表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/144

街路の塩と鎖の女

【ゼファー視点】


『ザッ ザッ ザッ……』


 背に担いだ麻袋が肩に食い込み、吐く息が白く冷気に溶ける。

 腰の剣が揺れるたび『ガチャ、ガチャ』と金具が鳴り、足音と混ざり合って冬の静寂を破る。


 千三百キロの海水から得た塩結晶は、たった二十キロ。

 だが『二十キロ分の(かね)』だ。塩は腐りはしねぇが、鮮度が命。新しいほど白く、高く売れる……はずだ。急げ俺!


 通常なら二時間の行程が、荷の重さで三時間に伸びる。霜に覆われた道を踏みしめながら歩き続け、ようやく王国の辺境の街が見えてきた。


「ゼファー様、塩搬入ですね! 隊長を呼んでまいります」


 若い衛兵が直立し、俺と腰の剣に刻まれた帯剣の紋章を交互に見た。敬礼の姿勢が少し大げさなのは、彼がまだ新米だからだろう。

 『名ばかり騎士』の称号でも、剣一本あれば世話が減る。この国では肩書きが人を作るのだ。


「よぉ、ゼファー! 今日も精が出るなぁ」


 門楼から降りてきたのは、胸板のような太い腕を組み、口ひげを丁寧に撫でる大柄な男。戦場でも手入れを欠かさなかった元戦友は、今や衛兵長兼・代官の地位にある。


「ご苦労さん。帰りに俺ん家寄れよ。新しい葡萄酒が届いたんだ。こりゃ旨いぜ」


 ヒューゴの声には、昔と変わらない豪快さがあった。


「いいともさ。補給屋のシドも呼ぶか?」


 俺がヒューゴと肩を並べると、門番たちが敬意を込めて道を開けた。

 専売品の塩袋でさえ、俺が運べば『無税パス』になる。王国への功績で得た特権の一つだ。


(ありがてぇことは確かだが、村に俺一人じゃ税もへったくれもねぇんだけどな)


 冬の陽が石畳を照らし、人々の喧噪が狭い街路に渦巻いている。商人たちの呼び声、子供たちの笑い声、馬車の車輪の音。どれも俺の村には無い音だ。


 路地の最奥、新築のモルタル造り建築が目に入る。シドの店「シド商会」だ。表には様々な色と形の布が並び、旅人の目を引いている。


「ゼファー様、奥へどうぞ」


 店番の娘がペコリと頭を下げる。背中の塩袋に汗じみを作った埃まみれの俺を、彼女は「騎士様」と呼ぶ。


(村人ゼロの領主でも、肩書は肩書きってわけか)


 苦笑いしながら店の奥へと進む。


「よう、シドちゃん」


 書見台の陰で、黒髪オールバックの細身の男が厚い帳簿を閉じる。彼の指は墨で染まり、計算に疲れた目は少し充血している。


「……来たか、ゼファー」


 シドの表情はいつも通り無感情だ。笑わねぇ奴だが、金と物流の話になると舌が滑らかになる。彼の冷静な判断力と商才は、この辺境の街でも評判だった。


「塩だ。二十キロ、結晶は上物だぞ? 前回より白い」


 俺は誇らしげに麻袋を床に下ろした。中の塩がサラサラと音を立てる。


「……買おう。相場通りで構わんな」


 シドは頷き、奥から小さな木箱を取り出す。代金の入った箱だろう。

 

「だがこちらからも頼みがある」


「何だ?」


 シドは顎をしゃくり、奥の扉を指さした。

 次の瞬間、鎖の音が響き、一人の女が引き出された。手枷、足枷、そして首輪。鎖につながれた女騎士だ。


 赤毛をばっさり切りそろえた長身の女性は、年齢よりも幼く見える童顔だった。だが、その黄金色の瞳は鋭く、内に秘めた意志の強さを物語っている。


「くっ……こ、殺せ!」


 女騎士の低い叫びが腹に刺さる。倉庫の空気が一瞬で凍りついた。


 元騎士の奴隷? しかも反抗的。そりゃ商人には荷が重いわけだ。

 シドは彼女の方をちらりと見ると、声を落として説明を続ける。


「……この女には使い途が無い。購入したが、言うことを全く聞かない。だがオマエの権能なら従わせられるだろう。格安で譲る」


 貴族の権能……俺のは思考誘導。

 大勢を和ませ、小人数なら意志さえ捻じ曲げられる。便利だが、使いどころを誤ればただの傲慢になる危険な力だ。

 戦場では敵の意志を弱め、味方の士気を高めるのに使った。だが今は……。


 村の人口は俺ひとり。塩を煮るにも畑を打つにも、一人では限界がある。

 だが鎖付きのまま雇うのか? それとも……解放して、自由意志で働いてもらうのか?


 赤毛の女は俺をじっと見つめていた。その瞳には憎しみと同時に、生きる灯が消えていない。その目だけが彼女の物語を語っていた。

 彼女には過去があり、誇りがある。それを踏みにじるべきではない。


 麻袋の重みより、決断のほうが肩を沈ませた。

 この女を連れて帰るなら、何かが変わる。村にとっても、俺自身にとっても。


 冬の陽が窓から差し込み、赤毛に火をつけたような輝きを与えていた。

「とても面白い」★五つか四つを押してね!

「普通かなぁ?」★三つを押してね!

「あまりかな?」★二つか一つを押してね!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ