陰謀のグラナリア
【赤熊のヴィレム・ディ・スピーガ・グラナリア公王視点】
我、ヴィレム・ディ・スピーガ・グラナリアは、重厚な執務室の椅子に深く腰かけると、『ふうっ』と重いため息を一つ漏らした。
この執務室は、グラナリア城の中でも特に堅牢な厚い石造りで、外の喧騒はほとんど聞こえてこない。
だが、狭い窓から眼下に目をやれば、黄金色に輝く広大な麦畑が地平線まで広がっているのが見える。我がグラナリアの力の源泉だ。
……まずは、ここまでの忌々しい経緯を、改めて整理せねばなるまい。
我は、机の引き出しから分厚い革表紙の日記帳を取り出すと、重々しくそのページを開き、自らの筆跡を追い始めた。
まず、忘れてはならぬのは、南に位置するフェリカ王国が、長きにわたり我らにとって強大な壁であったという事実だ。
我らがグラナリア公国の北方と東方は、荒れ狂う『北の海』と『東の海』に面している。
そして、陸続きの南方と西方は、その全てをフェリカ王国に完全に包囲されていたのだ。
我がグラナリアが、どれほど豊かな穀倉地帯を抱えていようとも、これでは周囲に進出できる余地は皆無。
軍事力においても、国力においても、フェリカ王国に完全に押さえ込まれていたと言ってよい。
このままでは、我がグラナリアに将来性などありはしない!
そんな閉塞した状況の中に、ある日、一条の光とも言える朗報が舞い込んできた。
フェリカの北方の辺境地、オーロラハイドが独立するというのだ!
それは、長年フェリカ王宮に忍ばせておいた我が間諜からの、確度の高い報告であった。
間違いあるまい。
我は、その報せに狂喜した。
我らを抑圧する巨大な敵国が、勝手に内側から分裂するというのだからな!
しかし、その喜びも束の間であった……。
オーロラハイドは、ゼファーとかいう男を指導者としてリベルタス公国を名乗り、あろうことか、独立したはずのフェリカ王国と、早々に軍事同盟を結んでしまったのだ!
「……これでは、まるで茶番ではないか。最初から仕組まれた出来レースのようだ……」
我は、日記のその箇所を読みながら、再び苦々しく呟いた。
それ以前に仕掛けた、フェリカ国内のルシエント伯爵を煽っての反乱は、実にうまくいった。
はずだったのだ……あの時までは。
しかし、かのルシエント伯が、我らの予想を遥かに超える無能であったため、フェリカ王国にはほとんど打撃を与えることができなかった。
それどころか、反乱鎮圧後はルシエント領がフェリカ王家の直轄地となり、かえって彼らの結束を強める結果となってしまった。
我らの描いた筋書きでは、混乱したルシエント領へ軍事介入し、漁夫の利を得るはずであったというのに……。
だが、どれほどの強国とて、完璧ということはあり得ない。
必ずや、突くべき弱点があるはずなのだ。
そう、常に弱点を探し、好機を待つ……それこそが、グラナリアの生きる道。
フェリカ国王エドワードは、老齢。そして、その後継者である息子のヘンリー王子は、救いようのない放蕩者だと聞く。国政にも、民のことにもまるで興味を示さず、日々女と酒に溺れていると。これぞ、付け入る隙だ。
一方、リベルタス公王ゼファー。奴自身は、戦以外はからっきしの無能者だという評判だが、その息子カイルは、父とは似ても似つかぬ才器であるらしい。勉学も武術も、既に人並み以上のものを持っているとか。
オーロラハイド独立から、早や十年近くが経つか。あの時の赤子が、カイルも今年で十五歳になったという。時が経つのは早いものだ。
「……カイル、か。これは将来、間違いなくグラナリアの脅威となるな……。我の代で、この閉塞した状況を打破し、アーサーのためにも盤石な礎を築かねばならぬ……!」
我は、日記から顔を上げた。
さらに忌々しいことに、リベルタスは、製塩法を改良し、質の良い塩を安価に大量生産しているという。
我がグラナリアも海に面し、古くから製塩を行ってきた。
だが、奴らのせいで塩の価格が暴落し、我が国の製塩業は大打撃を被っているのだ!
『ドンッ』
こみ上げる怒りに任せ、我は思わず樫の机を力任せに叩きつけた。
ならばと、今度は西方の交易都市メルヴに調略を仕掛けてみた。
メルヴ周辺の遊牧騎馬民族に多額の金品を贈り、そそのかしてメルヴを襲撃させ、弱体化を試みたのだ。
ここでも、我の策はうまく運ぶはずであった。
手筈通り、騎馬民族はメルヴに大規模な攻撃を仕掛けた。
しかし、かのメルヴには、『狐』の異名を持つ総督ハッサンと、『銀の』ロスタームという、恐ろしく有能な者たちがおり、寡兵ながらも巧みな戦術でメルヴの城壁を守り切ったのだ。
そればかりか、救援に駆け付けたリベルタスのゼファーと、まだ若いカイル親子によって、騎馬民族の主力はあっけなく蹴散らされ、壊滅した。
そして、機を逃さずメルヴ城内から守備兵が出撃し、退路を断たれた騎馬民族を挟撃したというではないか。見事な連携よ。
「むう……リベルタスめ、ことごとく我が策を邪魔しおって……」
我は唸るしかなかった。
『コンコンコンッ』
その時、執務室の扉を叩く音がした。
「陛下、ルーロフにございます」
「うむ、入れ」
我ながら、重苦しく、そして憂鬱な声が出たものだと自覚した。
扉が開き、我が腹心、『北海の狼』ルーロフ将軍が静かに入室してきた。
ルーロフは、その小柄な体格に似合わず、まさに狼のごとく獰猛で勇敢な男だ。
長年、フェリカ王国との国境で起こる数々の小競り合いを、ことごとく退けてきた、我がグラナリアきっての猛者である。
「陛下、ご報告申し上げます。またしても、フェリカ国王エドワードの輩が、リベルタスへ向かったとの報せにございます」
「ふん、またか。名目は何だ?」
「はっ。表向きは、孫であるカイル王子の誕生日祝い、とのことですが……」
そういえば、カイルが生まれた頃、エドワードがその誕生祝いにかこつけて、我がグラナリア公国へ攻め込もうと画策していたという、忌々しい話も我が耳に入っていた。
あれは、もう十四、五年前のことであったか。
あの時から、我の中で、フェリカは不倶戴天の敵となったのだ。
「ルーロフ……今回も、例の道化芝居であろうが、油断はならん。引き続き、奴らの動向の監視を続けてくれ」
「はっ、御意に」
ルーロフは、深く一礼すると音もなく退出していった。
必ずどこかに隙はあるはずだ……必ず……。我はその時を待つ。
「そして、その時が来れば……我が『投槍』を食らわせてやるぞ……!」
我は、固く拳を握り締めると、日記帳を音を立てて閉じた。
だが、胸の奥に燻るこのもやもやとした感情は、どうにも晴れることなく、憂鬱な日々が続いたのであった。
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