王の上へ
【カイル視点】
「はーっはっはっは!いやはや、カイルたんがフェリカの王になってくれるとなれば、このワシも安心できるというものよ!」
さっきまでの真剣な雰囲気はどこへやら、会議室にはエドワード・フェリカおじいちゃんの、やけに楽しそうな哄笑が朗々と響き渡った。
俺は、このとんでもない展開にどう反応していいか分からず、とりあえず手元のイチゴジュースをゴクリと飲んで、喉の渇きを潤そうとした。全然潤わねぇけど。
(お、おいおい、マジかよ、おじいちゃん……!こ、こういう時はバートルさんに助けを……って、だめだ、あの人、いつものポーカーフェイスでニコニコしている! じゃあヒューゴさんは……って、うわっ、両手挙げて拍手してるよ、この人! ちょっと泣いてるし! おいぃぃ……)
「これは誠に、おめでとうございます、カイル次期フェリカ国王陛下」
と、宰相のバートルさんが、いつになく柔和な表情で、しかしどこか楽しそうに頭を下げた。
「おおお、このヒューゴ、感激の極みでありますぞ、カイル様! これでリベルタスとフェリカの絆は、未来永劫盤石! うおおお、めでたい、めでたい!」
軍務大臣のヒューゴさんは、本当に感激しているらしく、大粒の涙を流しながら、なぜか俺に向かって万歳三唱を始めた。いや、まだ何も決まってねぇから!
っていうか、そもそも、だ。確かフェリカには、シルクママの弟……つまり、おじいちゃんの息子で、俺にとっては叔父さんにあたる人が、ちゃんと王の権能を持っているんじゃなかったっけか?
普通に考えれば、そのヘンリー叔父さんがフェリカの王位を継ぐのが筋ってもんだろ?
なんで、いきなり俺がフェリカ王なんだよ!意味わかんねぇ!
……よし、ここは本人に素直に聞いてみるしかねぇな。
「あ、あのさ、おじいちゃん。ちょっといいか? どうして、俺がフェリカの王様になるんだ? ヘンリー叔父さんがいるだろ?」
我ながら、かなりストレートな質問だったが、俺の言いたいことは伝わったと思うぜ。
俺の言葉を聞いて、おじいちゃんは、ピタリとさっきまでの哄笑を止めた。
そして、今度は真剣な、どこか悲しげな眼差しで、じっと俺の顔を見つめてきた。
「……カイルくん。いや、カイルたん。よくぞ聞いてくれた。……単刀直入に言う。我が息子、ヘンリーでは……あやつでは、このフェリカ王国は間違いなく滅ぶ。アレは、国のことなどこれっぽっちも考えず、ただ女と酒に溺れることしか能がないのだ……!
だから、お願いだ、カイルきゅん!……いや、すまん、カイルくん! どうか、フェリカを救ってくれんか!」
「えええええええ!?」
おじいちゃんは、ワイングラスをテーブルに置くと、両手を組んで俺の前に膝まずかんばかりの勢いで、今度は『うるうる』とした涙目で見つめてきた。
(いやいやいや、さすがにそれは無理のある話だぜ! いくらなんでも無茶苦茶だ!)
「だ、だがな、おじいちゃん! 俺がヘンリー叔父さんから王位を奪うような形になったら、そりゃあ恨みを買うに決まってるじゃないか! 下手すりゃ、フェリカ国内で内乱だって起きるかもしれないぞ?」
「ふん、ヘンリーの恨みなど、どうということはない! それは、このワシが責任をもって何とかする! あやつには、隠居料でもたんまりとくれてやって、どこぞの田舎で静かに暮らさせればよかろう!」
あのさぁ、おじいちゃん……。
なんか、色々と強引すぎるし、話が飛躍しすぎだよ……。
ヘンリー叔父さんの王位を奪うとか、そういう物騒な話じゃなくて、おじいちゃんも、ヘンリー叔父さんも、そしてフェリカの民も、みんなが納得できるような、もっと穏便な方法を探さないと……。
(だめだ、俺にはこんな難しい外交交渉、荷が重すぎたんだ……! そうだ、こういう時は、やっぱり親父だ! 親父に相談しよう!)
「おじいちゃん、ごめん! ちょっと、親父と、この件について相談してきてもいいか?」
「おお、そうかそうか。ゼファー殿にも、この話は通しておかねばなるまいな。ああ、構わんよ。ワシは、ここでゆっくりと吉報を待っているとしよう」
おじいちゃんは、そう言うとご機嫌な様子で、再びワイングラスに手を伸ばした。もう、俺がフェリカ王になるって決めたみたいな顔してるし。
俺は、一刻も早くこの場から逃げ出したくて、脱兎のごとく会議室を飛び出した。
目指すは、親父がいるはずのリリーママの部屋だ!
(親父、いま手が空いているといいんだけどな……絶対、なんか変なことになってるし!)
お城の廊下を走っちゃいけません、なんていう子供の頃に習ったマナーなんざ、今はどうでもいい。
とにかく、今すぐ親父にこのとんでもない事態を報告して、何とかしてもらいたかった。
(はぁ……外交交渉って、こんなに難しいもんなんだな……いきなり国一つ押し付けらるなんて、聞いてねえよ……)
息を切らせてリリーママの部屋の前にたどり着くと、そこには、いつもの白を基調とした神官服を身にまとったアウローラさんが、扉の前に立っていた。
「あらあら、カイルくんじゃないの。そんなに息を切らして、どうしたのかしら? もしかして、お姉さんの胸に飛び込んできたかったとか? うふふ、いいわよ、カイルくんなら大歓迎! まだ熟してない青い果実! 初物! ああ、なんて背徳的な響きなのかしら~!」
アウローラさんは、なんだかよく分からないことを『ぐへぐへ』と気味の悪い声で言いながら、口の端からヨダレまで垂らしている。相変わらずだな、この人。
(アウローラさん、男に逃げられてから、ちょっとおかしくなったよな……いや、元からか?)
俺に会うと、いつもこんな感じで意味不明なアプローチをしてくるんだ。
前に、いきなり抱き着かれて胸をぐいぐい押し付けられたり、本気でキスされそうになったりしたこともあったっけ……。マジで怖かった。
「ちょ、アウローラさん! 冗談はそのくらいにしてくださいよ! それより、親父と今、話せますか? リリーママの様子はどうなんです?」
俺が真面目な顔で言うと、彼女はぷうっと頬を膨らませて口をとがらせた。
あからさまに、少しつまらなそうな顔をしている。
「ちぇっ、カイルくんは相変わらず可愛げがないんだから。……ええ、リリーさんの洗脳は、さっきようやく完全に解けたところよ。ゼファーさんもレオンくんも、権能を使い果たしてヘトヘトみたいで、今は中でぐったりと休んでいるわ」
それを聞いて、俺は少し神妙な気持ちになりながら、リリーママの部屋のドアをそっと開けた。
アウローラさんも、黙って俺の後から部屋に入ってきた。
部屋の中では、親父とレオンが、本当に疲れ果てた様子で、大きなソファーにぐったりともたれかかっていた。顔色も悪い。
俺の姿に気づくと、親父もレオンも、言葉を発する元気もないのか、力なく片手を上げて親指を立ててみせた。
二人とも、ひどく疲れているようだったけど、その表情はどこかやり遂げたような、嬉しそうな感じもした。
「親父、レオン、大丈夫か? リリーママは……どうなったんだ?」
「うん……大丈夫だよ、カイルお兄ちゃん……。リリーお母さんの洗脳は……僕と、お父さんの力で……全部、解除できた、よ……」
弟のレオンの声は、今にも消え入りそうなくらい小さかったけど、その顔は確かにやり切ったという満足感に溢れていた。
視線をベッドの方へ向けると、そこにはリリーママが、すやすやと安らかな寝息をたてて眠っていた。
苦しんでいた時の険しい表情はどこにもなく、その寝顔はとても穏やかで、見ているこっちまでホッとするくらいだった。
「……カイル、わりぃな……。ちょっと、限界だ……。悪いが、俺は隣の部屋のベッドで、少し寝てくるわ……」
親父が、壁に手をつきながらゆっくりと立ち上がると、本当にふらふらとした足取りで、隣の空いている寝室へと消えていった。
よっぽど権能を使い過ぎたんだろう。
あれは、しばらくゆっくりと休ませてやる必要がありそうだ。
「……ごめん、カイルお兄ちゃん……。僕も、もう……限界、みたいだ……。自分の部屋で、寝てくる、よ……」
弟のレオンも、親父とまったく同じように、ふらふらとおぼつかない足取りで部屋を出て行った。
レオンのやつも、かなり無理をしたんだろうな。本当にお疲れ様だ。
二人を見送った後、アウローラさんが、いつになく静かな足取りでリリーママのベッドへと近寄った。
そして、眠っているリリーママの額に、そっと優しく手を当てた。
すると、アウローラさんの体から、ふわりと柔らかなオーロラ色の光が漏れだし、部屋全体を暖かく包み込んだ。
しばらくすると、彼女の背中から、バサッという音とともに、純白の大きな天使の羽が現れた。神々しい光景だ。
「……うん、これで大丈夫ね。リリーさんの精神も安定したわ。……でも、これだけ強力な洗脳を解いたんだもの。術をかけた相手にも、何かしらの反動……大きなダメージが跳ね返っているはずよ……」
アウローラさんは、静かにそう言った。
「え? アウローラさん、それって、どういうことだい?」
俺は、そのあまりにも神秘的で美しい光景に、思わず目が釘付けになっていた。
やがて、彼女は静かにその神々しい羽根とオーロラの光を消し、いつものアウローラさんに戻った。
「『人を呪わば穴二つ』って言うでしょ? こういう精神干渉系の呪いや洗脳は、無理やり解かれると、その呪詛がそっくりそのまま術をかけた本人に跳ね返るのよ。いくら強力な権能の持ち主でも、仕掛けたのはおそらく一人でしょう。ゼファーさんとレオンくん、あの親子二人の権能には、敵わないわ」
アウローラさんは、どこか遠くを見るような、少しだけ悲しそうな瞳をして、静かに言った。
珍しく、彼女は少しだけ下を向いている。
もしかしたら、洗脳をかけた相手のことを、少しだけ心配しているのだろうか?
呪いがそっくりそのまま返ったということは、その相手は、きっとタダでは済まないだろうな……。
(それにしても、こうして真面目な顔をしているアウローラさんって、本当にどこかの女神様か、本物の天使みたいに見えるんだけどなぁ……。まあ、普段は昼間っから酒飲んで、そこら辺の男を追いかけ回してる、ただの残念な美人なんだけどさ……。でも、この人なら、何か良い知恵を貸してくれるかもしれない。よし、話してみるか)
俺が、さっき親父たちが座っていたソファーに腰を下ろすと、アウローラさんも、待ってましたとばかりに俺のすぐ横にぴったりと身を寄せて座ってきた。
(ち、近いよ、アウローラさん! いい匂いするけど、なんかドキドキする!)
甘えてすり寄ってくるアウローラさんを、とりあえず適当に引き離しながら、俺はさっき会議室であった、エドワードおじいちゃんとの一部始終を説明した。
俺の話を聞いている間、彼女は、最初は期待外れだったのか、少しつまらなそうに口をへの字に曲げていたが……
俺はそんな彼女の様子は気にせずに、説明を続けた。
エドワードおじいちゃんから、フェリカの王になって国を合併しないか、というとんでもない提案をされたこと。
でも、そんなことをしたら、ヘンリー叔父さんの恨みを買うのは必至だし、そもそも俺にはそんな大役は無理だってこと。
なんとか、みんなが丸くおさまるような、良い方法はないだろうか、と。
ヘンリー叔父さんから王位を奪うなんてことなく、穏便に済む方法を……
そして、エドワードおじいちゃんも納得してくれるような、そんな都合のいい方法なんて、あるわけないよな……なんて、半分愚痴みたいになってしまった。
俺の話を最後まで黙って聞いていたアウローラさんが、明るく口を開く。
「あら、なあに、カイルくん。そんなことで悩んでたの?だったら、答えは簡単じゃない。フェリカの王様になるのが嫌なら、もっとその上の立場になっちゃえばいいのよ!」
「へ? 王様の上……? そんなの、聞いたこともないんですけど! 王様より偉い人なんて、この世に本当にいるんですか? 学校の授業でも、そんなの習いませんでしたよ!」
俺は、あまりに突拍子もないアウローラさんの言葉に、思わずソファーから立ち上がって叫んでいた。
その発想は、まったく無かった。
「そうよ、カイルくん。あなたは、ただの王ではなく、王たちを束ねる『皇帝』になりなさいな。……そして、このリベルタスを、公国ではなく『帝国』とするのよ。……ふふっ、天使のアタシが承認してあげるわ……」
アウローラさんは、いつになく真剣な、そしてどこか楽しそうな、妖しい光を宿した瞳で、俺を見つめて告げた。
二人の間に、まるで永遠に続くかのような、不思議な静寂の時間が流れた。
それは、まるで、神の使いが重大な信託を告げるかのような、厳粛な雰囲気であった。
「とても面白い」★五つか四つを押してね!
「普通かなぁ?」★三つを押してね!
「あまりかな?」★二つか一つを押してね!




