表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/144

ルシエント伯爵領侵攻

【ゼファー視点】


 夏の日差しがオーロラハイドを照らす季節、塩田は眩いばかりの輝きを放っている。俺は、海水が結晶へと変わる工程を見守りながら、深い満足感を覚えていた。


 輝きのゴブリン亭は連日盛況で、市場に人々の笑顔があふれ、街全体が活気に満ちる。塩の取引は拡大し、ゴブリン族との交易も始まっていた。あの虹の滝での国境条約から始まった変化が、今、実を結びつつある。


 しかし、その穏やかな日々は、一通の公文書によって揺らぐことになった。


 王家の紋章が押された封蝋を割り、俺は中の書状を広げた。そこには国王自らの手による命令が記されていた。


『オーロラハイド男爵ゼファー殿へ


 余は悲しき決断を下さざるを得なくなった。ルシエント伯爵ガレット・ルシエントが王権に対する謀反の罪を犯したのだ。彼は民を虐げ、税を搾取し、さらに余の使者を殺害するという不忠を働いた。


 よって余は伯爵の討伐を命ずる。卿には北からの攻撃を指揮してもらいたい。余自らも王都ヴェリシアから軍を率いて出陣する。


 伯爵は権能を持つ。しかし恐れることはない。余の力が彼の力を打ち消すであろう。


 卿の忠誠と勇気に期待する。

               国王エドワード・フェリカ』


 書状に付された軍事地図を広げ、俺は呼吸を整えた。ルシエント伯爵領はオーロラハイドの南に位置し、王都ヴェリシアとの間にある豊かな地域だ。我々が北から、王軍が南から挟み撃ちにする計画が示されていた。



『周辺略図・スマートフォンで地図が乱れる場合は横表示推奨』


         (ここより北は凍る海)


        (北方は寒冷地で人が住めない)


              ゴブリンの森

              〇虹の滝(中立地帯・北はゴブリン領)

              |

         △    |

        △△    〇オーロラハイド(ゼファー領地)

              |-〇塩の村(ここより東は海)

              |

              |

〇メルヴ          |

|             |

|             |

|             |              (ここより北は海)

|             |

|砂漠           〇ーーーーーーー〇グラナリア公国

|    △△△△△△△  |宿場町     大穀倉地帯

|   △△△△△△△△△ |

|  △△この山脈から   |

| △△ 川が各地へ流れる 〇ルシエント伯爵領(フェリカ国)

| △           |

|             |

|             |   森林地帯

|             |

|  メルヴ行旧街道    |

〇ーーーーーーーーーーーーー〇宿場町

バロン男爵領        |

          平原  〇王都ヴェリシア(フェリカ国)

              |

     (ここより南は温暖なフェリカ国の領土が広がる)



「あなた、何かあったの?」


 シルクの声に顔を上げると、彼女は心配そうに俺を見つめていた。元王族としての眼力なのか、すぐに事態の重大さを察したようだ。俺は書状を彼女に手渡した。


 シルクは読み進めながら、次第に表情を曇らせていった。


「ルシエント伯爵が謀反……?」


「ああ。国王がそう判断した」


 彼女は書状を置くと、静かに言った。


「ルシエント伯爵領は民が苦しんでいると聞きます。放置はできないでしょう」


 彼女の言葉に、俺も思い返していた。あの荒廃した街並み、虚ろな目をした住民たち。そして青白い光に消えた男の姿。


「シルク、君の父上は公正な方だ。理由もなく討伐を命じるとは思えない」


 シルクは少し迷った様子だったが、やがて頷いた。


「そうですね。父上には何か深い理由があるはずです」


 俺はリリーも呼び寄せ、三人で状況を協議した。


「王の命令だから従うしかないわね」


 リリーの声には、冷静さの奥に潜む感情が見え隠れしていた。ルシエント伯爵領……彼女にとっては苦い記憶の地だ。


「リリー、無理はしなくていい。お前は……」


「行くわ」


 リリーは俺の言葉を遮る。


「ルシエント領には、けじめをつけたいことがあるの」


 彼女の目には決意の色が宿っていた。かつて彼女を奴隷に身落としたのは、ルシエント伯爵の配下の騎士団長だった。その復讐の炎が、彼女の中で未だ消えていなかったのだろう。


 俺は軍司令官ヒューゴと商人シドを召集し、作戦会議を開いた。


「オーロラハイドの兵力だけでは到底足りません」


 ヒューゴが地図を指しながら言った。


「ルシエント領は広大です。通常なら少なくとも千の兵が必要」


「……ゴブリン族に援軍を頼めるか?」


 シドの提案に、俺は頷いた。虹の滝の条約には相互援助の条項がある。今こそそれを活かす時だ。


 グリーングラス王に使者を送ると、彼は即座に応じた。


「ゼファー殿と人間達は我らの友。五百の兵を送ろう」


 これにオーロラハイドの兵五百名を加え、なんとか千名の混成部隊を編成した。少数ではあるが、ゴブリン族は森林での活動や偵察に優れた部隊だ。


 準備には一月を要した。武器の鍛造、食料の確保、行軍計画の策定などだ。


 シドは輜重(しちょう)(補給)を担当し、ヒューゴは兵士の訓練を指揮した。シルクはオーロラハイドの留守を預かることになった。


「あなた、必ず無事で戻ってくださいね」


 出陣の朝、彼女は俺の手を強く握った。


「約束する」


 俺は彼女の頬に口づけをし、シルクは涙を堪えながら頷いた。


 一方、リリーは全身を軽装の鎧で固め、腰には鋭利な剣を下げていた。彼女の目には、かつて見たことのない闘志が宿っていた。


「時は来た。進軍だ!」


 俺の号令と共に、百名の兵士たちは南へと進軍を開始した。オーロラハイドの旗と王家の旗、そしてゴブリン族の旗が風になびく。


***


 ルシエント領への侵攻は、驚くほどあっさりと進んだ。


 最初の関所では守備兵が武器を捨て、むしろ歓迎するように門を開いた。次の砦も同様だった。


「これは……いったい何が?」


 俺が困惑する中、地元の民が近づいてきた。


「ゼファー様、お待ちしておりました。この地の民は皆、伯爵の暴虐に苦しんでおります。どうか我々をお救いください」


 老人は膝をつき、涙ながらに訴えた。周囲の民も同様に頭を下げる。


 シドが近寄り、静かに言った。


「……ルシエント伯爵は食料を買い占め、民から搾取したようだ。倉庫は空、民は飢えている」


 彼の言葉を聞いて、俺は決断した。


「シド、食料の供出を頼む。民に分け与えろ」


 行軍用の食料の一部を解放し、各村々に配った。民の顔に僅かな希望の色が戻る。感謝の言葉があちこちから聞こえてきた。


 こうして我々は抵抗らしい抵抗を受けることなく、ルシエント城の近くまで迫った。しかし城本体は高い壁に囲まれ、簡単には落ちそうにない。


「権能の射程外に陣を構えろ」


 俺は命じた。伯爵の青白い光による権能の恐ろしさを、俺たちは知っている。


 半包囲陣を敷き、我々は王軍の到着を待った。日に一度、伯爵は城壁に姿を現しては大声で罵声を浴びせた。


「反逆者めが! 無能なゼファーに従う愚か者ども! 緑の怪物たちと組むとは、人間の恥だ!」


 特にゴブリン兵たちへの侮辱は酷かった。幾度となく兵士たちが激高し、突撃しようとするのを止めなければならなかった。


「冷静に」


 俺は諭した。


「伯爵は挑発して、我々の陣形を崩そうとしているのだ」


 包囲から三日目の夕刻、南から大軍が近づく姿が見えた。王旗が翻り、先頭には紫のマントをまとった騎士が進んでいる。国王エドワード・フェリカだ。


 俺たちは恭しく出迎え、これまでの状況を報告した。


「よくぞここまで来てくれた」


 国王は満足げに頷き、俺の肩を叩いた。


「伯爵は民を害し、我が使者を殺害した。さらに余の印璽を偽造し、隣国と偽の条約を結ぼうとしていた。許しがたい謀反だ」


 ようやく真相が明らかになった。単なる民への圧政だけでなく、国家の安全を脅かす謀略があったのだ。


 国王の軍勢はおよそ五千。あっという間にルシエント城を完全包囲した。


 翌朝、国王は白馬に跨り、城門の前に立った。輝かしい甲冑に身を包み、その姿はまさに王者そのものだった。


「ガレット・ルシエント! 余は国王エドワード・フェリカ、ここに汝の罪を断ずる。投降せよ!」


 国王の声は城壁を越え、中庭まで響き渡った。やがて城壁に姿を現したのは、青いガウンをまとったルシエント伯爵だった。彼の目には狂気の色が宿っていた。


「エドワード! 貴様に何がわかる? この国は腐りきっている! 力こそが正義だ! 権能を持つ者が統べるべきなのだ……」


 伯爵は叫ぶが、言ってることが支離滅裂になっていく。特にこのフェリカ王国は腐敗していない。少なくとも王都ヴェリシアやオーロラハイドの統治は良い。


「貴族はこの国の礎。余といえども、その特権は犯せぬ!」


 国王は冷静に応じた。


「貴族として重い責務を負うことを忘れたのか、ガレット?」


 伯爵は怒りに顔を歪め、両手を広げた。


貴族神授領域ロード・ミスティック・フィールド!」


 青白い光が伯爵の身体から放たれ、国王めがけて伸びていく。しかし王は動じなかった。


「余の力を見よ。王権神授領域レグヌス・セイント・ドメイン!」


 国王の体から黄金の光が溢れ出た。それは伯爵の青白い光を包み込み、完全に打ち消していく。


『ジュワァアア』


 異質な音と共に、伯爵の権能が消えていった。


「な……なぜだ!?」


 伯爵は狼狽し、権能を再び放とうとするが、何度やっても国王の黄金の光に飲み込まれていく。


「王の権能は貴族を超える。これが秩序というものだ」


 国王は厳かに告げた。


「降伏せよ、さすれば命は助ける」


 しかし伯爵は降伏を拒み、城内へ逃げ込んだ。すると予想外の事態が起きた。城門が内側から開かれたのだ。


「国王陛下! 我々は降伏いたします!」


 城兵たちが白旗を掲げて出てきた。


「伯爵はもはや我々の主ではありません!」


 城兵たちは武器を捨て、王軍に投降したのだ。その隙に、リリーが突然走り出した。


「リリー!」


 俺の呼びかけも聞かず、彼女は開かれた城門へと駆け込んでいった。俺も後を追う。


 城内は既に混乱状態だった。兵士たちは右往左往し、伯爵を探す声が飛び交う。リリーは誰よりも早く、伯爵の居室へと向かっていた。


 大広間を抜け、階段を駆け上がると、そこにはルシエント伯爵の姿があった。彼は窓際に立ち、何かを握りしめている。


 そして彼の隣には、もう一人の男——銀の甲冑に身を包んだ騎士がいた。


「ヴァルトス」


 リリーの声は氷のように冷たかった。


「お前は……あの時の奴隷娘か!?」


 ルシエント騎士団長ヴァルトスは、驚愕の表情を浮かべた。


「私をこの世で最も卑しい身分に落とした罪、償ってもらうわ」


 リリーは剣を抜いた。その動きは風のように静かで、しかし稲妻のように素早かった。


「待て! 我々は投降する!」


 ヴァルトスは両手を上げた。しかしリリーの剣は止まらなかった。一閃、彼の喉元を貫いたのだ。


「がはっ……!」


 ヴァルトスは倒れ、床に血溜まりを作る。


 リリーは続けてルシエント伯爵へ向き直った。


「お前も、同罪だ」


 伯爵は震える手で何かの小瓶を掲げていた。毒だろうか。しかしリリーはそれを振り払い、伯爵の胸に剣を突き立てた。


「こ、こんな……終わりか……」


 伯爵はかすれた声で呟き、崩れ落ちた。


 リリーは剣を抜き、静かに言った。


「これで終わり。私の過去に決着がついたわ」


 彼女の表情には、怒りも悲しみも無かった。ただ、長い旅を終えた者の静けさだけがあった。


 俺はそっと彼女の肩に手を置いた。


「リリー、終わったんだ。そう、終わったんだよ……」


 彼女は小さく頷き、剣についた血を払うと鞘に納めた。


***


 ルシエント城の陥落後、国王はすぐさま領内の統治体制を整えた。伯爵の不当な税を撤廃し、三年間の税免除を宣言。さらに王室の倉から食料を放出し、飢えた民に配った。


「ゼファー卿、そなたの働きは見事だった」


 国王は礼を述べた。


「ルシエント伯爵領は、王直轄地とする」


 リリーの行動については、国王は黙認した。伯爵の罪は明白であり、応分の報いを受けたということだろう。


 帰路につく前、国王は城の宝物庫から取り出した金貨を、兵士たちに分け与えた。


「これは勝利の証。誇りを持って故郷へ戻るがよい」


 王の言葉に、兵士たちからは歓声が上がった。オーロラハイドの兵もゴブリン兵も、互いの肩を叩き合って喜んでいた。


 帰途の道中、リリーはいつになく落ち着いていた。


「気分は晴れた?」


 俺が尋ねると、彼女は小さく微笑んだ。


「復讐はむなしいという人もいるわ。だけど、区切りがついたの。やっと前を向いて歩けるわ」


 彼女の目には、新たな光が宿っていた。


 オーロラハイドの門が見えると、迎えの人々が旗を振って出迎えた。中央には王女の衣装を着たシルクの姿。彼女は涙を浮かべながら、俺たちに駆け寄ってきた。


「本当に無事で良かった……」


 シルクは俺の手を取り、続いてリリーの手も握った。


「お帰りなさい、二人とも」


 俺たちは城門をくぐり、帰還を告げた。


「ただいま、オーロラハイド!」


 人々は歓声で応え、凱旋を祝うかのように、街には活気があふれていた。


 ゴブリン料理店からはヤキトリの香りが漂い、塩田では陽光が結晶を照らしている。


 平和な日常が、そこには確かに戻っていた。


「とても面白い」★五つか四つを押してね!

「普通かなぁ?」★三つを押してね!

「あまりかな?」★二つか一つを押してね!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ