ヘンリー・フェリカ王子の華麗なる一日
【ヘンリー・フェリカ王子視点】
俺はヘンリー・アウグストゥス・フェリカ。このフェリカ王国の、正真正銘の王子だ。
次期国王として、当然、王の権能も持っている。まあ、まだ親父ほど強くはないがな。
俺は今、自室の天蓋付きキングサイズのベッドに、気怠く横たわっていた。昨夜は少々、楽しみすぎたか。
高い窓からは、まぶしい朝の陽ざしが、部屋の奥まで差し込んでいる。もう昼近いのかもしれん。
このベッドのヘッドボードには、フェリカ王家の紋章であるグリフォンの勇ましい彫刻と、金糸で織り込まれた模様が施されている。俺にふさわしい寝床だ。
そして、天蓋からは、純白のシルクとレースをふんだんに使ったカーテンが、優雅に垂れ下がっている。
このベッドは、まあ、五人ぐらいなら余裕で寝れそうな広さだな。昨夜は二人だったが。
「ぐすっ……ぐすっ……」
ふと気配を感じて目をやると、ベッドの隅の方で、一人の若いメイドがシーツにくるまって丸くなり、か細い声ですすり泣いていた。ああ、昨夜の女か。名前は確か……
「うぐっ……うぐっ……王子さまヒドいですわ……これではもう、わたくし、お嫁に行けないですぅ……」
ふん、昨夜は存分に『可愛がって』やったというのに、まだ不満があるのか。面倒な女だ。
「おい、ステラ、何を泣いている。この俺が、王族の情けをかけてやったのだぞ? 光栄に思い、感謝して欲しいぐらいだ」
俺は、ベッドの上から見下して言ってやった。
ステラは、びくっと肩を震わせると、慌てて右手で涙をぬぐった。
その時だ。廊下から、ドシドシという無遠慮な足音が近づいてきたかと思うと、ノックも無しに寝室の重い扉が乱暴に開かれた。
こんな真似をするのは、この城広しといえど一人しかいない。だいたい見当はつく。
案の定、部屋には身長二メートルはあろうかという岩のような大男が、ぬっと入って来た。
「ヘンリー、またメイドを連れ込んでいたのか? いい加減にしたらどうだ?」
苦虫を噛み潰したような顔で、その男は言った。
こいつは、ガウェイン将軍。
忌々しい親父の側近であり、腹心であり、そして懐刀とか言われている。
まあ、昔から俺の面倒も見てきただけあって、この城の中では比較的、話が通じる相手ではある。
「なんだ、ガウェインか。朝からやかましいぞ。別にいいじゃないか、これくらい。どうせ俺は、この国の王になるんだからな」
俺は、ベッドに寝そべったまま、気怠そうに答えた。
そんな俺を見て、将軍が、これみよがしに『はあっ』と深いため息をついた。芝居がかった奴め。
ガウェインは、俺がまだ本当に小さい頃から、何かと面倒を見てくれたし、剣術ごっこや乗馬の相手もよくしてくれた。
この堅苦しい城の中で、俺が唯一気を許せる数少ない人物の一人ではある。
ただ、最近は親父に輪をかけて説教臭くなってきて、正直ちょっとウザい。
「ヘンリー、そんなことを言って油断していると、別のヤツに王位を取られるぞ?」
ガウェインは、テーブルの上に無造作に置いてあったチーズの塊を、大きな手でひょいとつまみ上げた。
それは確か、北のリベルタス公国とかいう、オーロラハイドから輸入されたとかいうチーズだったか。
俺は、あのオーロラハイドという国も、そこの連中も大嫌いだ。
「フンッ! オーロラハイドか? あのカイルとかいう、生意気なガキの居る国だな!」
とにかく、あのカイルとかいう小僧は気に食わない。
理由は無い。単純に、気に食わないのだ。
そして、存在そのものがムカつく。
あの親父も、何かにつけて、俺とそのカイルとやらを比べるのだ。うんざりする。
(チッ、リベルタス公国のカイルか……! 会ったこともねぇガキのくせに、いちいち俺の邪魔をしやがって……!)
『それに比べてヘンリーは』と続くいつもの説教。やれ、カイルは剣の腕が立つだの、やれ、カイルは勉学にも励んでいるだの……聞き飽きたわ!
親父は、毎年カイルの誕生日が近づくと、まるでウキウキしながら、プレゼントを用意している。
そのくせ、実の息子であるこの俺のことは、褒めるどころか、けなしてばかりだ。
やれ勉強しろだの、やれ武を磨けだの、朝から晩まで小言ばかりで、本当にうるさいことこの上ない。
そういう面倒なことは、全部ガウェイン、お前に任せておけばいいのだ。
親父には、なぜそんな簡単なことが分からないのだろうか?
その時、ベッドの隅で震えていたステラが、おずおずと口を開いた。
「あ、あの……王子様……僭越ながら、一言よろしゅうございますか?」
ふん、まだ何か言いたいことがあるのか。少しおびえているその表情が、また俺の劣情をそそる。
(昨夜も、最初は抵抗していたが、最後はなかなか良い声で鳴いてくれた。まあ、たまにはこうして『可愛がって』やってもいいだろう)
「何だ、ステラ。何か言いたいことがあるのか? ふん、いいだろう。この俺が、特別に発言を許可してやる」
ステラは、潤んだ瞳でこちらをじっと見つめてくる。
「あ、あの……その、エドワード陛下は、ただ、お孫さんであるカイル様が、可愛くていらっしゃるだけなのではないでしょうか……?」
……はぁ? こいつ、分かってねぇな。
この愚かなメイドは、全然、何も、これっぽっちも分かってねぇ。
問題は、そういうことじゃねぇんだよ!
「うるさいっ! 黙れ、小娘が! お前のような下賤の者に、何が分かる! さっさと洗濯場にでも戻って、汚れたシーツでも洗っていろ!」
俺は、怒鳴りつけた。
「はっ、はひぃぃ~っ! も、申し訳ございませんでした! ただちに失礼いたしますぅ~!」
ステラは、みるみるうちに顔を青くさせ、また泣きそうになりながら、慌ててベッドから這い出した。
自分のメイド服をかき集めて抱えると、ほとんど裸同然のまま、逃げるように寝室を飛び出していった。ふん、懲りない女だ。
ガウェインは、そのステラの哀れな後ろ姿を、何とも言えない複雑な表情で見送っていた。
「……あのなぁ、ヘンリー王子。いくら相手がメイドとはいえ、ああして主君に正直な意見を言うヤツは、もっと大事にした方がいいぞ?」
やれやれ、といった感じで、ガウェインはまたテーブルの上のチーズへと手を伸ばした。
そのチーズがよほど美味かったのか、今度は大きな二切れを一度につまみ上げ、無造作に口へと放り込んだ。行儀の悪い奴だ。
「そんなもんは、ガウェイン、お前がいればいいだろう。俺は王になるんだ。細かいことはどうでもいい」
俺のその言葉に、ガウェインはチーズを咀嚼する動きをぴたりと止めた。
口の中に残っていたチーズを、ごくりと重々しく飲み込む音が、やけに大きく部屋に響いた。
「ヘンリー、俺もいつまでお前の側にいられるかわからねぇんだぞ……」
ガウェインは、珍しく真剣な目で俺を見据えて言った。
その言葉には、俺も何故か言い返すことができなかった。
確かに、それはそうなのだ。
順番から言えば、親父や、このガウェインの方が、俺より先にくたばるのは当たり前のことだ。その時、俺は……
「それに、カイル王子は、シルクの血を引いている。お前の親戚だぞ? あまり悪く言うもんじゃねぇ」
(ちっ……ガウェイン、お前もか! お前まで、あのカイルとかいうガキの肩を持つというのか!? 親父だけじゃ飽き足らず、お前まで!)
俺の中で、何かがプツリと切れた。
「ガウェインッ! もういい、黙れッ! そして、とっとと俺の部屋から出ていけッ!」
俺は、我慢できずに叫んでいた。
ガウェインは、俺の剣幕に、一瞬何とも言えない悲しそうな、それでいて呆れたような複雑な表情を浮かべた。
だが、やがて小さく『やれやれだ』と呟くと、静かに背を向けた。
「……ひとつだけ言っておく。俺は以前、オーロラハイドを訪れた際に、カイル王子と剣の手合わせをした。あの若さで、なかなかの腕前だったぞ。そこいらの並の兵士よりよっぽど強かったぜぇ……じゃあな、ヘンリー。また来る」
そう言い残すと、ガウェインはドシドシと部屋を出て行った。
ガウェイン将軍が部屋を去ると、入れ替わるように、今日の当番であるらしい別のメイドたちが数人、恐る恐る入ってきた。
彼女たちは、銀の洗面器にぬるい湯を張り、清潔なタオルや俺の着替えなどを手にしている。
彼女たちは、俺の機嫌を損ねまいと、小さな声で『失礼いたします』と囁くと、手際よく俺の顔や体を拭き始めた。
別のメイドたちは、豪勢な朝食が並べられたワゴンを押してきて、テーブルの上に手早く準備していく。焼きたてのパンのいい匂いが鼻をくすぐる。
「……おい、酒だ! 酒を持ってこい! ただし、オーロラハイドのはダメだ!」
俺は、メイドの一人に吐き捨てるように命じた。
メイドたちが慌ただしく出ていくと、部屋にはまた俺一人が残された。俺は、ベッドに腰掛けたまま、ぼんやりと窓の外を眺める。
忌々しいほど、外は良い天気だ。
きっと今頃、あのステラとかいうメイドは、洗濯場でシーツでも洗っているのだろうな。ふん、いい気味だ。
やがて、別のメイドが恐る恐る運んできた年代ものの強い酒を、俺はグラスにも注がず、瓶から直接あおった。
それは、隣国グラナリアの、麦を使った酒だった。
(グラナリアか……ふんっ! あんな小国なぞ、俺が王になった暁には、真っ先に攻め滅ぼしてくれるわ!)
酒の勢いも手伝って、俺はにやりと口の端を歪めた。
「……よし、少し気が晴れた。あのステラでも、もう一度からかいに行ってやるか!」
俺は酒瓶を片手に、ふらふらとした足取りで部屋を出る。
ふと、城の中庭に目をやると、そこには、ひらひらと優雅に舞う一頭の白い蝶の姿が見えた。まるで、俺の未来を嘲笑っているかのようだった。チッ、気に食わねえ。
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