意外な展開
【カイル視点】
リリーママの部屋から戻ってきた親父が、俺の肩を掴んで一気にまくし立てた。
「と、言うわけなんだ! カイル、すまんが……しばらくの間、本当に公王の代役をやってくれ! フェリカのエドワード殿には、お前が次期公王だと明かして、正式に対応していいから!」
あの親父が、俺に深々と頭を下げてきた。よっぽど切羽詰まっているらしい。
いつもより早口で、その表情からは隠しきれない焦りみたいなものが感じられた。
「……うん、分かったよ。リリーママが誰かに操られていたなんて、大変なことだ。仕方ないよ」
さっき、親父が血相を変えて俺の部屋に飛び込んできて、リリーママが何者かに洗脳されてグラナリアのスパイにされていたらしい、という衝撃の事実を説明してくれたばかりだった。
なんでも、弟のレオンが気づいて、シド先生と一緒に親父に知らせに来たそうだ。あいつ、たまに鋭いよな。
その後、急いでアウローラさんにも診てもらったらしいんだけど、彼女の見立てだと、リリーママには何重にも複雑な暗示が仕込まれている可能性があるらしい。
完全に解呪するには時間がかかるし、しばらくは親父と、同じ権能を持つレオンが側に付きっきりでいたほうがいい、とのことだった。
(そりゃ、アウローラさんは本物の天使だからなぁ。その見立ては、きっと正しいんだろうな……)
俺は、なんだか急に重くなった肩をさするように、頭をポリポリとかいた。
(おっと、いけねぇ。アウローラさんの正体のことは、まだ秘密だった。たまにうっかり口に出しそうになるから気をつけねぇと)
「まあ、分かったよ。つまり、当面は俺がエドワードおじいちゃん……いや、エドワード殿の応対をして、リベルタス公国の代表として交渉すればいいんだろ?」
「ああ、まあ簡単に言えばそういうことだ。頼んだぞ、カイル! くれぐれも公式の場では『エドワード殿』だからな、間違ってもおじいちゃんなんて呼ぶなよ! どんな結果になっても構わん! お前の思う通りに、自由に交渉してこい!」
親父はそう言うと、また慌ただしくリリーママの部屋の方へ戻って行った。
(やれやれ、いきなり大役だな……)
俺は一つ肩をすくめると、エドワード殿が待っているはずの会議室へと、少し重い足取りで歩き出した。
会議室へ向かう途中の廊下で、宰相のバートルさんと、軍務大臣のヒューゴさんが神妙な顔で待っていた。
シド先生は、リリーママの件で何か調べるべきことがあると言って、商会の方へ戻ったらしい。
(シド先生がいないのはちょっと心細いけど、まあ、バートルさんがしっかりサポートしてくれるだろう。たぶん……いや、してくれるはずだ!)
俺が通りかかると、バートルさんとヒューゴさんは何も言わずに一礼し、俺の後ろを黙ってついてきた。いつになく緊張感が漂っている。
重々しい扉を開けて会議室に入ると、そこには円卓の上座で、フェリカ国王エドワード殿が、いつになくキリッとした真剣な表情で待っていた。
ところが、俺の顔を見るなり、その表情が一変。急にニッコニコの、いつもの優しいおじいちゃんの顔になった。
「おやおや~、カイルたんじゃないか! どうしたんだね、こんなところへ? もしかしておやつが欲しいのかな? 今はちょっと、ゼファー殿と大事なお話があるから、終わったら、また一緒にお散歩でもしようね!」
エドワード王は、そう言うと席を立って、にこやかに両手を広げた。完全に孫を見る目だ。
(うーん、これは説明が大変そうだぞ……)
俺は内心ため息をつきながらも、できるだけ真面目な、公的な表情を作って一歩前に出た。
「申し訳ありません、エドワード殿。本日は父ゼファーに代わり、このリベルタス公国、次期公王カイルが、ご対応させていただきます。……いえ、実を申しますと、今、この国の実質的な公王は、俺です」
「な、なんだと……? カイルたん……いや、カイル殿、それは一体どういうことだ? まさか、ゼファー殿の身に何かあったのか!?」
エドワード殿の顔から、さっきまでの笑顔が一瞬で消え、険しい表情に変わった。
「いえ、父上の身に何かあったわけではありません。実は……」
俺は、エドワード殿に事の経緯を説明した。『輝きのゴブリン亭の密約』によって、すでに内々に公王に就任していること。
それから、父の側室であるリリーママが、何者かによって洗脳され、グラナリアのスパイとして活動していたことが発覚したこと。
そして現在、父と弟のレオンが、リリーママの解呪と看護に専念しているため、俺が公王としての全権を代行していることを、包み隠さず伝えた。
俺の話を立ったまま聞いていたエドワード殿は、全てを聞き終えると、一言も発さずにゆっくりと椅子に腰を下ろした。
そして、円卓に両肘をつくと、顔の前で指を組み、何かを深く考え込むように目を閉じた。部屋には重い沈黙が流れる。
しばらくして、エドワード殿はゆっくりと目を開けると、ぽつりと言った。
「……そうか。リリー殿が……それは、けしからん話だ。だがな、カイル殿。不謹慎かもしれんが、今の話を聞いて、正直、わしはゼファー殿がうらやましいと思ったよ」
「エドワード殿、それは一体、何がうらやましいと仰るのですか?」
俺は、公的な立場を意識して、少し硬い口調で尋ねた。
(うう、やっぱりこの喋り方、なんか疲れるな……いつもの調子で話してぇ)
俺の心の声が聞こえたのか、エドワード殿はふっと表情を緩めた。
「カイルくん。いや、カイル公。ここではもう、普通におじいちゃんと呼んでくれて構わんよ。口調も、いつもの君のままでいい。その方が、わしも本音で話せるというものだ」
エドワードおじいちゃんは、テーブルの上のワイングラスに手を伸ばすと、赤い液体をひと口含んだ。
部屋の空気は、まだわずかだが緊張感を保ったままだった。
「……分かったよ、おじいちゃん。それじゃあ、遠慮なく。それで、さっきの、何がうらやましいって話だったのさ?」
俺も少しだけ、いつもの口調に戻す。
「決まっておる。カイルたん、君のようなしっかりとした息子を持って、ゼファー殿は本当に幸せ者だ。それに比べて、うちのヘンリーは……。ああ、ゼファー殿の教育が、よほど良かったのであろうな……」
おじいちゃんは、深いため息とともに、寂しそうに呟いた。
その言葉に、俺は何と言っていいか分からず、また気まずい沈黙が流れた。フェリカのヘンリー王子の評判は、俺の耳にも届いている。正直、あまり良い噂は聞かない。
その沈黙を破ったのは、やはりおじいちゃんだった。
「……なあ、カイルたん。単刀直入に言おう。君、フェリカの王になる気はないか? いや、なってくれんか? ウチのヘンリーのことなら心配いらん。いっそ追放するか、どこぞの辺境の領主にでもして隠居させる。そして、このフェリカ王国を、リベルタス公国と合併させ、一つの大国とするのだ! どうだ、悪い話ではあるまい!」
おじいちゃんは、突然、とんでもないことを言い出した。
俺は、メイドさんが気を利かせて出してくれたイチゴ入りの冷たいジュースを、危うく吹き出しそうになった。
慌ててゴクンと飲み込むと、今度は気管に入りそうになって、激しくむせ返った。
「げほっ、ごほっ……! お、おいおい、おじいちゃん! いきなり何を言い出すんだよ! だ、大丈夫なのか、頭!? ほ、ほら、ヒューゴさん! そんなとんでもないこと、議事録に書くのは止めてくださいよ!」
俺は、後ろに控えているヒューゴさんを振り返って叫んだ。
だが、軍務大臣のヒューゴさんは、俺の言葉などまるで聞こえていないかのように、ペンを止める様子はまったくない。
それどころか、むしろ何やら嬉々として、サラサラと羊皮紙にペンを走らせているではないか!
「はっはっは! いやはや、これはまさに歴史的瞬間ですな! リベルタスとフェリカの合併! 素晴らしい! エドワード陛下のお言葉、一言一句違わず、しっかりと記録させていただきましたぞ!」
それから、やっとヒューゴさんは満足そうにペンを置いた。
その顔は、にこやかな笑顔を通り越して、もはやニヤニヤしている。
「ちょ、ちょっとヒューゴさん! 何楽しそうにしてるんですか! ほら、バートルさんも! こういう時こそ、いつものように冷静に何かツッコんでくださいよ!」
俺は、今度は宰相のバートルさんに助けを求めた。
ところが、頼みの綱のバートルさんは、俺の言葉を聞くと、急に『ヒュ~ッ』とわざとらしく口笛を吹いた。
そして、明後日の方向を向き、天井のシミでも数えているかのように、俺とは頑なに目を合わせようとしない。
「いやぁ、これはまた、なんとも素晴らしいご提案ですな。さすがはエドワード陛下、慧眼でいらっしゃる。私は、実に良いご意見だと思いましたぞ、カイル公王陛下」
バートルさんは、ようやくこちらを向くと、いつもの真顔で、しかしどこか楽しそうにしれっと言った。目は笑っている。完全に面白がっているな、この人!
「ええーっ!? ちょ、ちょっと待ってくれよ! この会議って、ただ単に、両国の友好と同盟延長を確認する書類に、サインすれば、それで終わりじゃなかったのかよぉ~!」
「何を言うか、カイルたん! 君は、我が最愛の娘シルクの血を継いでおるのだぞ! つまり、このワシの血筋でもあるのだ! そんな君がフェリカの王になっても、何の問題もあるまい! 正統性は十分にある! そうと決まれば話は早い! はっはっはっは!」
俺の悲痛な心の叫びは、エドワードおじいちゃんの、やけに楽しそうな高笑いによって、会議室から無情にもかき消されてしまった。
本来の議題であったはずの、リベルタス・フェリカ同盟延長の誓約書は、いまだサインもされないまま、まるで忘れ去られたかのように、円卓の隅に置かれていた……
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