推理
【レオン視点】
『ドンドンドンッ、ドンドンドンッ』
僕はシド先生の店の、重そうな木の正門を、拳が痛くなるのも構わずに一生懸命叩いた。確か、どこかに裏口があったはずだけど、夜の闇に紛れてどこにあるのかよく分からない。
頭の中は真っ白で、どうしたらいいか分からず、ただただ店の正面の門を叩き続けた。
中から何の反応もないので、どんどん焦りが募ってくる。
「開けてください! シド先生に会わせてください! レオンです!」
しばらく叩き続けていると、やがて、門の内側からランプの光が揺れながら近づいて来るのが見えた。
「どなたです?このような夜更けに……?」
それは、落ち着いた女性の声だった。この声には、聞き覚えがある。
「エイルさん! 僕です、レオンです! 今すぐシド先生に会わせて下さい! お願いです、一大事なんです!」
扉を少しだけ開けて顔を覗かせたのは、やっぱりエイルさんだった。彼女は美しいエルフで、シド先生の奥さんなんだ。
彼女の後ろには、屈強な護衛らしき兵士が二人、警戒するように控えている。
エイルさんは、シド先生が忙しくて学校に来られない時に、僕たちに薬草学や地理を教えてくれることもある、優しくて博識な人だ。
「あらまあ、レオンくんじゃないの! どうしたの、こんな夜中に? それに、そんな寝間着のままで……何かあったの?」
ちょうど月にかかっていた雲が流れ、月明かりがお互いの顔を照らした。エイルさんの心配そうな顔がはっきりと見える。
僕は門を叩きすぎたせいで、拳の皮がむけてヒリヒリと痛んでいた。だけど、今はそんな痛みを気にしている場合じゃない。
「シド先生に会わせてください! 今すぐじゃなきゃ、きっと大変なことになるんです!」
僕は必死の形相で、唇を強くかみしめ、拳を握りしめた。
僕のただならぬ様子を見て、エイルさんは何かを察してくれたようだった。
「そう、きっとよほど大事なことなのね。分かったわ、こちらへどうぞ」
エイルさんは、僕を招き入れると、裏口から家の中へと案内してくれた。
シド先生のお住まいは、オーロラハイドで一番の商会を営んでいるとは思えないほど、質素だった。
豪華な絨毯や、きらびやかな調度品のようなものは、ほとんど見当たらない。どちらかと言うと、それは住居というより、店の倉庫に近い印象を受けた。壁際には、大小さまざまな木箱が、天井に届くほど高く積み上げられている。
(これは全部、店に入りきらない商品なのかな……?)
奥の部屋の扉の前で、エイルさんが声をかけた。
「あなた、レオンくんがお見えよ。入るわね」
「おっ、お邪魔します!」
僕は、緊張しながら挨拶をした。
そこは、シド先生の寝室兼書斎らしき部屋だった。
部屋の奥には狭いシングルベッドと、書類が山積みになった机と窓が一つ。そして、左右の壁は、床から天井までぎっしりと本で埋め尽くされた本棚になっていた。
机の上の壁には、リベルタス公国全土を示す大きな地図が貼ってあり、いくつかの場所には赤い印が付けられていた。
「……どうした、レオン。こんな夜中に騒々しいぞ?」
シド先生は、ランプの明かりの下で何か書類を書いていたようだった。
僕たちが入ってくると、彼は細い眼鏡を外して、静かに机の上に置いた。
そして、ゆっくりと椅子から立ち上がると、こちらを真っ直ぐに見据えた。その目は、いつも通り冷静で、何もかも見透かしているようだった。
(やっぱり、シド先生しか相談できる人はいない! お父さんに話したって、きっと『夢でも見たのか』なんて笑われるだけだ)
「じっ、実はシド先生! 大変なんです!」
僕は、息を切らしながら、さっき見たこと、聞いたこと、そして僕の不安……その全てを包み隠さず話した。
うまく説明できたかどうかは分からない。
気持ちが焦って、ところどころ早口になってしまっただろう。
もしかしたら、焦りすぎて呂律も回っていなかったかもしれない。
だけど、シド先生は、腕を組んで、ただ黙って僕の話を聞いてくれた。一度も遮ることなく。
僕がぜえぜえと息を整えながら話し終えると、シド先生はしばらく目を閉じて考え込んでいたが、やがてゆっくりと目を開けると、右手の指を二本立てた。
「……レオン。可能性は二つだ……」
シド先生は、いつもよりさらに低い、落ち着いた声で言った。
「そ、それはどんな可能性でしょうか! やっぱり……やっぱりリリーお母さんは、僕たちを裏切って、スパイになってしまったのでしょうか?」
僕の震える声を聞いても、シド先生の表情は変わらない。彼は、ゆっくりと手を下ろした。
「……まず一つは、その通りだ。君の母リリーが、何らかの理由でグラナリア側に与し、スパイとして活動している可能性。これは誰でも思いつく……だが、リリーが我らを裏切る理由が、俺にはどうにも思い浮かばない……」
その言葉を聞いて、僕の体は緊張と恐怖でガタガタと震え出した。お母さんが、スパイ……?
足から力が抜け、膝が笑い出す。
その場にへたり込みそうになるのを、僕は必死で堪えた。
「じゃ、じゃあ……もう一つの可能性というのは、何なんですか?」
一方、シド先生は相変わらず冷静だ。
その瞳には、何の動揺も浮かんでいないように見えた。
「……もう一つは、権能だ。お前やゼファーが持っているような、人の思考を操る類の……例えば、思考誘導や魅了といった権能の可能性だ……」
その言葉を聞いて、僕は少しだけホッとした。
「それなら! それなら、お母さんを救えるかもしれません!」
そうだ、シド先生に相談して良かった!
もしそうなら、僕の貴族神授領域で、お母さんを元の状態に戻せるかもしれない!
安心したせいか、ついに足の力が完全に抜けて、僕はヘナヘナと床に座り込んでしまった。
「……だが、レオン。気を抜くのはまだ早い。もし権能によるものだとしても、どんな命令が刷り込まれているか分からん。下手に刺激すれば、何をしでかすか予測できん」
そこまで話すと、シド先生は僕の手を取って立たせる。
「……いずれにせよ、これはリベルタスの危機に関わる問題だ。今すぐ、ゼファーに知らせる必要がある。お前の力も必要になるかもしれん。エイル、悪いが馬車の用意を。レオン、ついてこい」
「はっ、はい! シド先生!」
僕は慌てて立ち上がり、シド先生の後を追った。エイルさんが手配してくれた馬車に乗り込み、僕たちは再びオーロラハイドの暗い街の中を、今度はお城へと向かった。
さっきまで顔を出していた月は、また厚い雲に隠れてしまった。
通りはしんと静まり返り、もうどの店も明かりを落としている。
ただ、遠くで野良ネコ同士が喧嘩をしているらしい、甲高い鳴き声だけが、夜の闇に妙に大きく響いていた。
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