山脈の来訪者
【ゼファー視点】
オーロラハイドを囲む城壁は、土と木を組み合わせた素朴な造りだった。石材が乏しいこの地では、元々の住人であったゴブリン族が土を固めて築いたものを、人間たちが受け継いで使っている。
雨が降ると度々の修繕が必要だったが、その分、補修も容易だった。高さも十分にあり、敵が攻め登ろうとすれば、上から狙い撃ちにできる位置関係を保っている。未完成ながらも、小さな町を守るには十分な防壁だった。
『カーン、カーン、カーン、カーン……』
「ゼファー様にお知らせしろ!」
「急げ!」
俺が執務室で書類と向き合っていると、西門の方から騒がしい声が届いた。窓からは兵士たちが慌ただしく走り回る姿が見える。風に乗って鐘の音が響いた……警報だ。
「何事だ?」
椅子を引いて立ち上がった瞬間、扉が勢いよく開いた。
「ゼファー閣下!」
軍司令官ヒューゴの額には汗が浮かんでいる。彼は優雅な口髭を触る癖があるが、今は表情一つ崩さず、まっすぐに俺を見据えていた。
「西門に武装集団が現れました。十名ほどの規模です」
「十名?」
オーロラハイドの正規兵は百名に満たない。緊急時には町の男たちを動員して五百名ほどになるが、それにも時間がかかる。数は少ないとはいえ、十名もの武装した集団は無視できない脅威だ。
「彼らの目的は?」
「まだ交渉は始まっていません。見張りが発見して即座に報告に来ました」
頭の中で素早く選択肢を整理する。
「西門を閉鎖し、空堀の橋を上げろ。手の空いている男たちに武器を持たせて、壁の上に配置しろ。威嚇射撃はするな。相手の出方を見るんだ」
「承知しました」
ヒューゴが敬礼して部屋を出ようとした時、廊下から足音が聞こえた。
「あなた、これを」
シルクが両手に鎧を抱えて入ってきた。澄んだ青い瞳には心配の色が浮かんでいる。王都で育った王女でありながら、彼女はこの辺境の町に驚くほど順応してきた。
「ありがとう」
彼女の手から受け取った革鎧は、大事な時だけ着用する特別なものだ。海風の塩気で金属は使えないため、オーロラハイドでは革製の防具が一般的だった。
「手伝います」
シルクが丁寧に鎧の紐を結びながら、小さな声で言った。
「気をつけて」
その言葉に頷きかけたとき、扉が再び開いた。
「ゼファー! 剣よ!」
リリーは既に革鎧に身を包み、腰には剣を下げていた。その顔には不安よりも高揚が見て取れる。かつて奴隷だった彼女は、戦いに身を投じることで自分の価値を証明しようとしているのかもしれない。
「リリー、後詰めを頼む。シルクを守ってくれ」
「えっ、一緒に行くわよ!」
「万が一の時、誰かがシルクを守らないといけない」
彼女は口をとがらせたが、すぐに理解したようだ。
「わかったわ……でも危なくなったらすぐに呼んでね」
俺はシルクの頬に軽く口づけし、リリーの額にも同じようにした。二人とも照れくさそうに微笑む。この小さな儀式が、いつの間にか三人の絆を確かめる習慣になっていた。
「行ってくる」
執務室を出て、西門へ向かう。
***
オーロラハイドは四方に門を持つ。
東門は海に面し、塩田への道が続いている。
北門はゴブリンの森へと通じ、今や同盟国となった緑の民との交易路だ。
南門はフェリカ王国の各都市への大通りがあり、最も人と物の往来が多い。
そして西門。人の住まない森と山脈が広がる方角で、普段は猟師たちが獲物を求めて出入りする程度だった。
駆けつけると、ヒューゴが壁の上から指示を飛ばしている。城門は閉ざされ、跳ね橋は上がっていた。
「状況は?」
「変わりありません。彼らはそこで待機しています」
壁の上に登り、西の景色を見渡す。
森の向こう、空堀を挟んだ場所に十人の人影が立っていた。彼らは普通の人間ほどの身長だが頑強な体つきをしている。鉄の胸当てや兜を身につけ、斧やハンマーなど重厚な武器を携えていた。
衛兵たちは槍を構え、緊張した面持ちで壁に並んでいる。だが彼らの多くは素人同然だ。流し目で確認すると、何人かは酒場から連れ出されたばかりの様子で、目が据わっていない。
「あれは酔っ払いか?」
「申し訳ありません。急いで集められる者が……」
ヒューゴは恥ずかしそうに答えた。しかし俺には彼を責める気はなかった。
「いや、よくやった。数は重要だ」
最悪の事態を想定して、俺は西門の防御上の弱点を確認していた。この部分の土壁は雨で一部崩れかけており、櫓もまだ建設されていない。予算と人手の都合で工事が後回しになっていたのだ。
(これはまずい。この部分を全面的に修復する必要がある)
そんな思考の流れを中断させたのは、向こうからの呼びかけだった。
「のぅ〜! そこの人間よ〜!」
武装集団の中央から、一人が前に出て大声で叫んだ。茶色い長い髭を蓄えた男は、他の者より年長に見えた。
「ここはゴブリンの街じゃと聞いておったが、なぜ人間がおるのかのぅ?」
声には敵意は感じられない。むしろ好奇心に満ちているように聞こえた。
俺は陣頭に立ち、城壁の上から声を張り上げた。
「ここはオーロラハイド! 人間とゴブリンが共存する街だ! お前たちは何者だ?」
できるだけ堂々とした口調を心がけたが、貴族として過ごした期間が短いためか、威厳のある声は出せていない気がした。
「我らはドワーフじゃ! 西の山脈に住む金属と岩石の民じゃ!」
ドワーフ? 西の山脈に人が住んでいるとは聞いたことがなかった。オーロラハイドの地図には空白地帯として記されていた場所だ。
「何の用だ?」
「噂を聞いた。人間とゴブリンが共存する不思議な街があると! 真偽を確かめに来たのじゃ!」
ヒューゴが小声で俺に囁いた。
「閣下、彼らはドワーフは金属や石材加工の技に長けていると言われています」
「町に入れるかどうか、どう思う?」
「危険は承知の上で……できれば友好的な関係を築きたいところです。彼らの鍛冶技術が本物なら、我々の技術は格段に向上するでしょう」
俺は瞬時に判断した。
「入城を許可する! ただし条件がある! 街の中では武器を抜かないこと! 乱暴や盗みなど違法行為をしないこと! これを守れるか?」
茶髭のドワーフは仲間たちと何やら相談した後、大きく頷いた。
「約束するぞよ! 我々は様子を見に来ただけで、争いには興味がないのじゃ!」
俺は城門に目を合わせると、アゴをしゃくる。意図を察した軍司令官が指令を飛ばす。
「開門!」
ギシギシと跳ね橋が降りていく音が響き、西門がゆっくりと開かれた。十人のドワーフたちは整然と列を作り、オーロラハイドの地を踏んだ。
彼らの顔には警戒よりも好奇心が見て取れた。そして胸の装飾に目をやると、俺は思わず息を呑んだ。ドラゴンの紋様が精緻に彫り込まれた金属細工は、この地域では見たことのない高度な技術を示していた。
(これは…予想外の出会いになるかもしれない)
俺は壁から降り、彼らを迎えに向かった。山の種族ドワーフとの邂逅は、オーロラハイドの未来を変えることになるのかもしれない。
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