夕闇のチャリオット
【ガウェイン将軍55歳視点】
『リベルタス歴18年、フェリカ歴146年 10月10日 昼過ぎ』
俺ことガウェインは、このフェリカ王国の将軍を長年務めている。酸いも甘いも噛み分けてきたつもりだが、近頃はどうにも胃の痛むことばかりだ。
エドワード陛下が崩御されてから、あの若いメイドのステラをリベルタス帝国へ密使として送り出して、はや数日。いつ頃ヴェリシアに戻って来るのかと、気が気ではなかった。陛下の遺言……それがフェリカの未来を左右するやもしれねぇ。
そんな折、俺の執務室に若い兵士が血相を変えて飛び込んできた。
「将軍! た、大変でございます!」
「騒々しいぞ。何があった?」
「はっ、はい! ヘンリー陛下が、先ほど、ステラなるメイドを……その、ヴェリシアから追放されたと……! お、同じく、共にいたレオンと名乗るリベルタス国の青年も、入国を拒否し追放したとのことでございます!」
「んあ? おめえ、いま何つった? レオン教皇を、だと……?」
俺は思わず、握りしめたペンをへし折ってしまう。
報告を聞き終えた俺は、思わず頭を抱えた。冗談じゃねえぞ、ヘンリーの奴め。
ステラは、エドワード陛下の遺言をリベルタスへ届けるという大役を、見事に果たしたはずだ。
しかも、リベルタス皇帝の弟君であり、オーロラ教の教皇でもあるレオン様を、わざわざヴェリシアまでお連れ申したという。これ以上ない最高の成果じゃねえか。
だが、それを門前払いで追い返すとは……あの馬鹿王子、一体何を考えてやがる!
「いけねぇ! いけねぇぞ! このままじゃリベルタス帝国全土が敵に回る! オーロラハイドの本国軍だけじゃねぇ! 先の戦で併合したグラナリアからも、西方の交易都市メルヴからも兵が出てきたら、このヴェリシアなんざ落ちちまうぞ!」
リベルタス皇帝カイルの実弟にして、民衆の信望も厚いレオン教皇を、無碍に追い払っただとぉ?
冗談じゃねぇぞ、ヘンリー! お前の道楽に国を巻き込むんじゃねえ!
俺は怒りに任せて椅子を蹴り倒すと、ヘンリーの私室へと駆け込んだ。
いくら新国王の私室とはいえ、このガウェインを腕力で止められる兵なぞ、この城にはいねぇ!
ヘンリーの部屋の扉を蹴破らんばかりの勢いで開けると、むせ返るような甘い香油の匂いと、酒の匂いが鼻をついた。部屋の中は薄暗く、上等な天蓋付きの寝台の上では、服の乱れた若いメイドが、甲高い声で喘いでいやがる。絹のシーツはくしゃくしゃになり、床には脱ぎ捨てられた豪奢な服や空の酒瓶が無造作に転がっていた。
「ああっ……ヘ、ヘンリー様ぁ……もっと、ふつうに……あぁんっ……」
メイドの苦しげな、それでいて媚を含んだ声が聞こえてくる。
「ははっ、いいのか? 本当にいいのかぁ? なら、こんなのはどうだ? もっと啼いてみろ、ステラとは違う声でな!」
ヘンリーの奴め、昼日中からこの様か! しかも、あの健気なステラの名を出しやがって……! 俺はこめかみに青筋が浮かぶのを感じた。
「おい、ヘンリー! いつまでそんなことしてやがる! ステラとレオン様を追い出したそうじゃねえか! その意味が分かっているのか!」
「なんだ、ガウェインか。やかましいぞ。今、いいところなんだ。邪魔をするな」
ヘンリーは寝台から顔だけこちらに向けると、心底迷惑そうな顔をしやがった。
「この、馬鹿者がぁ! 今からでも遅くねぇ! すぐに早馬を出させて、レオン様とステラを追いかけさせろ! 丁重にお詫びして、城へお連れするんだ!」
「ああ、そういえば、リベルタスの交易騎兵隊とかいう奴らが百騎ほど、レオンとかいう小僧と一緒に来ていたらしいな。ふん、生意気な。だから全員まとめて追い返してやったわ! ザマァねぇぜ! あっはっは!」
ヘンリーは、反省の色もなく、腹を抱えて笑いやがった。
「なっ……! ま、まさか、あの『交易路の守護者』の、交易騎兵隊をか!? まずい、まずいぞ、ヘンリー! あの部隊は、大商会長シドの私兵だ! そんな大物まで敵に回しちまったというのか!? クソッ! こうなったら、俺が行くしかねぇ! ……おい、ヘンリー! 俺はしばらく留守にする! いいか、これ以上余計なことはするんじゃねぇぞ!」
ヘンリーは、俺の言葉などまるで意に介さぬ様子で、ひらひらと手を振ると、再び傍らのメイドに卑猥な手を伸ばし始めた。クソッ、この馬鹿はもうどうしようもねぇ。
俺は忌々しげに舌打ちを一つすると、ヘンリーの私室を飛び出し、ヴェリシアの北門へと急いだ。門番の兵士たちに、俺は大声で命令した。
「おい! 俺のチャリオットを今すぐ持ってこい! 急げ!」
「はっ、ただちに!」
若い兵士が慌てて駆けだした。
このフェリカ広しといえど、このガウェインの二百キロ近い巨体を乗せて平然と走れる馬などいやしねぇ。
戦場でも、日常でも、俺が乗るのは決まって、頑丈な二頭立てのチャリオット。戦場用に鍛えられた馬車だ。俺の重みを支えられるのは、これしかねぇ。
ほどなくして用意された愛用のチャリオットに飛び乗ると、俺は手綱を強く握りしめた。
「いくぞっ! ハイヤァッ!」
鞭をくれてやると、二頭の愛馬は嘶きとともに駆けだした。もう日は西に傾き、夜が近い。
夜道は危険も多いが、そこらの野盗ごとき、何十人で束になってかかってこようとも、このガウェインの敵ではねぇ。
俺はひたすら北へ、オーロラハイドへと続く街道へと、チャリオットを全速で走らせ続けた。レオン教皇とステラに追いつかねば……そして、このフェリカの危機を、なんとしても食い止めねばならんのだ!
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