塩と鎖の女
【ゼファー視点】
『ザッ、ザッ、ザッ、ザッ』
『ガチャ、ガチャ、ガチャ、ガチャ』
夜明けの薄明りの中、俺はズシリと重い塩の入った麻袋を背負い、一番近い街へと向かって、雪の残る凍てついた道を一人黙々と歩いていた。
静寂の中、ザッ、ザッ、という俺の足が硬い雪と土を踏みしめる音だけが、やけに大きく響く。
それから、ガチャ、ガチャ、と腰に差した年代物の長剣が、歩くたびに鞘の中で揺れて鳴る音も。こいつは、もう体の一部みてぇなもんだ。
(早く街に着かないと、日が暮れちまう。塩ってのは別に腐るモンじゃねぇが、なんとなく、出来立ての新鮮な方が、高く売れるような気がするんだよな、俺は!)
背中に担いだ塩袋は、やっぱり想像以上に重く、いつもなら二時間もあれば着くはずの街まで、結局、三時間以上もかかってしまった。肩が抜けそうだぜ。
ようやく街の粗末な木の門が見えてきた頃、入り口で見張りをしていた若い衛兵の一人が、俺の姿に気づいて声をかけてきた。
「あっ! これはゼファー様ではございませんか! 塩のご運搬ですか? 毎度ご苦労様でございます! ただいま、ヒューゴ隊長をお呼びしてまいりますので、少々お待ちを!」
俺の薄汚れた顔と、腰に差した年季の入った剣を見るなり、すぐに俺だと気づいたようだ。まあ、こんな北の街じゃ、顔なじみも少ねぇからな。
そう、俺の名はゼファー。ただのゼファーだ。
腰に差したこの剣は、一応、あの名もねぇ村の長であり、騎士であるっていう証でもある。
もっとも、騎士なんて身分は、今じゃあほとんど名前だけ……形骸化してるみてぇなもんだがな。
(なにせ、その大事な村の住民が、今のところ俺一人しかいねぇんだからなっ! 笑っちまうぜ!)
「よーお、ゼファーじゃねぇか! また塩の行商か! お前も本当に精が出るな、大したもんだぜ!」
「おお、ヒューゴじゃねぇか! お前こそ、こんな朝早くから門番ご苦労さんだな! その自慢の立派な口ヒゲも、相変わらず手入れが行き届いてて、羨ましい限りだぜ!」
声の主は、案の定、この街の衛兵隊長を務めている、ヒューゴだった。
こいつは、昔、俺が兵士をしていた頃の戦友だ。
俺はあの寂れた村を、そしてヒューゴはこの街の衛兵隊長の地位を、それぞれ与えられたってわけだ。
ヒューゴは、見ての通り、いかにも武人って感じの筋肉質で強面の男だが、面倒見が良くて、部下からの信頼も厚い。いいヤツだ。
昔、どんなに厳しい戦場の真っ只中でも、こいつは自分の口ひげの手入れだけは、絶対に欠かさなかった。
そういう、ちょっとした洒落っ気というか、心の余裕を忘れねぇヤツなんだよな、昔から。
「よう、ゼファー。塩を売り終わったら、今夜はうちに泊まっていかねぇか? どうせ、あの雪だらけの村に帰るよりはマシだろ?」
「おお、そりゃあありがてぇな、ヒューゴ! じゃあ、言葉に甘えさせてもらうぜ。……そうだ、せっかくだから、補給屋のシドちゃんも呼んで、三人で一杯やらねぇか?」
俺とヒューゴは、顔を見合わせてニヤリと笑うと、もう一人の腐れ縁の友人であるシドを誘って、今夜は久しぶりに三人で飲むことに決めた。
シドは、俺たちの間じゃ、通称『補給屋のシドちゃん』で通ってる。
もともとは、俺たちがいた軍の、酒保……まあ、なんでも屋みてぇなもんだが、そこで働いていた男だ。
フェリカ王国がゴブリン軍との戦いに勝利したあとは、とっとと独立して、この街で商人として店を構えてやがる。抜け目のねぇヤツだよ。
「さて、ゼファー。お前がこの街に入るにあたって、本来なら、国の専売品である塩には、税がかかるがオマエは無税だ。うらやましいな!」
ヒューゴは、この街の衛兵隊長であると同時に、今のところこの街には正式な領主が決まっていねぇため、臨時で代官の仕事も兼任している。だから、こういう税金のことも、あいつの一存である程度はどうにでもなるんだ。
「おーおー、ヒューゴ隊長様! 税金だけは勘弁してくれよな! こちとら、あのクソ寒い村で、たった一人で細々と塩作ってんだ! これ以上、税を取られちまったら、マジで干上がっちまうぜ!」
俺は、恩着せがましく笑うヒューゴと別れると、塩袋を担ぎ直し、活気のある街の市場へと向かった。
いつの間にか、さっきまで降っていた粉雪はすっかり晴れ上がり、雲の切れ間からは、久しぶりに太陽がはっきりと顔をのぞかせていた。少しだけ暖かい。
小さな市場だが、野菜や干し肉、焼きたてのパンなんかを買い求める大勢の人々で、朝からい賑わっている。
「ふぅ……。それにしても、いつも思うが、シドの奴め、本当にいい場所に店を構えやがったよな」
シドの店は、この市場の中でも一番人通りが多くて、目立つ一等地にある。あいつは、昔からああいう場所を見つける嗅覚だけは、人一倍鋭かった。
おかげで、あいつは街に来てからあっという間に、この辺りじゃ一番の商人として、その名を轟かせちまっている。大したもんだぜ、本当に。
俺が店の前に着くと、店の入り口で愛想よく客引きをしていた若い女性店員が、すぐに俺の姿に気づいて声をかけてくれた。
「あら、ゼファー様ではございませんか。シド様にご用件でいらっしゃいましたか?どうぞ、奥の部屋でお待ちでございます」
俺は、見ての通り、汗と埃にまみれた、ただの塩の運搬人にしか見えねぇ。一応、これでも騎士の端くれで、名前だけとはいえ、村を一つ任されてる領主様なんだ。
(うん、まあ、その大事な村には、今のところ住民が俺一人しかいやしねぇんだけどな、ははは……。早くなんとかしねぇと……)
その愛想のいい女性店員は、にこやかに微笑みながら、俺を店の奥にある、シドの仕事部屋へと案内してくれた。
「よう、シドちゃん! 儲かってるかぁ?」
「……フン、相変わらず騒々しい男だな、ゼファー。まあ、入れ」
そこには、山と積まれた帳簿の山に囲まれて、相変わらずの不愛想なポーカーフェイスで、こっちを一瞥もせずに何か書き物をしている男がいた。
いつものように、氷のような口調と、全てを見透かすような鋭い眼差し。綺麗に整えられた艶のある黒髪を、きっちりとオールバックにした、長身でやや細身の男……。
こいつが、シドちゃんだ。どう見てもカタギの商人には見えねぇが、これでいて腕は確かだから、世の中分からねぇもんだ。
「よう、シド。今日もとびっきりの上物の塩を持ってきたぜ。いつものように、たんまりと買い取ってもらいてぇんだが」
「……フン、そうか。だがな、ゼファー。こちらも、お前にひとつ、ぜひとも引き取ってもらいたい『品物』があるんだが、どうだ?」
シドの奴が、そんな勿体ぶった言い方をするなんて珍しいな。俺は頭の中で「ほう? 一体なんだろうな?」と首を傾げた。
シドは、ようやく顔を上げると、冷たい目で俺をじっと見据える。
「……ゼファー。お前のあの名も無き村では、確か村民を絶賛募集中だと聞いている。そこでだ……奴隷では、どうだろうか?」
「えっ……? ど、奴隷、だと……?」
確かに、村の住民は喉から手が出るほど欲しいとは思っていたが、まさか奴隷をどうこうしようなんて、これっぽっちも考えたことはなかった。
「……ああ、そうだ。実はな、最近仕入れた奴隷の中に、一人、全く言うことを聞かねぇ、反抗的な女騎士がいてな。扱いに少々困っているんだ。お前になら、安く譲ってやろう。……そして、使ってみてはどうだ? 『貴族の権能』とやらをな……」
シドは、ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべた。
「……貴族の権能、ねぇ……」
確かに、この国の貴族ってのは、生まれながらにして『権能』とかいう、なんだかよく分からん特別な力を持っている。
どんな能力が使えるかは、本人の素質とかで、人によって全然違うらしいが。
俺の場合は、大勢の人間に対して、ある程度考え方を誘導したり、少人数であれば、ある程度は意のままに操ったりすることができる、みてぇな能力だ。あんまり使いたくはねぇけどな。
これが、魔法の一種なのか、それともどっかの神様が起こす奇跡みてぇなもんなのか、詳しいことは、俺にもよく分からねぇ。
もちろん、このフェリカ王国で、この権能の力が一番強いのは、今のエドワード国王陛下だと、もっぱらの噂だ。
俺も、昔、兵士としての働きを認められて、名ばかりとはいえ騎士の位と、あの寂れた村を褒美として与えられた時に、エドワード王から直々に、この権能を授かった。
なんでも、王家によれば、この権能ってのは、神に選ばれた高貴な血筋の証なんだとかなんとか……。まあ、俺にゃあんまり関係ねぇ話だ。
「……おい、例の元女騎士をここへ連れてこい。……どうだ、ゼファー。お前なら、簡単に手なずけて従わせることができると思うぞ? 悪い話ではあるまい」
シドが、店の奥にいた屈強な手下に、冷ややかにそう告げると、すぐに、ガチャンガチャンと重い鎖の音と共に、一人の女が引きずられるようにして連れてこられた。
その女は、両手には頑丈な鉄の手かせ、両足には重そうな足枷をはめられ、おまけに首には、まるで犬みてぇな革の首輪までつけられていた。ひでぇ有り様だ。
女だてらに、長身な方だが、顔立ちはどこか幼さを残していて、歳は若い。燃えるような赤い髪は、無造作に短く刈り込まれていた。ボロボロの服を着てはいるが、その立ち姿には、まだどこか騎士としての誇りが残っているように見えた。
そして、その元女騎士は、俺とシドの顔を交互に睨みつけると、開口一番、こう吐き捨てやがった。
「くっ……! こ、殺したくば、さっさと殺せ! だが、この私を、奴隷として思い通りにできるなどと思うなよ、下衆どもが!」
俺は、そのあまりにも潔いというか、喧嘩腰の反応に、思わず頭を抱えちまった。こりゃあ、一筋縄じゃいかねぇぞ……。
ふと窓の外を見ると、さっきまで晴れていたはずの空に、いつの間にか厚い雲がかかり、急に辺りが薄暗くなっていた。
さて、どうしたもんか……。
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