公務と指導
【カイル視点】
『リベルタス歴16年 6月22日 昼前』
俺は、内々にだが公王になった。そのせいか、大事な仕事も回されるようになる。専用の執務室も与えられた。机も、前よりちょっと立派なやつだ。
ただし、横には宰相バートルさんが立っており、常に監視とチェックをしている。あの鋭い視線は、剣の稽古の時と変わらなくて、ちょっとだけ緊張する。
「えーっと、なになに? 金貨・銀貨・銅貨の造幣許可求む……トーリンおじさんからの要望だな。理由は祭りが近いから、貨幣が不足するかも知れないか。さすがトーリンさん。よっしサインっと」
羽ペンを持ち、インク壺にペン先を浸す。羊皮紙に『カイル・リベルタス』と自分の名前を書き込もうとした、まさにその時だった。
『バァンッ!』
バートルさんが分厚い手で机を叩いた。その音に、俺は思わず肩をビクッと震わせる。
「カイルくん、いや、カイル殿。その書類が仮に正しいとしましょう。数字は見たのですか? 明らかに多すぎます。こんなに貨幣を作ったら、価値が落ちます!」
バートルさんは、書類の数字が書かれた部分を、太い指でトン、と叩いて強調した。
俺は頭にハテナマークを浮かべて、バートルさんを見る。書類のどこが問題なのか、さっぱり分からない。
「え~っ、じゃあトーリンおじさんは、なんでこんな要望出したの?」
分からないことは素直に聞くに限る。それが俺のやり方だ。
「……フッ、俺が説明してやろう」
「あっ、シド先生!」
いつの間にか執務室の扉のそばに立っていたシドさんが、静かに口を開いた。相変わらず、気配を消すのがうまい。
執務室に入って来たシドさんは、机の前に立つ。
「……簡単だ。いま、銅貨一枚でヤキトリ何本買える?」
学校帰りによく買い食いしていたから、ハッキリ覚えている。あの甘辛いタレの匂いを思い出すと、お腹が鳴りそうだ。
「うーん、十本くらいかな? 輝きのゴブリン亭みたいな高いところだと五本かな?」
このあたりの数字はパッと出てくる。
とても簡単だ。
「……そうだ。だが、銅貨一枚で、ヤキトリ一本しか買えなくなる可能性がある」
「何それ! ? ヒデェ……じゃあ、トーリンおじさんは何を考えているの?」
俺は目を丸くしてシド先生に詰め寄った。
あの人の良さそうなドワーフ王を思い出す。いつもは陽気で、美味い酒と肉のことばかり考えているような人なのに。
輝きのゴブリン亭の密約でも一緒だったのに。
「……フッ、答えは簡単だ。ドワーフ族が儲かるからだ。金・銀・銅は価値はあるがそのままでは食えん。ドワーフは常に食料を求めている」
ああ、なんとなく分かった。
親父がドワーフの山に連れて行ってくれたが、畑がわずかにある程度で、鉱山だらけだった。岩と金属ばかりで、緑は少なかったっけ。
金に価値があるのは分かるが、確かにそのままでは食えない。
「つまり、トーリンおじさんは、食べ物が欲しいわけだね! そうだ! 祭りの時に配る木札を多くしたらどうだろう?」
お祭りではリベルタスの紋章の焼き印が押された木札が配られる。
これは、食べ物との交換券だ。みんな楽しみにしている。
「カイルくん、いいかげんにしてください! そしたら今度は国の財政が傾きますよ!」
バートルさんが、今度はこめかみを押さえて大きなため息をついた。
「ええ~ダメなの~?」
またもやバートルさんに怒られる。やっぱり宰相は厳しい。
(俺、本当に公王なのかな? 怒られてばっかりじゃないか! 親父はもっと自由にやってた気がするけど……いや、バートルさんによく書類仕事を押し付けてただけか?)
「……いや、アイデア自体は悪くない」
シドさんがボソっと言いながら近寄ってくる。黒い服が、音もなく床を滑るようだ。
机に手を置くと、こちらを見てきた。その細い眼鏡の奥の目は、いつも何かを見透かしている。
「ほう、理由をお聞かせ願いましょうか? 財務大臣どの」
宰相バートルは嫌味ったらしい顔と表情だ。腕を組んで、シドさんをねめつける。
言い方もねっとりしている。いつもは冷静沈着なバートルさんだけど、シド先生相手だと、ちょっとだけムキになる。
「……俺は商人だ! その呼び方は好きではない。金がないなら、ある所から吐き出させればいい」
シド先生は、バートルさんをきつくにらむ。二人の間に、バチバチと火花が見えるようだ。
そして、ふとこちらに優しい目を向ける。
「……俺の商会が、木札の代金を出してやろう」
「いいんですか! シド先生!」
俺は思わぬ援護に声が高くなる。やったぜ!
「……フッ、税金を下げても同じ効果が期待できる。だが、もともとリベルタスは税金が安い。だから税を下げる必要はない。ここは食い物を出したほうがいいだろう」
(シド先生、カッコつけてるだろ。あちゃ~バートルさんが睨んでるよ。でも、助かった!)
「シド、本当の理由を聞こうか?」
バートルの声が低くなった。さっきよりもっと怖い顔だ。
目つきも悪いが、眉間にシワも寄っている。
「……簡単だ。あまり儲けすぎると恨まれる。利益は還元すべきだ。俺の商人としての矜持だ。感情の問題だ。いろんなヤツのな……」
なるほど、シドさんにとって、金儲けはきっと遊び感覚なのだろう。でも、ただ儲けるだけじゃなくて、こういうバランス感覚があるから、みんなに信頼されてるんだ。
金が増えれば嬉しいに決まっている。
大量の金貨を持っていても、そんなにヤキトリを食べる事はできない。
だけど、これを言うと怒られそうなので自重した。
「ねえ、親父もこんなことしていたの? 親父もできる?」
するとバートルとシドは、ほぼ同時に、深ーいため息をついた。
「残念ながら、ゼファー様はからっきしでございます」
「……あいつはダメだ、この手の話をするとすぐ逃げる」
逃げる親父の姿が簡単に想像できた。目に浮かぶようだ。
「そりゃ、親父が悪い事をしたな」
俺が感想を口にすると、二人はやれやれと言う仕草をした。まったく、うちの親父は……
今度は執務室に軍務大臣のヒューゴさんが、いつものように勢いよく入ってくる。
「おっ、みなさん執務ですかな? 感心ですな!」
その声だけで、部屋の空気がパッと明るくなった気がする。
「ヒューゴさん、いらっしゃい! お茶でも飲んでいってよ」
俺はメイドを呼ぼうと思い、呼び鈴を手を伸ばすが……
「いえいえ、おかまいなく。それより、フェリカ王国より、エドワード陛下がお見えになるそうですぞ! 近くまで来られているそうです」
「えっ! エドワードおじいちゃんが! ヒューゴさん案内して!」
エドワードおじいちゃんはシルクママのパパだ。
とてもやさしい。いつも俺に甘いんだ。おじいちゃんが大好きだ。
(何かお土産貰えるかな? この前もらったお菓子、美味しかったんだよな……)
俺は仕事をいったん休憩にすると、ワクワクしながら外へ走って行った。
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