教皇領
【レオン教皇十七歳視点】
『リベルタス歴18年、フェリカ歴146年 10月26日 昼』
今日は、珍しく緊急の患者さんもいなくて、村は穏やかな昼下がりを迎えていた。ここ数日の喧騒が嘘のようだ。
僕は、村長さんからお借りしている家の居間で、ファリーナちゃんのふかふかとした膝に頭を乗せ、いわゆる膝枕というものをしてもらっていた。なんだか、すごく贅沢な気分だ。
「ほーれ、レオン。妾の膝は心地よいか? よしよし、なでなでしてやろう」
ファリーナちゃんは、僕の髪を優しく撫でてくれる。その手がなんだか気持ちいい。
「あははっ! ファリーナちゃん、そこはダメだよ! 耳のあたりは、くすぐったいんだってばぁ~」
「まあ! レオン様もファリーナ様も、お昼間からそんなにはしたないことを……。見ていてこちらが恥ずかしゅうございますわ」
テーブルの向こうで、西方から取り寄せたという珍しいお茶を淹れてくれていたカルメラさんが、頬をほんのり赤らめながら、でもどこか楽しそうに僕たちを見て呆れていた。
カルメラさんは西方諸国の出身なので、お茶の種類や美味しい淹れ方には、とても詳しいんだ。
「レオン様! 村の方から、ブドウを頂いてまいりましたですぅ! ささ、どうぞ、あーんしてくださいですぅ!」
僕のメイドになったステラちゃんが、綺麗に皮をむいた紫色のブドウを一粒、小さなフォークに刺して僕の口元へ運んできた。うーん、至れり尽くせりだ。
僕が、言葉に甘えて「あーん」と大きな口を開けて、そのブドウを食べさせてもらおうとした、まさにその時だった。家の質素な木のドアが、控えめにノックされた。
『コンコンコンッ』
その音に、僕たちは一瞬で現実に引き戻された。ファリーナちゃんは僕の頭をそっと持ち上げ、カルメラさんはお茶の道具を整え、ステラちゃんはフォークを慌てて隠す。
僕も慌ててソファに座りなおして、できるだけ教皇らしい、シャキッとした顔を作った。つもりだ。
やがて、ステラちゃんが扉を開けると、そこに立っていたのは、意外な人物だった。以前、一緒に砂漠を旅した、シド商会のセリウスくんだ。同じ学校の仲間でもある。
僕たちは、セリウスくんを応接室へと通し、カルメラさんが淹れ直してくれた香り高いお茶を、二人で静かにすすった。
「やあ、セリウスくん。久しぶりだね。オーロラハイドからわざわざ、どうしたんだい?」
「こちらこそ、ご無沙汰しております、レオンくん。本日は、オーロラハイドのカイル先輩からの、親書をお持ちいたしました」
セリウスくんは、そう言うと懐から一通の封書を取り出し、僕に恭しく差し出した。リベルタス帝国の紋章が入った、立派な封蝋がされている。
僕は、封蝋を丁寧に破り、中の羊皮紙に目を通した。兄さんらしい、簡潔で、でもどこか温かい文章だ。
「なになに……『レオンへ。お前も色々と大変だろうから、リバーフォード村周辺の土地は、今日からお前に譲る。好きに使って、教皇としての活動拠点にするといい。ふむふむ……。それから、フェリカのガウェイン将軍の件は、シドからの報告でだいたい分かった。三ヶ月だな、了解した。……あと、何かと物入りだろうから、国境警備と開拓のために、歩兵三千をセリウスにつけて送った。こいつらも、お前の好きに使ってくれ。またな。カイル』……だってさ」
「はい。お手紙の通り、カイル陛下のご命令により、歩兵三千と、当面の活動に必要な食料や資材などの軍需物資を、オーロラハイドよりお預かりしてまいりました。部隊は、村の外で待機しております。……それから、こちらが、このリバーフォード村とその周辺地域の、レオン教皇様への正式な譲渡書類でございます」
セリウスくんは、もう一通、分厚い羊皮紙の束を差し出した。
「そっか……兄さん、色々ありがとう。セリウスくんも、遠いところを運んできてくれて、本当に悪いね」
「いえいえ、とんでもございません! 正直なところ、昨今のフェリカ王国の情勢では、我々シド商会の隊商も、王都ヴェリシアへ自由に出入りできるか怪しい状況ですからね。このリバーフォード村が、リベルタス帝国とフェリカ王国との新たな交易拠点として発展してくだされば、我々にとっても大変助かるのです。……ふふっ、これで、リバーフォード村は、小さいながらも立派な『教皇領』ですね!」
セリウスくんは、商人らしく抜け目なく、でも楽しそうに笑った。
「ははっ、セリウスくん、教皇領だなんて、ちょっと言い過ぎだよ。……ああ、そうだ、セリウスくん。これは、ここだけの内緒の話なんだけど……ヴェリシアへ向かう街道の途中に、以前はルシエント伯爵が治めていた、ルシエントの街があるだろう?」
「ええ、もちろん存じております。現在はフェリカ王国の直轄領となっているはずですが……」
「うん。そのルシエントの街の人たちがね、最近、こっそりとこのリバーフォード村まで、薬や食料を求めて買い物に来ているみたいなんだ。それから、僕の治療を受けに、遠路はるばるやって来る人も、結構いるんだよね」
「なるほど……。確かに、今のフェリカ王国の混乱ぶりでは、満足な医療も受けられないでしょうし、何より、レオンくんのように、治療費の代わりに現物でも診る人は、そういないでしょうから」
「それだけじゃないんだ。実は、グラナリア公国の人も、噂を聞きつけてここまで治療を受けに来ているんだ。まあ、あそこはもう同じ帝国内だから、何も問題はないんだけどね」
「なるほど、なるほど! レオンくん、それは素晴らしい! よく分かりました! それでしたら、ぜひとも、このリバーフォード村に、我々シド商会の倉庫と、それから遠来の商人や旅人たちが安心して泊まれる、大きな宿屋を建設させてください!」
セリウスくんは、商人魂に火がついたのか、目をキラキラさせて身を乗り出してきた。
「ふふっ、それは願ってもない申し出だよ、セリウスくん。ぜひお願いするよ。本当に助かる」
「お任せください! オーロラハイドから、腕利きのドワーフの建築技師と、若いですが信頼できる親方を、すぐさま手配して連れてまいりましょう!」
セリウスくんは、もうすっかりやる気満々だ。頼もしい限りだ。
セリウスくんが意気揚々とオーロラハイドへ帰っていくのを見送ると、僕は早速、村の外で待機してくれているという、兄さんが送ってくれた歩兵隊のもとへと向かった。
村はずれの広い野原には、見慣れた交易騎兵隊のアスターさんが、三千もの歩兵たちをきちんと整列させ、僕の到着を待っていてくれた。アスターさんも、すっかり指揮官らしくなったな。
「リベルタス帝国軍歩兵隊のみなさん! 遠路はるばる、このリバーフォード村へようこそ! 僕が、今日から皆さんを指揮させていただくことになった、オーロラ教皇のレオンです。どうぞ、よろしく。……さて、早速で申し訳ないが、皆さんにやってもらいたい、最初の仕事があります……」
僕は、兵士たち一人一人の顔を見渡しながら、できるだけはっきりとした声で言った。
僕の言葉に、ずらりと並んだ屈強な兵士たちは、ゴクリと固唾を飲み込んだ。その顔には、緊張の色が浮かんでいる。
中には、もう秋だというのに、額にじっとりと汗を浮かべている者もいた。無理もない。彼らにとっては、これが最初の任務なのだから。
「……それは、ズバリ! とりあえず、僕たちがここで飢えずに食べていくために、みんなで一緒に、このリバーフォード村の畑を耕し、種をまくことです!」
僕がニッコリと笑ってそう言うと、兵士たちの緊張が一気に抜けた。
「おお、戦わなくていいのか?」
「畑ならやったことあるぞ!」
「ここはオーロラハイドよりいい土だな!」
「しかも、ちょっと暖かい!」
あちこちから、そんな安堵の声や、楽しそうな声が聞こえてきた。良かった、みんなやる気になってくれたみたいだ。
「それから、雨露をしのぐために、みんなで協力して、自分たちが住むための家もたくさん作りましょう!」
「「「ハッ!お任せください、レオン教皇様!」」」
今度は、元気な返事が返ってきた。
「幸い、この村には羊毛もたくさんありますから、手先が器用な人や、糸を紡いだり服を縫ったりできる人は、ぜひみんなのために暖かい服や毛布を作ってください!」
「「「承知いたしました!」」」
「そして! 今夜は、僕たちのリバーフォード村への着任と、これからの発展を祝して、先日メルヴのハッサン総督から頂いた、たくさんの珍しい香辛料を使って、みんなで砂漠やメルヴ風の美味しい料理を作り、お腹いっぱい食べましょう!」
「「「おおおおお~っ!教皇様、万歳!」」」
兵士たちの間から、今日一番の歓声が上がった。やっぱり、食べ物の力は偉大だな。
こうして、その日の夕方からは、リベルタス帝国から来た屈強な兵士たちと、リバーフォード村の素朴な村人たち、そして僕たちも一緒になって、まるで収穫祭のような、賑やかで楽しい宴が始まった。
見れば、いつの間にか、ちゃっかりと近隣のルシエント領や、グラナリア公国から治療や物々交換に来ていた人たちまで、楽しそうに宴の輪に混ざっている。まあ、いいか。こういうのは、人が多い方が楽しいもんだ。
宴もたけなわになった頃、いつの間にか僕の隣に来ていたシドさんが、そっと耳打ちしてきた。
「……おい、レオン。こそこそと何かを嗅ぎまわっている、間諜が一匹紛れ込んでいるぞ」
「ええ、分かっていますよ、シドさん。さっきから、ずっと僕たちの様子を窺っていましたからね」
僕とシドさんが、示し合わせたようにその男の方へ視線を向けると、間諜らしき男は、バツが悪そうに僕たちから視線を逸らす。慌てて近くに繋いであった馬に飛び乗ると、一目散に南のルシエント領の方角へと走り去っていった。
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