喧嘩と過去
【レオン視点】
馬車を降りると、僕とシド先生はお城の前に着いた。夜の闇に浮かび上がる黒の城は、昼間見るよりずっと大きく、威圧感がある。
僕たちが城の門へと近づくと、松明を持った門番の兵士が二人、槍を交差させて行く手を阻み、誰何してきた。
「誰だ!ここはゼファー公王陛下の居城である!」
「止まれ!こんな夜中に何の用だ!」
シド先生は慌てることなく門番の前へと進み出ると、手に持っていたランプを自分の顔の近くへと寄せた。
「……俺だ。ゼファー公に急用があって来た。レオン王子もご一緒だ」
「門番さん、通してください!さっきは勝手に抜け出してごめんなさい!」
僕たちの顔を確認した兵士たちは、慌てて槍を引くと、その場でカッと踵を鳴らし、直立不動の敬礼の体勢をとった。
「はっ! これはシド様にレオン王子! 大変失礼いたしました!」
「レオン王子! ゼファー陛下が大変ご心配されて、リビングでお待ちでございます!」
シド先生は「……分かった」とだけ短く返事をすると、僕を促して城の中へと入った。
僕たちが城のリビングへと向かうと、部屋の中では、ナイトガウン姿のお父さんが落ち着かない様子でウロウロと歩き回っていた。
「おお、レオン! 心配したんだぞ! 夜中にいなくなったと聞いて、ヒューゴたちに捜させようと思っていたところだ。まさかお前が一人で城を抜け出すとはな。案外やんちゃなところもあるんだな、ははは!」
お父さんはそう言うと、大きな腕で僕のことをぎゅっと抱きしめて、安心したように背中をポンポンとさすってくれた。
お父さんの大きな手は、とても暖かかった。
「……ゼファー、話がある。だが、お前にとっては聞きたくない話かもしれん。おそらく、怒るだろう」
シド先生が、さっきまでの冷静さとは違う、鋭い瞳でお父さんを見つめた。
それは、怒りを予感させる怖さもあり、だけどどこか、深い考えを秘めているような複雑な目つきだった。
「なんだいシドちゃん。お前がそんな真剣な顔をするなんて、めっずらしいじゃないか。それで、どうしたんだい?」
お父さんは、まだ事態を軽く見ているのか、両手でシド先生を指さしている。
「……茶化すな、ゼファー。……前もって言っておくが、殴るなよ?」
シド先生は、淡々と、しかし重々しい口調で、僕から聞いたリリーお母さんの密書のこと、グラナリアへの裏切りの可能性、そして、それが誰かの権能によるものである可能性を語りだした。
話が進むにつれて、お父さんの顔から笑顔が消え、徐々に青ざめていくのが分かった。
だけど、シド先生が話し終わる頃には、その顔は怒りで真っ赤になっていた。
両肩を怒らせ、足を踏ん張ると、ナイトガウンの上からでも分かるほど、腕の力こぶがメキメキと盛り上がる。
(うわっ……お父さん、本気で怒ってる……!)
「シドォ! てめぇ、ふざけたこと言ってんじゃねぇぞ! リリーが俺たちを裏切るだと!? あるわけねぇだろうが! おい、一発殴らせろや!」
お父さんは、まさに野獣のように吠えると、シド先生に殴りかかった!
『ドカッ!』
お父さんの岩のような拳が、シド先生の頬をまともに捉え、シド先生は避ける間もなく、床に叩きつけられるように倒れた。
「やめてよ! お父さーーーん!」
僕は、あまりのことに驚いて、思わずお父さんの太い腕にしがみついた。
シド先生は、ゆっくりと体を起こした。口の中を切ったのだろう。
その口の端から、一筋の血がつーっと流れていた。
「……ふっ……ゼファー。一発は一発だ。……分かっているな? 殴らせろ……どいてろ、レオン!」
シド先生は、少しふらつきながらも、しっかりと立ち上がった。
その目は、殴られた怒りというより、何かを確かめるように、鋭くお父さんを捕らえていた。
(えっ!? シド先生が、お父さんを殴る? お父さんはともかく、あの冷静なシド先生が?)
「おうッ! いいぜ! 来いやぁー、シドーッ!」
お父さんは、少しも怯むことなく、両腕を広げて仁王立ちになった。
殴られるのを、まるで待っているかのようだ。避けるそぶりすら見せない。
『バキッ!』
シド先生の、決して太くはない腕から繰り出された拳が、お父さんの頬を打ち、ゴツン、と鈍い音が響いた。お父さんが、後ろによろめく。
(うわっ! あの頑丈なお父さんが、シド先生の一撃でよろめくなんて!)
「くっ……シド、てめぇ……! なかなかいいパンチじゃねーか!」
「……フッ……お前ほどではないさ」
だけど、次の瞬間、殴り合ったはずの二人は、なぜか顔を見合わせて笑い出したんだ。
(え? どうして? さっきまであんなに怒ってたのに……二人とも、なんだか表情が柔らかくなったみたいだ)
「なあ、シドちゃん。こうやって殴り合ったの、いつぶりだっけか?」
「……フッ、昔、お前がまだ兵士で、俺が軍の酒保係をしていた時以来だな。もう何十年前になるか……忘れた。確か、軍の酒が切れて、お前が俺に殴りかかってきた時だ」
二人は、さっきまでの険悪な雰囲気が嘘のように、大きなソファーにどかっと座ると、お互いの肩を組み『はっはっは!』と豪快に笑いだした。
「ああ、そうだったな! あの時は腹も減ってたし、なんで酒もねぇんだって、お前に喧嘩売ったんだっけか!」
「……フッ、あの時は補給が切れていてな。無いものは出せん。食い物の恨みは、怖いな……」
お父さんとシド先生は、ひとしきり昔話に花を咲かせて笑ったあと、ようやく僕のほうに目を向けた。
「それで、レオン。お前の話だが……その密書とやらは、本当に見たのか?」
お父さんが、僕に尋ねてきた。その目は、もうさっきのような怒りは消えていた。いつもの、僕の大好きな、優しいお父さんの目に戻っていた。
「うん、間違いないよ! 僕、確かに見たんだ! 封筒に入ってたけど、まだ封はされてなかったから……今すぐリリーお母さんの部屋に行けば、きっとまだ机の上にあると思う!」
僕の言葉を聞いて、お父さんはゆっくりと立ち上がると、部屋のドアをじっと見つめた。
その視線の先にあるのは、きっと、リリーお母さんの寝室だ。
「……証拠アリ、ってわけか。よし、レオン、シド、行くぞ。リリーの部屋を確かめる。……特にレオン、お前の権能はお父さんと同じだ。万が一の時は、力を貸してくれ!」
「うん! もちろんだよ、お父さん!」
僕たち三人は、お父さんを先頭に、静まり返った夜の城の廊下を、足音を忍ばせて歩き始めた。
リリーお母さんの寝室へと、僕たちは静かに、急いで向かった。
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