ザイナの傷
【レオン教皇17歳視点】
『リベルタス歴18年、フェリカ歴146年 11月15日 昼 ファリーナちゃんとザイナ姫の誕生日』
シドさんから「プレゼントだ」と言われて差し出されたのは、檻に入れられたアークディオンのザイナ元姫だった。黒いマントの奥の瞳は、何を考えているのか全く読めない。うん、どうしてザイナ姫が僕とファリーナちゃんへの誕生日プレゼントなのかはさっぱり分からないけど、こんな冷たい広場にいつまでも置いておくわけにもいかない。
僕は、檻の前に進み出て、ザイナ元姫にできるだけ穏やかな声で話しかけた。
「ザイナさん、とりあえず、僕の家に来てください。こんなところにいては、風邪をひいてしまいます」
彼女は僕を睨みつけたまま、何も答えない。その瞳の奥には、深い絶望と、それでも消えない誇りのようなものが見えた。
僕はシドさんに頼んで檻の鍵を開けてもらい、ザイナさんの手かせと首輪を外した。鉄が擦れる冷たい音が、やけに大きく響く。彼女は、自由になった手首をさすりながら、意外そうな顔で僕を見上げた。
「さあ、家に行きましょう。温かい飲み物でも用意しますから」
僕が手を差し伸べようとすると、ザイナさんは反射的に身を引いた。
「くっ……! な、何をする気だ……! 私に……私のカラダになにをするつもりだ! このリベルタスのケダモノどもめ!」
彼女の声は震えていたが、その言葉には激しい拒絶がこもっていた。
その時、僕の隣にいたファリーナちゃんが、むっとした表情でザイナさんの前に進み出た。
「何を言うか! レオンは、そなたのような女に手を出すような男ではないぞ? レオンにはこの熱砂の姫君ファリーナという、とびきり魅力的な恋人がおるからのう! のう、レオン?」
ファリーナちゃんが、僕の首に後ろから抱きつくように手をまわし、頬をすり寄せてくる。その甘えるような仕草と、僕を見上げる挑発的な上目遣いは、確かに魅力的だけど……。
ザイナさんは、そんな僕たちの様子を、まるで信じられないものでも見るかのように見つめ、やがて「くっ!」と、さらに苦悶の表情を浮かべて俯いてしまった。彼女にとって、今のこの状況は、想像を絶する屈辱なのだろう。
村長さんの家に戻ると、ザイナさんの薄汚れた姿を見たカルメラさんとステラちゃんが、すぐに状況を察してくれた。
「レオン様、ファリーナ様。ザイナ様のお世話は、わたくしたちにお任せください。まずは、お体を綺麗にするためのお湯を準備いたしますわ」
「はいですぅ! お洋服も、わたくしの物でよろしければ、お貸しするのですぅ!」
二人はテキパキと動き出し、ザイナさんを奥の部屋へと促そうとする。しかし、ザイナさんは頑なにその場を動こうとしない。
やがてお湯がわくと、ステラちゃんとカルメラさんが、ザイナさんの体を拭き始めた。リビングの、僕の目の前で。
(そうだよなぁ……。奴隷や捕虜になった人は、人間として扱われないことが多いもんな。こんな辱めを受けて……ザイナさん、かわいそうだよなぁ……)
「あのさっ、カルメラさん、ステラちゃん。いくらなんでも、ザイナさんも恥ずかしいだろうからさ。僕の目につかない台所のほうで、体を拭いてあげてくれないかな?」
「かしこまりました、教皇猊下。配慮が足りず、申し訳ございません」
「ザイナ様、こちらへどうぞですぅ」
カルメラさんとステラちゃんが、ザイナさんを連れて台所のほうへ向かった。その背中は小さく震えているように見えた。
「そういえば、アークディオンは、リヴァンティアの統治下に入ってるよね。ザイナさんのお父上であるターリク元国王は、今は罪人として、アークディオンの街で水を作る権能を使わされているんだよね……」
僕は、暖炉の火を見つめながら、ぽつりと言った。捕らえられた王族や貴族は、その特殊な権能を利用するために、道具のように扱われることが少なくない。悲しいけれど、それが現実だ。
「そうじゃのう……。水を作り出す権能は、砂漠の国にとっては特に大事じゃからのう……。父を失い、国を失い、そして自らも囚われの身とは……ザイナも不憫なやつじゃ……」
ファリーナちゃんも、どこかしんみりとした表情で、暖炉の火を見つめていた。
その時、台所からステラちゃんの少し動揺したような声が聞こえてきた。
「あっ、あの、レオン様、ちょっとよろしいでしょうか……。ザイナ様の、その、お体が、ひどい傷だらけなのですぅ……」
「ええ……。わたくしたちでは、どうすることもできないような、見るにたえない戦傷や、打ち据えられたような痕も……」
カルメラさんの声も震えている。
僕は急いで台所へと向かった。そこには、裸のまま前を隠して床にうずくまる、ザイナさんの姿があった。彼女の美しい小麦色の肌には、痛々しい傷跡が無数に刻まれていた。それは、戦場で負った傷だ。奴隷として扱われ、虐待を受けたものもあるだろう。女の子として、これはどれほど辛いことか……。
「ごめん、ザイナさん。少しだけ、体に触らせてもらうよ」
僕は、なるべく優しい声で、彼女の肩にそっと触れた。
「ヒッ、ヒイッ!」
ザイナさんの体が、ビクッと大きく震える。恐怖に歪んだ顔で、僕を睨みつけてきた。
「大丈夫……。痛くはしないから。少しだけ、我慢してね」
僕は、彼女の瞳を真っ直ぐに見つめ返すと、癒しの権能を発動させた。僕の体から、温かい青白い光が溢れ出し、ザイナさんの全身を優しく包み込んでいく。
光が、彼女の肌にある無数の傷跡に触れると、まるで雪が溶けるように、それらはゆっくりと修復され、元の美しい小麦色の肌へと戻っていった。
ザイナさんは、最初は抵抗するように身を固くしていたが、やがて、僕の権能の温かさに包まれて、少しずつ体の力が抜けていくのが分かった。
「あ、ああ……」
全ての傷が癒えたのを確認すると、僕は黙ってリビングへと戻った。
やがて、ステラちゃんに付き添われて、新しい簡素な服に着替えたザイナさんが、リビングへとやってきた。その表情は、まだ少し硬いけれど、先ほどまでの絶望の色は薄れているように見えた。
「あっ、あの……ありがとう……。その、助けてもらった上に、こんなことを言うのは、本当に厚かましいとは思うのだけれど……実は、今日、十一月十五日は……私の、誕生日、なんです……」
ザイナさんが、消え入りそうな声で、でもはっきりとそう言った。
その言葉に、ファリーナちゃんが「ぱあっ」と顔を輝かせた。
「ほう、おぬしもか! なんという奇遇じゃな! 実は、何を隠そう、この妾も今日が誕生日なのじゃ!」
僕は、まだ暖炉のそばに置いてあった、焼けていないチーズの塊をファリーナちゃんに手渡した。
「なるほど! そういうことなら、話は早いのう! 待っておれ、ザイナ! この妾が、祝いのチーズを直々に焼いて進ぜよう!」
ファリーナちゃんは、僕からチーズを受け取ると、勇んで暖炉へと向かい、手際よくチーズを焼き始めた。その楽しそうな横顔を、ザイナさんが、どこかぼんやりとした表情で見つめていた。
「ほれ、ザイナ! 焼きたては美味いのじゃぞ! 遠慮はいらん、食べるがよい!」
ファリーナちゃんが、とろとろに溶けた熱々のチーズを木の串に刺し、元気いっぱいにザイナさんに差し出した。
「……ありがとう……」
ザイナさんは、おそるおそるそのチーズを受け取り、小さな口で一口食べた。その瞬間、彼女の大きな瞳から、一筋の涙が静かにこぼれ落ちる。
それは、安堵の涙に見えた。
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