冬の過ごし方
【ゼファー視点】
窓の外では、雪が静かに降り積もっていた。
オーロラハイドの冬は、積雪が交通を完全に遮断するほど過酷ではない。だが、凍えるような寒さは人々を家の中に閉じ込め、街の活気を奪っていく。こんな季節、人々が集まれる場所は限られていた。
唯一賑わいを失わないのは酒場だけだ。
俺は書類仕事に埋もれており、ため息をついて窓の外を眺めた。執務室の暖炉は燃えているものの、心まで温めるには不十分だった。
「シド、ヒューゴ、飲みに行かないか?」
軍司令官のヒューゴと商人のシドは、互いに顔を見合わせた。二人とも今日は軍備と物資の調達について報告に来ていたのだ。
「了解しましたっ! お供いたしますっ!」
ヒューゴは背筋をピンと伸ばし、まるで任務を命じられたかのように返事をした。
「……分かった、付き合おう」
シドはいつものように無愛想に答えたが、その目には微かな期待が浮かんでいるように見えた。
街の中心に位置する「輝きのゴブリン亭」は、前よりも広くなっていた。入り口の屋根から垂れ下がる氷柱が、松明の光に照らされて金色に輝いている。
「ドワーフたちがセクハラして済まなかったと言うので、この店を増築させたんだ」
私は二人に説明した。被害者のゴブリン三人娘にも、改めて慰謝料を払って、この件は解決している。
店の中は熱気と笑い声で満ちていた。厚手のドアを開けた瞬間、冷気と共に私たち三人が入ると、店内の視線が一斉に集まった。
「いらっしゃーい、あっ、領主様!」
看板娘のグリータが元気よく叫んだ。彼女の緑色の髪は赤いリボンで結われ、いつもより華やかに見える。
「奥の個室へどうぞー!」
常連客たちからも歓声が上がった。
「よっ! 領主様っ!」
「やっぱ領主様もヒマなのかい?」
「おごってくれよー、領主様~!」
酔っ払い共はいつも通り遠慮がない。私は苦笑いを浮かべながら軽く手を振った。
「ちょっと、アンタたち、領主様に失礼でしょ!」
グリータが彼らを叱りつけると、男たちは「こりゃ、すいやせん」と笑いながら飲み食いに戻った。
「ドワーフたちが少ないようだな」
俺が店内を見回すと、前とは違って、ドワーフたちの姿が少ない。
「はい、閣下。どうやら、大半のドワーフたちは、夜の店の方へ通っているらしいです」
ヒューゴが小声で教えてくれた。彼の肩にはまだ雪がついている。まだ体が温まっていないようだ。
「……」
シドは無言で店内を見回している。その鋭い目は隅々まで観察し、商機を探っているのだろう。
(恐らくどんな料理が売れ筋かチェックしているんだな。シドちゃんったら、仕事熱心!)
俺たちは個室に案内されると、重いコートを脱ぎ、暖かい部屋に安堵のため息をついた。
「とりあえず、酒をくれ。ワインがいいな。あと、茹でたカニをもらおう」
私は窓の外を眺めながら言った。凍った窓ガラスには、氷の結晶が花のように広がっている。
「吾輩も閣下と同じもので」
ヒューゴが腰を下ろす。彼の口ひげは溶けた雪で濡れていた。
「……俺も同じものでいい」
シドもようやく暖炉の前に腰を下ろした。彼の顔は外の寒さで赤くなっていた。
「はーい、かしこまりましたー」
グリータは元気よく返事すると、厨房へ去っていった。
私たちは何気なくメニュー表を眺めていた。前に来た時よりも品数が増えている。
「しかし、ここのメニューは随分と増えましたな」
ヒューゴが感慨深そうに話し出した。
「確かにそうだな。最初はゲテモノ料理が多かったが、今では人間のメニューも取り入れて、ゴブリン風にアレンジしているそうだ」
俺はちょっと情報通ぶってみる。
「……ほう、その情報、どこから仕入れた?」
シドが急に顔を上げた。彼の知らなかった情報らしい。俺に鋭い目を向けると、話に食いついてきた。
「シルクから聞いたんだよ」
俺は少し笑みを浮かべた。
「ほら、シルクはお腹が大きくなってきただろ。それで外に出られないものだから、街の人を招待して、話をするのが好きなんだ」
「……なるほど、意外な情報網だ。侮れん」
シドが小さく頷いた。彼の表情が少しだけ柔らかくなったような気がした。
「そういえば、閣下は二人の奥方様とはうまく行っているのですか?」
ヒューゴが唐突に質問してきた。何気なく話題をふったつもりなのだろう。
テーブルにワインとカニが運ばれてきた。蒸気が立ち上る茹でカニは、寒い冬の日にぴったりの料理だ。皿の周りには季節の野菜が彩りよく並べられている。
俺たちは、カニの足をとると、音を立ててむしゃむしゃと食べ始めた。カニの殻には予め切れ込みが入れてあって、食べやすい。グリータが注いでくれた深紅のワインは、カニの甘みを一層引き立てる。
「ああ、関係は良いぞ」
俺はワインを一口飲む。
「シルクは宴からずっと機嫌がよくて、あれからリリーをイビったりしてない。リリーの方は毎日、俺の相手ができるって喜んでるよ」
「二人の関係も改善されたのですな」
ヒューゴが満足げに頷く。彼の髭にはカニの身がついていた。
それからしばらく飲み食いする時間が続いた。部屋の中は次第に暖かくなり、窓の結氷も少しずつ溶け始めた。外の雪は止み、星空が見え始めている。
「そういやぁさ、二人は結婚しないの?」
(前から気になっていたんだよなぁ……)
シドは皿を見つめたまま、しばらく黙っていた。
「……いらん。俺は商売のほうが大事だ。それに跡を継ぐのは自分の子供でなくてもいい。子に商売の才能があるとは限らんからな」
「わっ、吾輩は結婚してみたいのですが、何分忙しく……」
ヒューゴは少し恥ずかしそうに言った。彼の頬が赤くなったのは、ワインのせいばかりではなさそうだ。
俺たちは身の上話に花を咲かせる。カニの殻が山のように積み上がり、ワインのボトルも空になっていった。暖炉の炎が揺れる中、三人の影が壁に大きく伸びている。
私は再びグリータを呼ぶと、本日オススメのゴブリン料理というものを注文してみた。この店の常連なら、毎日頼む一品だ。何が出てくるか分からないところが面白い。
「まぁ、いい相手が見つかったら、俺に言ってよ。仲を取り持つことぐらいならするよ」
「よっ、よろしいのですか? 閣下!」
ヒューゴは急に姿勢を正す。ヒゲについていたカニ肉がポロっと落ちた。
「……俺はいらん」
シドはそっけなく答えたが、唇の端が微かに上がっているように見えた。普段はほとんど喋らない彼が、今夜はずいぶん口数が多い。酒が回ったせいだろうか。
しばらくして出てきた料理は、ヤキトリのトリカワだった。香ばしい香りが部屋中に広がる。
「本日のゴブリン料理、焼き鳥おまちどうさま~! オススメはトリカワでーす!」
グリータは自慢げにヤキトリを差し出した。
「ね、ねえ、グリータちゃん。俺、まだトリカワ食べたことないんだ。ウマい?」
想像はつくが一応、質問してみる。
「はい、トリカワは、とっても美味しいんですよ~」
グリータは目を輝かせる。
「ウチではパリパリにしてあるのがこだわりです! それではごゆっくり~」
彼女が去ると、トリカワを前に私たちは固まってしまった。以前、輝きのゴブリン亭のオープン時に見たことはある。
「食べられることは分かっているんだがな。皮だぞ皮……」
串にささった鶏肉からは湯気がホクホク出ていて、焦げ目も程よくついている。香ばしい香りが食欲をそそっていた。
「では、閣下、先にどうぞ」
ヒューゴは丁重に手を差し伸べた。
「おい、ヒューゴ、こんな時だけ俺にふるなよ! シドお前が食えよ」
俺は思わず半笑いになる。
「……いや、ゼファー、お前が食え」
シドの口元にも笑みが浮かんでいた。
「くっ……仕方ないか……」
俺は恐る恐るトリカワに手を伸ばした。
意を決して口に入れると、甘じょっぱい味が口いっぱいに広がった。外側はパリパリしているが、内側はクニュクニュと弾力があり、食べ応えがある。思いのほか美味しい。
「おい、これ、イケるぞ!」
俺は驚きの声を上げた。
ヒューゴとシドも一本ずつ取り、恐る恐る口に運んだ。二人とも目を見開いて驚いている。
「これは…確かに美味でございますな!」
「……悪くない」
俺たちは笑い合いながら、残りのトリカワをあっという間に平らげた。
窓の外では再び雪が舞い始めていたが、部屋の中は暖かく、笑い声が絶えない。オーロラハイドの冬は長いが、こうして過ごせば悪くない。
たまには男だけの時間というのも良い。そう思いながら、ワインを口に含む。
そんな冬の一日だった。
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