ライトピンクのバラ
【カイル15歳視点】
『リベルタス歴16年 7月10日 昼前』
(う~ん……昨日の宴会、ちょっと飲み過ぎちまったか~? なんか頭がガンガンするぜ……)
俺はズキズキするこめかみに手を当てて、重い頭を振った。
ベッドサイドに置いてあった水差しから、コップになみなみと水を注ぐと、一気にそれをぐいっと飲み干す。
(ふぅ~水がうまい。生き返るようだぜ)
まだパジャマ姿のまま、素足にサンダルを突っかけてベッドを降りると、大きな窓を開けて外の空気を吸い込んだ。
目に飛び込んできたのは、雲一つない、どこまでも突き抜けるような青空。今日は晴れた良い天気だ。
俺たちが今住んでいる、このオーロラハイドの人間地区の城は、通称『黒の城』と呼ばれている。
オーロラハイドの中じゃ、一番の高層建築で、ここ最上階の俺の部屋からの眺めは最高なんだ。
その名の通り、黒みがかった火山岩を切り出して作られていて、どっしりとした威厳がある。
窓からは、他の種族の城も見える。いかにも頑強そうな、ドワーフたちの灰色の石造りの城。
彫刻が綺麗で華麗な、エルフたちの白い石を使った城。
見た目はアレだが防御力だけはピカイチの、雑多な石を積み上げて作った、ワナだらけのゴブリンたちの城。
ここオーロラハイドでは、各種族がそれぞれの地区に住んでいて、その地区同士は、いざという時のための低めの城壁で区切られているんだ。
これは、万が一、外側の三重城壁が破られて、敵が市内に侵入してきた場合、各地区で抵抗して市街戦に持ち込むための、親父のアイデアらしい。
街の中心にある中央広場に目をやると、今日は『花の祭り』だからか、シド商会の人たちが、何やら楽しそうに子供たちに木札を配っているのが見えた。祭りの屋台で食べ物と交換できる券だ。
シド先生のシド商会は、もう単なる商人組織ってだけじゃなくて、こうやって祭りの運営を手伝ったり、街の治安維持に協力したりと、半分役所みてぇな仕事もしてるんだよな。
(まっ、こういう街の仕組みとか、金の流れとかも、最近ようやく、分かるようになってきたんだけどなっ! まだまだ勉強中だけどさ!)
ふと、黒の城の前の庭園に目をやると、そこでは、同じくらいの年頃の人間の女の子が、ちょっと緊張した顔で、同じく人間の男の子に、綺麗な花束を渡しているのが見えた。
遠くて、二人が何を話しているのかまでは分からなかったけど、男の子の方は、なんだかすごく照れくさそうに、でも嬉しそうにその花束を受け取っていた。
今日は花の祭りだからな。きっと、勇気を出して愛の告白をして、それがうまくいったんだろう。
やがて、二人ははにかみながらも、しっかりと手をつないで、賑やかな中央広場の方へと仲良く歩いていった。いいなぁ。
(俺も、いつかああやって花束とかもらってみてぇな……。でも、もしもらうなら、相手は一人だけでいい。親父みたいに何人も奥さんがいるのは、なんだか大変そうだし……うん、やっぱり一人だけでいいんだ……)
そういえば、この前、三人のママたち……シルクママと、リリーママと、エルミーラママに囲まれて、親父が中庭で思いっきり土下座しているのを、偶然見ちまったことがある。
一体、親父は何をやらかして、あれほどまでにママたちを怒らせちまったんだろうか? ちょっと気になる。
後でこっそり親父に聞いてみたけど、「カイル、そのうち分かる時が来るぜ……」なんて、遠い目をして言うだけで、ぜんぜん教えてくれなかった。なんなんだよ、もう。
……そういえば、昨夜の『輝きのゴブリン亭』での宴会でも、なぜか親父の隣の席には、いつの間にかアウローラさんが陣取って、やけに親しげにずーっとくっついていたような気がする。
(むむ……これは、なんだか怪しいぞ……)
これは、息子としてのカンだ!
親父は、ああ見えて結構分かりやすい性格だ。ママたちには甘いし。
もし何か隠し事があっても、あの目ざとい三人のママたちが見逃すわけが無い……はずなんだが。
いつもなら、酔っ払ったアウローラさんは、俺のところにやってきて、胸をぐいぐい押し付けてきたり、無理やりキスしようと迫ってきたりするはずだ。
だが、ゆうべのターゲットは、どう見ても俺じゃなくて、親父の方だった。
(まあ、いっか。もしかしたら、そのうち弟か妹が増えたりしてな!)
俺は、複雑な表情をしていたに違いない。
(ママが増えちまうかもな……)
『コンコンコンッ!』
「カイル様、おはようございます。メイドのユリアです。お部屋に入ってもよろしいでしょうか?」
控えめな、可愛らしい声がした。
「ああ、ユリアかちゃんか。うん、もう起きてるよ。どうぞ」
扉が静かに開いて、俺の専属メイドのユリアが、綺麗に整えられた金髪を揺らしながら、メイド服姿で入って来た。
彼女の名前は、ユリア・ローゼンベルク。
俺と同じ、十五歳。どこかの没落貴族の娘らしい。
俺が内々に公王になってから、親父が「身の回りの世話をする者がいた方がいいだろう」って言って、わざわざ俺につけてくれた専属のメイドさんなんだけど……。
(それにしても、親父ったら、初めてユリアを紹介された時、「ま、カイル。ユリアのこと、好きにしていいぞ?」なんて、とんでもねぇこと言うんだもんな。一体、どんなつもりで言ったんだよ、あの親父は!)
ユリアは、その手に、淡いピンク色、ライトピンクっていうのかな、そんな色の綺麗なバラの花を、大切そうに一輪だけ持っていた。
「あ、あの、カイル様! こっ、これを、どうぞ! わ、私のお給金では、これ一輪しか買えませんでしたっ!」
ユリアは、顔を真っ赤にしながら深々と頭を下げると、震える手で、俺にライトピンクのバラの花を差し出した。
「お、おう! ありがとうな、ユリア! すっげぇ嬉しいぜ! 実はさ、今日、誰からも花をもらえなかったらどうしようって、ちょっとだけ不安だったんだよね! まあ、ママたちからは義理でもらえるだろうけど、それじゃあなんか味気ないしな!」
俺は、照れ隠しに『あっはっは』と、わざと大きな声で笑ってみせた。
「あ、あの……その……カイル様……。これは、その……義理なんかじゃ、ないんです……その……わ、私の、気持ち、なんです……」
(えっ……? い、いま、なんて言った……? 聞き間違いか……?)
ユリアは、さっきよりももっと顔を真っ赤にして、俯いてしまっている。長いまつ毛が震えているのが分かった。
ちらりと見えたその瞳は、なんだか潤んでいるようにも見えた。
窓から差し込む朝の光の中で、彼女の小さな唇が、バラの花びらみたいに、綺麗なピンク色に輝いて見えた。なんだか、ドキッとした。
「……ユリア。それって、もしかして……本気、なのか? その……俺、もらっても、本当にいいのか……?」
「はい……! カイル様でなければ、だめなんです……! どうか、受け取ってください……!」
ユリアは、絞り出すような声で、でもはっきりと言った。
(ふう……まじかよ。お、落ち着け、俺。こういう時は、冷静に、だ……)
「……分かった。ユリア、ありがとう。……なあ、ちょっとこっちへ来て、座ってくれ」
俺が部屋の隅にあるソファーに腰を下ろすと、ユリアは、まだ顔を赤らめたまま、俺の向かい側にちょこんと、本当に小さな音もしないくらい静かに座った。
彼女は、さっきよりもっと緊張しているんだろうか?
なんだか、その動きがぎこちない。
「……いいか、ユリア。俺は、もし誰かを好きになったら、その相手はたった一人だけでいい、って決めてるんだ。だから、その……もし、ユリアが本当に俺のことでいいって言うんなら……その、お付き合いするっていうところから、始めてみないか? 俺たち、まだ知り合ってそんなに時間も経ってないし……」
俺は、できるだけ優しい声で、ゆっくりと言った。自分でも、顔が熱くなってるのが分かる。
俺の言葉を聞いて、俯いていたユリアの顔が、パッと少しだけ明るくなった。
「そ、それは! つまり、カイル様は、わたくしを……わたくしを、お、女にしてくださるということでございますかっ!? そ、それでしたら、わたくし、さっそく湯浴みをして、身を清めてまいります!」
さっきまでの緊張はどこへやら、彼女の声のトーンが、いきなり何オクターブも上がった。
そして、今にも部屋を飛び出して、お風呂場へでも走り出しそうな勢いだ。
「だだだ、だから! 順番をすっ飛ばしすぎなんだよ、ユリアっ! お、落ち着けって! まだそういう話じゃねぇから!」
ああ、そういえば、このユリアって、アウローラさんの神殿で、孤児として育てられたんだったっけな。
なるほどな……これは間違いなく、あの残念な女神官アウローラさんから、何か変な影響を受けていやがるな。絶対そうだ。
「つ、つまりっ! そ、その、お付き合い、OKということで、よろしいのですよねっ!?」
ユリアは、期待に満ちたキラキラした目で、俺の顔をじっと見上げてくる。
「ああ、分かった、分かった! お、OKだから! OKだから、その、とりあえず、お互いもっと時間をかけてだな……!」
俺がそう言うと、ユリアは「はい!」と元気よく返事をして立ち上がると、今度は「ふんふんふ~ん♪」なんて、楽しそうな鼻歌まで歌い始めた。
そして、その場で嬉しそうにくるりと一回転してみせる。
メイド服のスカートが、ヒラリと綺麗に宙を舞った。なんだか、それもすごく可愛く見えた。
「あっ、そうだ、カイル様! それでですね、大事なことをお伝えするのを忘れておりました! 本日の午後一番から、ここオーロラハイドの練兵場で、フェリカ国との恒例の親善模擬戦が執り行われるそうです! そして、エドワード陛下が、その対戦相手として、カイル様を直々にご指名されていると、先ほどバートル様がおっしゃっていましたわ!」
「え? 模擬戦? ああ、そういえば、花の祭りでは毎年やってたな。……でも、あれ? いつもの祭りなら、リベルタス側の総大将は、親父が務めるのが恒例だったはずだけど?」
俺の疑問に、ユリアはふるふると、可愛らしく小さく首を横に振った。
さっき、彼女から花をもらったせいか、なんだかこういう小さな仕草の一つ一つを、変に意識しちまう。
「あっ、えっと、それがですね……エドワード陛下は、ぜひとも『皇帝陛下』と、剣を交えてみたいと、強くご所望されているそうなんです!」
ユリアは、ちょっと興奮したように言った。
「あ~、なるほどな……。おじいちゃんなら、確かにそう言いそうだな! よし、分かった! 受けて立とうじゃねぇか! ユリア、悪いけど、軍服に着替えるのを手伝ってくれ!」
俺はユリアに手伝ってもらいながら、いつもの黒を基調とした、リベルタス公国の正装用の軍服へと手早く着替えた。金色の肩章が、少しだけ重い。
ビシッと軍服に着替えると、俺は気合を入れ直し、廊下へと出て、練兵場のある城の外へと向かった。
俺の後ろを、ユリアが嬉しそうに、でもメイドとして控えめに、ちょこちょことついてくる。
その時だった。向こうの廊下の角から、妹のエリュアが、わんわん泣きながらこっちへ走ってくるのが見えた。
「うわ~ん! バートル様の、鈍感~っ!」
よく見ると、エリュアの手には、可愛らしい花束が握られていた。
花束は、どうやら受け取ってもらえなかったらしい。
(あちゃー……これは、見事にフラれたな、エリュア……。相手は、やっぱりバートルさんか……。あの人もなんだかなぁ……)
俺は、可哀想だとは思ったが、あえて詳しいことは聞かないことにして、そのままエリュアとすれ違い、三重城壁の外にある練兵場へと向かった。
(まあ、妹よ。男なんて、バートルさん以外にも、星の数ほどいるさ。元気出せよ)
たまには、こんな風に兄らしいことを考えてやるのも、悪くない気分だった。
妹の失恋も少しは気になったが、それよりも、今日の対戦相手であるエドワードおじいちゃんのことが、今はもっと気になっていた。あのじいさん、結構強いんだよな。
親善試合で戦ったことのある親父に、どんな戦い方をするのか聞いておきたかったが、まあ、今はまだ疲れて寝てるだろうから、そっとしておくことにした。俺の力で、なんとかするしかねぇな!
「とても面白い」★五つか四つを押してね!
「普通かなぁ?」★三つを押してね!
「あまりかな?」★二つか一つを押してね!




