メルヴへ
【ゼファー視点】
リベルタス公国の建国から数週間が過ぎ、俺たちは次なる一手を模索していた。
今日の会議は、シドの呼びかけで行われた。
俺は椅子に深く腰掛け、参加者の顔を一人ずつ見渡す。シルク、リリー、エルミーラ、ヒューゴ、そして部屋の隅で静かに立っているバートル。
「……メルヴへ行くべきだ」
会議室の中央に広げられた地図の向こうで、シドが無表情に発言した。
(あれあれ? シドちゃん、なんかワクワクしてるね)
「……バートルが言っていた。メルヴは西方交易の中心地だ。塩を売れば大きな利益になる」
「そのメルヴとやらは、どんな場所なんだ?」
俺の問いかけに、バートルが一歩前に出た。浅黒い肌は窓から差し込む光を浴びて輝いている。
「メルヴは…大きな…市場がある。バザール! たくさん人来て、物を売る。羊の毛、皮、肉、チーズ、馬…とても…にぎやか!」
バートルの言葉は途切れがちだが、目は熱く輝いていた。
「それよりも」
シルクが控えめに右手をあげる。
「ゼファー様がご自身で行かれる必要はあるのでしょうか?使者を送れば十分では?」
彼女の青い目には心配の色が浮かんでいる。カイルは女神官のアウローラに預けてきたようだ。
「いや、ここは俺が行く。自分の目で確かめたい」
決意を固めた声で言った。
「シド、オマエも一緒に来てくれるか?」
シドは無言で頷いただけだった。
「私も行く! 西の草原! バザール! 美味しいものを探検するの! 前に行った時はもっと先に進みたかったのに!」
リリーが両手を上げて叫んだ。彼女の赤い髪が揺れる。
「リリーはお腹の子の心配をしてね」
シルクが優しく遮る。
「えーっ! でも、でも!」
リリーは頬を膨らませて抗議するが、その目には諦めの色も見える。
「ゼファーの安全のため、護衛が必要です。私がエルフの弓兵を率いて同行します」
エルミーラ女王が凛とした口調で申し出る。長い緑の髪が肩から流れ落ち、その姿は気高い。
「全員分の馬がない。少人数のほうが機動力も増す」
俺は頭の中で、オーロラハイドの騎兵の数を数える。
「ならば、吾輩が同行いたします! ゼファー閣下に何かあっては国の一大事!」
ヒューゴが胸を張って言った。その口ひげが誇らしげに揺れている。彼の忠誠心は信頼できるが、軍の指揮官がいなくなれば、オーロラハイドの防衛が手薄になる。
「……ここは、バートルを連れて行こう」
シドが部屋の隅にいるバートルを見る。
「確かに。バートルは最近、言葉をよく覚えている。通訳として役に立つだろう」
俺もシドに同調した。
「母と父……メルヴにいる!」
この一言で議論は決着した。俺、シド、バートル、騎兵二十名でメルヴへ向かうことになった。名目は西方視察、交易の可能性調査、そして良質な馬の購入だ。
出発の朝……空気は冷たく澄んでいて、遠くの山々がくっきりと見える。
「気をつけて行ってらっしゃいませ」
シルクが俺の頬に軽くキスをした。彼女の金髪が風に揺れる。
「カイルを守っていてくれ」
彼女の手を握り、その温もりを心に刻む。
「じゃあね! お土産忘れないでよ!」
リリーが笑顔で手を振る。その無邪気さが、出発の緊張を和らげてくれた。
町の人々が集まり、俺たちの旅の無事を祈ってくれている。エルミーラ、トーリン、グリーングラスも見送りに来ていた。
ゆっくりと馬を進め、オーロラハイドを後にした。
道中、バートルは俺たちの語学教師となった。
「こんにちは」「ありがとう」「これは何?」
彼は根気強く、繰り返し教えてくれる。夜のキャンプファイヤーを囲む時間は、異文化を学ぶ貴重な機会となった。
「バートル、メルヴではどんな食べ物が人気なんだ?」
「ヨーグルト! 羊の乳から作る。甘いものを入れて食べる。今夜、作る!」
彼は目を輝かせながら、荷物から小さな容器を取り出した。中には白い塊が入っている。それに乾燥した果物と蜂蜜を混ぜ始める。
「この白いのはミルクから作っているのか? 美味いな」
「……そうだな、悪くない」
シドもめったに見せない満足そうな表情を一瞬だけ浮かべた。
十五日後……地平線まで広がる草原の向こうに、土壁に囲まれた街が見えてきた。入り口には立派な城門があり、商人や旅人たちが行き交っている。
「……あれがメルヴか」
思わず感嘆の声が漏れる。遠くから見ても、その規模の大きさが分かる。
城門の前には、通行税を取る役人たちが立っていた。税金を支払い、メルヴの中へ入った。
(なんか、かなり税をとられた気がする)
街は活気に満ちていた。様々な衣装を着た人々が行き交い、言葉も見たことのない食べ物の香りも新鮮だった。バザールは街の中心にあるようだ。
「最初、果物食べる! みなそうする!」
バートルの案内で、果物屋へ向かった。山積みにされた果物の中には、見たこともないものばかりだった。
イチジクやザクロなど、初めて口にする果物は、乾いた体に生気を与えてくれた。
「……さっそく塩を売ろう」
シドが短く言った。持参した塩を売るために、バザールの中を進んだ。まず役人のところで税金を払い、露店の許可を得る。
「……海の塩だ。オーロラハイド産だ」
シドの声は静かすぎる。呼び込み方も下手で、バザールの喧騒にかき消された。
(うーん、ちょっと俺が声掛けするか!)
「みんな~! 海から取れた塩だぞ~! オーロラハイド産だ! 白い、白い塩はいらんかね~!」
俺の客引きで、少しずつ人が集まる。
「海ってなんだ?」
「水がいっぱいあるらしいぞ」
「しょっぱい水らしい」
「ちょっと見てみるか」
興味を持った人々が集まってきた。
「これ、一袋くれ!」
「俺もだ!」
「俺が先だ!」
「こっちは二袋だ!」
オーロラハイドの塩は、飛ぶように売れていった。その白さと細かさが、現地の岩塩とは一線を画していたのだろう。
「旦那、いい塩を持ってるのう。ワシにも見せてくれんかのぉ?」
ひげもじゃの恰幅のいい男が、声をかけてきた。その鋭い目は商売人特有の計算高さを感じさせる。
「俺の国の特産品だ」
「ほう、どこの国の者かのぉ?」
俺と太った男め目が合い、お互い探りを入れるような緊張感が生まれる。ここは正直に話すことにした。
「オーロラハイドという街から来た。馬の並足で東に十五日ほど行ったところにある。徒歩なら二十五日はかかるだろう」
「聞いたことが無いワイ。まあ良い。ところで、旦那、残りの塩を売ってくれんか? もちろんタダでとは言んぞ?」
「……ほう、その話聞こう」
シドが俺たちを代表して一歩前へ出る。
昼下がりの太陽が露店の屋根に影を落とし、砂埃の舞う市場に夏の熱気が満ちている。
遠くから、ラクダの鳴き声と商人たちの賑やかな掛け声が、風に乗って届いていた。
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