神授の領域
第五話 神授の領域
【ゼファー視点】
街を囲む土造りの城壁の上を、冷たい風が吹き抜ける。
俺、ゼファーは、眼下に広がる光景に息を呑んだ。
地平線を埋め尽くすほどのゴブリンの大群。その数、およそ千五百。対するこちらは、衛兵と義勇兵を合わせても五百程度。絶望的な戦力差だった。
「くそっ、ゴブリンども、よりにもよってこんな時に……!」
隣でヒューゴが、悔しげに拳を握りしめる。その顔には、焦りと不安の色が濃く浮かんでいた。
「落ち着け、ヒューゴ。まだ勝機はある」
俺はそう言うものの、内心では焦りを隠せない。ゴブリンどもは、粗末な武器や防具を身につけ、不気味な雄叫びを上げている。その中には、通常のゴブリンよりも一回り大きい個体も混じっていた。
(おそらく、あれがゴブリンキング……いや、違う。ゴブリンキングは、もっとオーラを纏っていたはずだ)
「……ゼファー、あれを見ろ」
シドが、冷静な声で俺の注意を引く。指さす先には、ゴブリン軍の中央に位置する、大きなゴブリンがいた。そいつは、他のゴブリンとは違い、立派な鎧を身につけ、巨大な戦斧を手にしている。
「あれが、今回のゴブリン軍の司令官か……」
俺は、そう呟いた。ゴブリンキングではないにしろ、相当な強敵であることは間違いない。
その時、ゴブリン軍の中から、ラッパのような音色が響き渡った。雄叫びが止み、ゴブリンたちが一斉に動きを止める。巨大なゴブリンが、ゆっくりと前に進み出てきた。
「人間ども! 我が名はゴファー! この軍勢を率いる者だ!」
ゴファーと名乗るゴブリンは、太い声で叫んだ。その声は、不思議と城壁の上まで、はっきりと届く。
「貴様らに、慈悲を与えてやろう! この場で降伏すれば、命だけは助けてやる!」
ゴファーは、ニヤリと笑った。その顔には、明らかな侮蔑の色が浮かんでいる。
「ふざけるな! 誰が貴様らゴブリンなどに降伏するものか!」
ヒューゴが、怒りを込めて言い返す。しかし、その声は震えていた。無理もない。この圧倒的な戦力差を前にすれば、誰だってそうなる。
「ほう、ならば仕方ない。力ずくで、貴様らを滅ぼすだけだ!」
ゴファーは、そう言い放つと、巨大な戦斧を振り上げた。その瞬間、ゴブリン軍全体から、地響きのような雄叫びが上がる。
「……待て!」
俺は、思わず叫んだ。ゴブリンたちの動きが、再び止まる。
「何だ、人間? 命乞いなら聞かぬぞ?」
ゴファーは、不機嫌そうに俺を睨みつけた。
「命乞いではない。……一騎打ちを申し込む」
「……何?」
ゴファーは、目を丸くした。周囲のゴブリンたちも、ざわめき始める。
「貴様、正気か? この状況で、一騎打ちだと?」
「ああ、正気だ。俺がお前に勝てば、ゴブリン軍は即座に撤退する。お前が勝てば、この街は無条件降伏する。どうだ?」
俺の提案に、ゴファーはしばらく沈黙した。しかし、やがて、その口元に歪んだ笑みを浮かべる。
「面白い! 良いだろう、その挑戦、受けてやる!」
「ゼファー! 貴様、何を考えているんだ!」
ヒューゴが、血相を変えて俺に詰め寄る。
「心配するな、ヒューゴ。俺には、勝算がある」
俺は、ヒューゴを制すると、城壁から飛び降りた。
「さあ、来い! ゴファー!」
俺は、腰の剣を抜き、ゴファーに向かって叫んだ。
ゴファーは、戦斧を構え、ゆっくりと俺に近づいてくる。
「人間風情が、この俺に勝てるとでも思っているのか? 愚かな奴め!」
ゴファーは、嘲笑うように言い放った。
その言葉に、俺は静かに応じた。
「……試してみるか?」
俺の身体から、青白く淡い光が溢れ出した。貴族の権能。それは、神から授かった、特別な力。俺は、その力を解放する。
光が、周囲の空間を包み込む。それは、まるで、この世のものとは思えない、幻想的な光景だった。
「我が神域に、ようこそ」
俺は、静かに、しかし力強く告げた。
「これが、俺の権能……貴族神授領域!」
光はさらに強さを増し、俺とゴファーの周囲に、透明なドーム状の結界を形成した。結界は、外の喧騒を遮断し、静寂な空間を作り出す。
「な、何だ、これは……!?」
ゴファーは、驚愕の表情で周囲を見回した。その顔には、初めて恐怖の色が浮かんでいる。
「さあ、ゴファー。貴様の運命は、俺が決める」
俺は、ゴファーに向かって、静かに、しかし絶対的な口調で命じた。
「……家へ帰れ」
その言葉は、ゴファーの魂に直接響くようだった。ゴファーは、まるで操り人形のように、ふらふらと歩き出す。
「あ……ああ、俺、家へ帰る……いや、チガウ!」
ゴファーは、必死に抵抗しようとするが、意識が混濁してきているようだ。
「貴様の意思は関係ない。俺の命令に従え」
俺は、さらに強く命じた。
「家へ帰れ」
ゴファーは目の輝きが消え、よろよろとゴブリン軍の方へ戻っていく。他のゴブリンたちは、何が起こったのか理解できず、呆然と立ち尽くしている。
「次はお前だ。……家へ帰れ」
俺は、近くにいた別のゴブリンに命じた。そのゴブリンも、ゴファーと同じように、ふらふらと歩き出す。
「お前も……家へ帰れ」
「お前もだ……家へ帰れ」
次々と、ゴブリンたちが、俺の命令に従い、家路につく。その光景は、まるで、洗脳か何かのようだった。
ゴブリン軍は、完全に混乱状態に陥っていた。司令官であるゴファーが、突然戦意を喪失し、部下たちも次々と帰っていく。統率の取れないゴブリンたちは、ただオロオロするばかりだ。
「……終わったな」
俺は、小さく呟いた。ゴブリン軍は、もはや戦う力を持たない。俺の権能によって、完全に無力化される。
「ゼファー……! 一体、何をしたんだ……!?」
城壁の上から、ヒューゴの声が聞こえる。その声には、驚愕と、そして敬意が込められていた。
「……見ての通りだ」
俺は、短く答えた。そして、空を見上げる。雲は晴れ、太陽の光が、俺たちを優しく照らしていた。それは、まるで、勝利を祝福しているかのようだった。
ゴブリン軍は、完全に統制が取れなくなり、最終的に総撤退した。いや、逃走したと言うべきだろうか? 街は守られ、人々は歓喜に沸く。俺は、英雄として称賛された。
だが、俺の心は晴れない。
(これで良かったのか……?)
俺は、自問自答する。力でねじ伏せること。それが、本当に正しいことなのか。俺には、まだ分からない。
だが、今はただ、勝利を喜び、仲間たちと酒を酌み交わそう。明日からのことは、また明日考えればいい。
俺は、城壁の上へと戻り、仲間たちの輪に加わった。
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