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鎖と契約

第3話 鎖と契約


【ゼファー視点】


「くっ、こ、殺せ!」


 赤毛の女騎士の言葉に、俺は思わずたじろいだ。奴隷、しかも元騎士。想像していたよりもずっと、事態は複雑らしい。


「……ゼファー、どうする? この女は本当に手に負えん」


 シドは、冷静な声で俺に問いかける。


(あれっ? シドちゃん、ちょっと焦ってる? めずらしい)


 普段はポーカーフェイスを崩さない男が、珍しいこともあるものだ。


「彼女と話をしてもいいかな?」


 俺はシドに断りを入れ、女騎士に視線を移した。彼女は顔をそむけ、頑なにこちらを見ようとはしない。その細い肩は、小刻みに震えている。恐怖か、屈辱か、あるいはその両方か。


「……構わん。だが無駄だと思うぞ。この女は誰の言うことも聞かん」


 シドは、肩をすくめた。まあ、元騎士が奴隷に落ちてしまったのだ。それなりの理由があるのだろう。


 俺は女騎士に歩み寄り、しゃがみこんで目線を合わせた。至近距離で見る彼女は、童顔だった。しかし、その瞳には強い光が宿っている。絶望と、そして微かな希望が入り混じったような、複雑な光だ。


「……キミ、名前は?」


 俺は、絞り出すような声で問いかけた。


 女騎士はしばらく沈黙を守っていたが、やがて、かすれた声で答えた。


「……リリー……」


「リリーか、いい名前だな」


 俺は、にこりと笑いかけた。心からの笑顔のつもりだ。これでも奴隷の気持ちは分かるつもりだ。俺も奴隷だったから……。


「リリー、お前はなぜ奴隷になったんだ?」


 再び沈黙。今度は先程よりも長く、重い沈黙がその場を支配した。シドも店員たちも、息を殺して成り行きを見守っている。


 どれくらいの時間が経っただろうか。永遠にも感じられる沈黙を破り、リリーは再び口を開いた。


「……裏切られた」


「裏切り、か」


「信じていた……騎士団長に……」


 リリーはそこで言葉を切った。しかし、その短い言葉の中に、どれだけの絶望と悲しみ、そして怒りが込められていることか。想像するに難くない。


「騎士団長ね。キミは騎士だったのか」


「……元、だ」


 リリーは、吐き捨てるように言った。彼女の声には、かつて騎士であった誇りと、今は奴隷に身を落としたことへの深い絶望が入り混じっているようだ。


「騎士団長に裏切られ、奴隷に落とされた元女騎士。リリーか……」


 俺は、呟くように繰り返した。目の前の女奴隷が一体どんな人間なのかを、改めて認識するように。


「なあ、リリー。俺はキミを買おうと思っている」


 俺は、なるべく平静を装った。シドが僅かに眉をひそめたのが、視界の端に映った。


「……なぜ?」


 リリーは顔を上げ、初めて俺の目を見た。その瞳には、疑念と警戒の色が濃く浮かんでいる。


「なぜ、か。そうだな……キミを見ていると、昔の俺を思い出すから、かな」


(昔の俺、か)


(それは嘘だ)


 正確に言えば、半分は嘘で、半分は本当だ。リリーの瞳に宿る光は、確かに過去の俺にもあったものだ。絶望の中でも、希望を捨てきれない、諦めの悪さ。しかし、俺がリリーを買おうと思った本当の理由は、そんな感傷的なものではない。


「俺の村には人がいない。一人でも来てくれるとありがたいんだ」


(それが本音だ)


 打算的で、合理的な、実に貴族らしい理由だ。それに、なんとなく、リリーを見捨ててはおけない気がした。理由はうまく言えないが、放っておくと後悔するような、そんな気がしたのだ。


「貴様……まさか……私の体を……くっ、やはり、こっ、殺せ……」


 リリーは警戒の色を露わにし、身を固くした。何か勘違いしているらしい。俺みたいな三十歳くらいの男が「買う」と言えば、無理もないか。


「勘違いするなよ? リリーのような美人を奴隷にする趣味はないぞ」


「……っ!」


 リリーは侮辱されたように顔を歪める。だが彼女の表情には、僅かながら安堵の色も混じっているように見えたのは、気のせいだろうか。


「俺はリリーを村民として雇いたいんだ。もちろん給料は払う。食事も住む場所も用意する。どうだ?」


 俺は、彼女の反応を待った。


 沈黙が、再びその場を支配する。今度は先程までの重苦しい沈黙とは違い、期待と不安が入り混じった、緊張感のある沈黙だ。


 リリーは、じっと俺の目を見つめ返している。その瞳は先程よりもわずかに、希望の色を濃くしているように感じられた。


「本当か?」


「ああ、本当だ。嘘は言わない」


「条件は?」


 リリーの声は、まだかすれてはいるものの、先程よりもはっきりと、力強さを増していた。希望の光は、絶望の闇を少しずつ、だが確実に打ち破り始めているようだ。


「条件か。そうだな……まずは顔を洗って、飯を食うことだ。話はそれからだ」


 俺は立ち上がると、シドのほうを向く。


「シド、この女を買う。値段はいくらだ?」


 シドは僅かに驚いた表情を見せたものの、すぐにいつもの冷静な顔に戻った。


「……ゼファーがそう言うなら喜んで譲る。相場より格安で、金貨一枚でいい」


(金貨一枚か)


 奴隷としては普通の値段だが、元騎士という肩書きを考えれば安いと思う。それに、金に糸目を付けている場合でもない。


「わかった。リリーを買おう」


 俺は、即答した。彼女は、驚いたように目を見開いている。その表情は、まるで夢を見ているようだ。


「……ゼファー助かる。俺の借り一つにしておこう。それでは契約書を……」


 シドが奴隷契約書を取り出そうとした時、俺は手を上げて制した。


「奴隷契約書は要らない。俺は奴隷としてリリーを買うわけじゃない。村民として雇うんだ。契約書を書くなら、雇用契約書だ」


 俺の言葉に、シドは再び目を丸くした。今度は、明らかに驚いている。


「……雇用、契約か? しかしゼファー、貴族の権能は使わんのか?」


「貴族の権能は、最終手段だ。それに、力ずくで人を従わせても、良い結果は生まれないだろう? 俺は、リリーを心から村の仲間として迎えたいんだ」


(もっとも、半分は建前だ)


 貴族の権能は、確かに強力な力だが、効果が切れるたびにかけ直す必要があるだろう。それに、本当に力ずくでリリーを従わせたとして、彼女が心から俺に忠誠を誓うとは思えない。それに、なんというかリリーを見捨ててはおけない気がするのだ。


(理由は、うまく言えないけれど)


「……分かった。ゼファーの言う通りにしよう」


 シドは、諦めたように肩をすくめた。商人としては、少々理解に苦しむところもあるのだろう。しかし、最終的には客の意向を尊重するのが、商売の基本だ。


「リリー、立てるか?」


 俺はリリーに手を差し伸べた。彼女は戸惑いながらも、俺の手を取った。手は冷たく、そして小さい。だが、しっかりと握り返してくる。


「さあ、まずは飯だ」


 俺はリリーを促し、店を出た。


 空は、夕焼けに染まり始めている。今日一日、色々なことがあったが、ようやく良い方向に進み始めたような気がした。


 無論、これからも色々な事があるだろう。リリーという新たな仲間を得て、俺の村はどう変わっていくのだろうか?


 俺とリリーは期待と不安を胸に、街の食堂へと向かった。

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