬が描かれた紋章が刻まれている。
「ちぃっ! あの紋章は、グラナリア公国の投槍騎兵隊だ! なぜ奴らがこんなところに!? まずいぞ、このままじゃ全滅だ! カイル! エドワードじいさん! お前たちは新兵どもを連れて、すぐにトーリン門の中へ逃げろ! ここは、俺が殿を務める!」
親父が、鋭い声で叫んだ。この場に残って、たった一人で時間を稼ぐつもりのようだ!
(馬鹿野郎! たった一人で、しかも訓練用の木剣と皮鎧だけで、あの数の投槍騎兵隊相手に何ができるって言うんだ! 無謀だ! 無謀すぎるぞ、親父!)
「な、何を言ってるんだよ、オヤジ! そんなの無茶だ! 死んじまうぞ! オヤジこそ、早く逃げろよ!」
だが、親父は俺の言葉などまるで聞こえていないかのように、木剣の柄を強く握り締めると、グラナリア騎兵隊の前に、まるで仁王のように一人立ちはだかり、その場から一歩も動こうとしない。
「おい! リベルタスの新兵ども! よく聞け! 貴様らの死に場所は、ここだ! バートル! そのボウズ抱えて、とっとと城の中へ逃げやがれっ!」
親父のその言葉と同時に、バートルが、俺の体をまるで麦袋でも担ぐように抱え上げる。
「カイル皇帝陛下! 御免!」
普段の彼からは想像もできないような必死の形相だ。
「逃げるぞ、カイルくん! すまない、ゼファー殿! この借りは、必ず返す!」
エドワードおじいちゃんが、悔しそうに顔を歪めながら、トーリン門へと走り出す。
「おうッ! 気にするな、エドワードのじいさん! あんたはカイルを頼んだぜ! ……カイルっ! お前は、お前『王道』を征けーっ!」
バートルさんは、俊敏の権能を使い、俺を抱えたままトーリン門へと向かって、風のように走り出した。
みるみるうちに、親父の背中が遠ざかっていく。
「オヤジっ! オヤジーっ! 死ぬなよぉぉぉーーーっ! 絶対に、死ぬんじゃねぇぞぉぉぉーーーっ!」
俺は、バートルさんの腕の中で、ただ泣き叫ぶことしかできなかった。
『ドドドドドドドド……』
無慈悲な馬蹄の音は、もう間もなく、たった一人の親父に襲いかかろうとしていた。
「うおおおおおっ! てめぇら、とっとと自分たちの家に帰りやがれぇぇぇっ! 貴族神授領域、全開だぁぁっ!」
まさに絶体絶命かと思われた、その瞬間。親父の体から、天を突くような、まばゆい青白い光がほとばしった!
「そうだ! あれは、親父の権能! 相手に『命令』する力! あの力なら、グラナリアの兵隊たちを、強制的に自分たちの家に帰らせることができるはずだ!」
俺は、一瞬だけ希望の光を見た気がした。だが、次の瞬間、グラナリア騎兵隊の先頭を駆ける、あの赤熊の毛皮を纏った大男の体からも、今度は金色の光が、同じようにほとばしったのだ!
「無駄だ、ゼファー! 我が王権神授領域の前では、貴様の権能、効かぬわっ!」
(あれは! 王の権能だ! まさかグラナリア公王自らが、突撃してきたと言うのか!)
親父の青白い光と、ヴィレム公王の金色の光が、凄まじい衝撃と共に真正面からぶつかり合い、そして、まるで泡が弾けるように、互いの力を相殺しあって、あっけなく霧散した!
「もらったっ! くたばれっ! ゼファー!」
権能の相殺で一瞬動きが止まった親父に向かって、赤熊のヴィレムが、その巨体から繰り出されるとは思えぬほどの速度と威力で、手にした投げ槍を全力で投擲した!
「ぐっ……なめるなぁぁぁっ!」
親父は、咄嗟に手にした木剣でその槍を受け止めようとしたが……!
『バキッ!』
訓練用の木の剣が、グラナリア公王の全力の一投に耐えられるはずもなく、半ばから無残にもへし折れた。
『ドシュッ!』
そして、勢いを殺しきれなかった投げ槍の穂先が、親父の鍛え上げられた腹部を、いとも容易く深く刺し貫く……
鮮血が、まるで赤い炎のように、青空に向かって舞い上がった。
親父は、腹に槍を突き立てられながらも、遠ざかる俺の姿を捉え……うっすらと、満足そうに微笑む……
ゆっくりと、親父は崩れ落ちていった……
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