学生たち
【カイル視点】
塩の村での騒動も一段落し、俺と親父は、朝日を浴びながらオーロラハイドへの帰路についていた。馬の蹄が土の道を規則正しく叩く音だけが、静かな朝の空気に響いている。
馬の常足で、およそ一時間半といったところか。昔の親父は、この距離を重い塩を担いで、歩いて往復していたと言うのだから、本当に頭が下がる。
オーロラハイドの三重の城壁が見えてくると、俺たちは去年完成したばかりの、黒い石造りの立派な城へと馬を進めた。城下町は朝早くから活気に満ちていて、パンを焼く香ばしい匂いや、鍛冶屋の槌の音が風に乗って運ばれてくる。
それぞれ愛馬に乗り、石畳の道をカポカポと進んでいると、不意に親父が声をかけてきた。
「なあ、カイル。前に俺たちが住んでいた屋敷のことなんだが、あれ、どうしようか?」
親父は、たまにこういう重要なことを聞いてくる。
「ん~、前の屋敷か……誰かに譲ってもいいし、思い切って潰して公園にでもするか? でも、正直言うと、今の城よりあの木造の屋敷のほうが居心地はいいんだよな。だから、残しておいても価値はあると思うぜ?」
あそこは、俺が生まれてからずっと過ごしてきた屋敷だ。やっぱり、それなりに思い入れはある。今の黒の城は、確かに立派で頑丈な石造りだけど、そのせいで寒い日は底冷えするし、逆に暑い日は熱がこもってサウナみたいになるんだ。城に住んでみて初めて、昔ながらの木造建築の良さが身に染みて分かった。
「ん~そっか。お前もそう思うか。じゃあカイル、あの屋敷はお前にやるよ」
親父の言葉に、俺はキョトンとした顔をしていたに違いない。
「えっ? いいのかよ、親父? それなら、ありがたくもらっとくぜ!」
最近の親父は、やけに気前がいい。この前だって、ドワーフのトーリン王に特別に作ってもらったという、見事な装飾の剣もくれた。それから、母の一人であるエルミーラママが、エルフの秘伝の技で作ったという美しい弓もだ。ゴブリン族の聖地だという、あの神秘的な虹の滝にも連れて行ってくれたし、ドワーフの鉱山やエルフの里にも、最近はよく顔を出している。まるで、何か思い残すことがないように、俺に色々なものを見せ、与えようとしているみたいだ。
「そうだ、親父。このままオーロラハイドの学校に寄っていかないか? 剣の稽古でもしたい気分なんだ」
「おう、いいぜ。じゃあ、カイルについて行くとするか」
俺たちは馬首を巡らせ、懐かしい学び舎へと向かった。
学校に着くと、校庭では様々な年齢の学生たちが元気に走り回っていた。下はまだあどけない六歳くらいの子から、上は俺と同じ十五歳くらいまでの若者たちだ。
(俺が入学したときは、生徒は俺一人だけだったっけな……。今はもう三十人ちょっとの大所帯か。なんだか、またあの頃の給食が食べたくなってきたぜ。グラナリア産の小麦で作ったパンと、搾りたての牛乳が、妙に美味かったんだよな)
学校の門には、屈強な門番が立っているが、俺と親父の顔を見るなり、恭しく敬礼して通してくれた。まあ、顔パスってやつだ。
親父と二人で、目的の教室へと向かう。木の床がギシギシと懐かしい音を立てた。
親父が、教室の引き戸を『ガラカラガラッ』と、少し乱暴に開けた。
「よお、今日の先生はシドちゃんかよ。悪いけど、カイルが剣の稽古をしたいって言うんだ。交代しろや」
親父が、教壇に立っていたシド先生に向かって、いつものように馴れ馴れしく要求した。俺は慌ててシド先生に深々と一礼する。
「……ゼファー……相変わらず騒々しい男だ。悪いが帰ってくれ。今は算数と交易論の授業中だ」
シド先生は、やれやれといった表情でため息をついた。
教室の中を見渡すと、弟のレオンと、妹のエリュアが、俺に気づいて小さく手を振っているのが見えた。レオンはリリーママの子で人間だ。エリュアはエルミーラママの子でエルフだ。二人とも、俺にとっては可愛い弟と妹だ。
ドワーフのバーリンくんは、最前列の席で、こっちを真面目な顔つきで見ている。彼はトーリン王の息子で、俺の良きライバルだ。ゴブリンのグリシーちゃんは、人懐っこい笑顔をこちらに向けてくれた。彼女はグリーングラス王の娘で、明るく活発な女の子だ。
(それ以外の生徒たちは、オーロラハイドの街の裕福な商人や職人の子供たちなんだよな。みんな、真剣な顔で授業を受けているな)
「なあ、シド先生。ちょっと聞きたいんだけどよ。俺たち王族と、他の貴族の子たちだけに、こっそり別の本を読ませてるだろ? あれ、一体何を教えていたんだ?」
俺がそう尋ねると、シド先生は「……フッ」と、珍しく口の端を上げて笑った。
「……カイル、お前は昔から鋭いところがあったな。そうだ、あれは戦術論と戦略論……それから、陰謀というやつを教えていた」
シド先生は、パタンと手に持っていた分厚い本を閉じた。
「……よし、レオン。ちょうど良い。この前、メルヴを襲った者たちの正体と、その動機について答えてみろ」
シド先生に指名され、レオンは少し癖のある赤い髪を指でいじりながら、ゆっくりと席を立った。
「はい! シド先生。メルヴを襲撃したのは、おそらくグラナリア公国と繋がりのある騎馬民族だと思われます。彼らの動機は、メルヴを征服し、その豊かな交易路を手に入れることではないでしょうか」
レオンの答えを聞きながら、シド先生は胸ポケットから細縁の眼鏡を取り出してかけた。
「あれあれ~、シドちゃん、ついに目が悪くなったのかぁ~? もうすっかり年寄りだな~!」
親父が、シド先生をからかうように大きな声を出す。
「……茶化すな、ゼファー。お前もいずれそうなる。……ふむ、レオン、六十点といったところか」
シド先生は親父の軽口を無視すると、次々と他の生徒たちを指名していくが、誰も百点満点の答えを出すことはできない。その問題の難しさが伺える。
「はいっ! シド先生! 俺に答えさせてくれ!」
今まで教室の入口に立ったまま授業を眺めていた親父が、まるで生徒のように元気よく手を上げた。
「……なんだ、ゼファー。お前が答えるというのか。いいだろう、言ってみろ」
シド先生は、心底面倒臭そうに、しかしどこか楽しんでいるような表情で言った。
「はいっ、シド先生! メルヴを襲ったのは、間違いなくグラナリア公国の仕業だと思いますっ!」
親父は、自信満々に、ハキハキとした声で答えた。
「……ほう、その根拠は?」
「わりぃな、シドちゃん。ちっと黒板に地図を貼ってくれや。その方が、こいつらにも分かりやすいだろ?」
「……ふむ、それもそうか……」
意外にも、シド先生が素直に親父の言う事を聞き、助手の生徒に指示して、黒板に大きな世界地図を貼らせた。あの孤高の商人シド先生が、いとも簡単に人の言うことを聞くとは……。シド先生は、あの手強い宰相バートルさんを相手にしても、一歩も引かない人なのに。
「いいか! お前ら、よく見ろ! この通り、グラナリア公国は、我々リベルタス帝国と、南のフェリカ王国に、完全に挟まれている! つまり、外へ自由に出る事ができないってわけだ。お前たち、ここまではいいか?」
親父が、バンッ! と黒板のグラナリア公国のあたりを力強く叩いた。生徒たちは皆、真剣な表情で親父の話に聞き入っていた。俺も、空いていた一番後ろの席にこっそり座ると、親父の言葉に静かに頷く。
「そうすると、グラナリアはどうなる? はい、誰か分かるか?」
「はいっ!」
妹のエリュアが、勢いよく手を上げた。
「はい、エリュアちゃん、どうぞ!」
「えっと、えっと、リベルタス帝国とフェリカ王国の二つの国から、ボコボコにされちゃうと思います!」
「はい、エリュアちゃん、その通り! 大正解だ!」
いつの間にか、シド先生の授業を、親父が完全に乗っ取ってしまっていた。当のシド先生はというと、教室の窓際の壁にもたれかかり、腕を組んで静かに親父の授業を眺めている。だが、その眼光は相変わらず鋭く、何かを見極めようとしているかのようだった。
「あと、シドちゃ~ん。お前、うちの塩の値段、下げすぎなんじゃねぇか? そんなことしてると、そのうち、グラナリアの国自体が干上がって、経済破綻しちまうぞ?」
「……ゼファー、その問題は、ちょうど次の試験に出そうと思っていたところだ。答えをバラすな。百点やるから、少し黙っていろ……それから、俺の授業を勝手に乗っ取った罪で、マイナス百点だ。よって、お前は零点だ」
親父が零点だと聞いて、教室中がどっと爆笑の渦に包まれた。親父も、まんざらでもないといった顔で、一緒に笑っている。
だが、俺とシド先生と、そして弟のレオンだけは、黙って顔を見合わせていた。
笑えない……これは、全く笑えない話だ……
「……まあ、いい。ついでだ。ゼファー、カイル。お前たちも給食を食っていけ。今日のメニューは、ビーフシチューだ」
(給食だ! やったぜ!)
俺は、心の奥にもやもやとした何かを感じながらも、久しぶりの給食を食べることにした。元クラスメートたちと昔話に花を咲かせているうちに、さっきの授業の難しい内容は、いつの間にか頭の片隅に追いやられてしまっていた。
今日のビーフシチューに入っていた肉は、すごく柔らかくて美味かったけど、どうしても歯に引っかかって、なかなか取れなかった。
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