街路の塩と鎖の女
【ゼファー視点】
『ザッ ザッ ザッ……』
背に担いだ麻袋が肩に食い込み、吐く息が白く冷気に溶ける。
腰の剣が揺れるたび『ガチャ、ガチャ』と金具が鳴り、足音と混ざり合って冬の静寂を破る。
千三百キロの海水から得た塩結晶は、たった二十キロ。
だが『二十キロ分の金』だ。塩は腐りはしねぇが、鮮度が命。新しいほど白く、高く売れる……はずだ。急げ俺!
通常なら二時間の行程が、荷の重さで三時間に伸びる。霜に覆われた道を踏みしめながら歩き続け、ようやく王国の辺境の街が見えてきた。
「ゼファー様、塩搬入ですね! 隊長を呼んでまいります」
若い衛兵が直立し、俺と腰の剣に刻まれた帯剣の紋章を交互に見た。敬礼の姿勢が少し大げさなのは、彼がまだ新米だからだろう。
『名ばかり騎士』の称号でも、剣一本あれば世話が減る。この国では肩書きが人を作るのだ。
「よぉ、ゼファー! 今日も精が出るなぁ」
門楼から降りてきたのは、胸板のような太い腕を組み、口ひげを丁寧に撫でる大柄な男。戦場でも手入れを欠かさなかった元戦友は、今や衛兵長兼・代官の地位にある。
「ご苦労さん。帰りに俺ん家寄れよ。新しい葡萄酒が届いたんだ。こりゃ旨いぜ」
ヒューゴの声には、昔と変わらない豪快さがあった。
「いいともさ。補給屋のシドも呼ぶか?」
俺がヒューゴと肩を並べると、門番たちが敬意を込めて道を開けた。
専売品の塩袋でさえ、俺が運べば『無税パス』になる。王国への功績で得た特権の一つだ。
(ありがてぇことは確かだが、村に俺一人じゃ税もへったくれもねぇんだけどな)
冬の陽が石畳を照らし、人々の喧噪が狭い街路に渦巻いている。商人たちの呼び声、子供たちの笑い声、馬車の車輪の音。どれも俺の村には無い音だ。
路地の最奥、新築のモルタル造り建築が目に入る。シドの店「シド商会」だ。表には様々な色と形の布が並び、旅人の目を引いている。
「ゼファー様、奥へどうぞ」
店番の娘がペコリと頭を下げる。背中の塩袋に汗じみを作った埃まみれの俺を、彼女は「騎士様」と呼ぶ。
(村人ゼロの領主でも、肩書は肩書きってわけか)
苦笑いしながら店の奥へと進む。
「よう、シドちゃん」
書見台の陰で、黒髪オールバックの細身の男が厚い帳簿を閉じる。彼の指は墨で染まり、計算に疲れた目は少し充血している。
「……来たか、ゼファー」
シドの表情はいつも通り無感情だ。笑わねぇ奴だが、金と物流の話になると舌が滑らかになる。彼の冷静な判断力と商才は、この辺境の街でも評判だった。
「塩だ。二十キロ、結晶は上物だぞ? 前回より白い」
俺は誇らしげに麻袋を床に下ろした。中の塩がサラサラと音を立てる。
「……買おう。相場通りで構わんな」
シドは頷き、奥から小さな木箱を取り出す。代金の入った箱だろう。
「だがこちらからも頼みがある」
「何だ?」
シドは顎をしゃくり、奥の扉を指さした。
次の瞬間、鎖の音が響き、一人の女が引き出された。手枷、足枷、そして首輪。鎖につながれた女騎士だ。
赤毛をばっさり切りそろえた長身の女性は、年齢よりも幼く見える童顔だった。だが、その黄金色の瞳は鋭く、内に秘めた意志の強さを物語っている。
「くっ……こ、殺せ!」
女騎士の低い叫びが腹に刺さる。倉庫の空気が一瞬で凍りついた。
元騎士の奴隷? しかも反抗的。そりゃ商人には荷が重いわけだ。
シドは彼女の方をちらりと見ると、声を落として説明を続ける。
「……この女には使い途が無い。購入したが、言うことを全く聞かない。だがオマエの権能なら従わせられるだろう。格安で譲る」
貴族の権能……俺のは思考誘導。
大勢を和ませ、小人数なら意志さえ捻じ曲げられる。便利だが、使いどころを誤ればただの傲慢になる危険な力だ。
戦場では敵の意志を弱め、味方の士気を高めるのに使った。だが今は……。
村の人口は俺ひとり。塩を煮るにも畑を打つにも、一人では限界がある。
だが鎖付きのまま雇うのか? それとも……解放して、自由意志で働いてもらうのか?
赤毛の女は俺をじっと見つめていた。その瞳には憎しみと同時に、生きる灯が消えていない。その目だけが彼女の物語を語っていた。
彼女には過去があり、誇りがある。それを踏みにじるべきではない。
麻袋の重みより、決断のほうが肩を沈ませた。
この女を連れて帰るなら、何かが変わる。村にとっても、俺自身にとっても。
冬の陽が窓から差し込み、赤毛に火をつけたような輝きを与えていた。
「とても面白い」★五つか四つを押してね!
「普通かなぁ?」★三つを押してね!
「あまりかな?」★二つか一つを押してね!