シド再び
【レオン教皇17歳視点】
『リベルタス歴18年、フェリカ歴146年 9月28日 夕刻』
僕たちの目の前に現れたのは、黒い外套をまとった商人シド先生だった。相変わらずの無表情で、その低い声で僕に語りかけてくる。
「……リバーフォードの酒場と宿を借りよう。レオンたちも来い。アスター、そこに山積みになっている食い物は、追って指示をするから商会の倉庫へ運んでおけ……」
「はいっ、ただいま!」
シド先生の命令一下、街道警備隊のアスターさんたちが、村人たちからお礼にもらった野菜や干し肉などを、テキパキと荷車へ積み込み始めた。その動きには無駄がなく、統率が取れている。
「……レオン、治療の代金だが、支払いは金貨がいいか? それとも銀貨がいいか?」
「あっ、それじゃあ、銀貨でお願いします」
僕がそう答えると、シドさんは懐からずっしりと重そうな銀貨の小袋を取り出し、無造作に僕に手渡してくれた。中を覗くと、かなりの枚数の銀貨が入っているようだ。
「……村長はいるか?」
シド先生がアスターさんに尋ねる。
「はい、ただいま呼んでまいります」
アスターさんが村の方へ馬を走らせると、すぐにまだ二十代半ばといった感じの、人の良さそうな顔立ちの青年を連れて戻ってきた。
「リバーフォード村村長のガウルと申します。どうぞ、よろしくお願いいたします。昼間は、ウチのパウラおばあちゃんがお世話になりまして、ありがとうございました」
ガウル村長は、深々と頭を下げた。
「あっ、どうも。パウラさんって、ガウルさんのおばあさんだったんですね。いえいえ、こちらこそダイコンとシャケ、本当にありがとう!」
僕が笑顔で返すと、隣でファリーナちゃんがお腹を押さえている。
「メシじゃ、メシじゃ! もうお腹がペコペコなのじゃ~!」
「わたくしもですわ。早く何か温かいものをいただきたいですわね」
カルメラさんも、こくりと頷いている。
「……フッ、腹が減っては戦はできぬ、か。それでは酒場へ行こう」
シド先生に案内され、僕たちは村で一番大きな酒場へと向かった。夕暮れ時の酒場は、既に大勢の村の男衆で賑わっており、木の扉を開けると、むっとするような熱気と酒の匂いが鼻をついた。
僕たちが中へ入ると、酔客たちが一斉にこちらを向いた。
「おっ、昼間の聖者様じゃねぇか? アンタも一杯飲んでいくのかい?」
赤ら顔の男が、大きなジョッキを掲げながら声をかけてくる。
「……ああ。今日は、この聖者様からのおごりだ。マスター、支払いはこれで頼む」
シドさんが、カウンターにドワーフ金貨をこともなげに二枚置いた。その輝きに、酒場中の視線が釘付けになる。
「うおおおっ、マジかよ! 聖者様のおごりだぁ~っ!」
「聖者様、太っ腹だ! 気がきくぅ~!」
「マスター! こっちに麦酒をもう一杯たのむ!」
「こっちは、鮭とば追加だ!」
酒場は一瞬にしてお祭り騒ぎになった。僕たちは奥のテーブル席に案内される。僕は野菜炒めと焼きたてのパンを、ファリーナちゃんとカルメラさんも、僕と同じものを頼んだ。
熱々の野菜炒めを頬張りながら、僕はシド先生にずっと聞きたかったことを尋ねてみた。
「それで、シドさんは、どうしてこんな場所にいるんです? サラーブ川の戦いの後、引退するって言ってましたよね?」
シドさんは、運ばれてきた麦酒のジョッキを傾けながら、フッと息を吐いた。
「……フッ、まあな。俺はお邪魔なのさ。一度権力の座から引退した人間ほど、今の為政者にとって邪魔な存在はあるまい。だから、お前がオーロラハイドを追放されたと聞いて、後を追いかけてきた。それに……何も無いところから街をイチから作っていくというのは、なかなかどうして面白いものだぞ」
シドさんは、珍しく穏やかな表情で、遠い目をして語る。
「そっか、僕のお父さんたちも、最初は小さな塩の村から、オーロラハイドの街を作ったんだっけ……ねえ、シドさん。僕、ここにリバーフォードの街に住もうと思うんだけど、いいかな?」
「……そうだな、このリバーフォード村を新たな街にするというのは面白い。良いだろう、俺がカネを出してやろう。それに、お前には軍事力もある」
「軍事力って……街道騎兵隊のことですか?」
「……そうだ、街道騎兵隊だ。彼らはリベルタス帝国に属する勢力ではあるが、実質的には俺の手の中にある独立組織だ。街道の警備保証はこれまで通り続けるとして、この際だ、オマエにつけるとしよう」
シドさんの言葉に、僕は思わず目を見開いた。交易軽騎兵隊は、少数精鋭で知られる強力な部隊だ。
「あっ、それでしたら、街道騎兵隊を中核にして、新しく神殿騎士団とか作ると面白いかもしれませんね! 教皇直属の騎士団です!」
「……フッ、信仰のために戦う騎士、か。それも面白いかもしれないな。分かった。その騎士団の設立費用も、俺が寄進してやろう」
僕とシドさんがそんな話で盛り上がっていると、隣からファリーナちゃんの楽しそうな声が聞こえてきた。
「それじゃ、妾は聖女じゃな! レオン教皇を助ける聖女ファリーナじゃ!」
彼女は胸を張って、得意げに宣言する。
「まあ、ファリーナ様。ですが、夜は淫らな聖女様とかでは、民衆が呆れてしまいますわよ?」
カルメラさんが、くすくすと笑いながらファリーナちゃんをからかう。
「なっ、カルメラ~! おぬしもじゃろう~! 『レオン様がいなければ、もう生きていけません』とか言っておったのは、どの宿のどの夜じゃったかのう~?」
ファリーナちゃんも負けじと反撃する。僕たち四人は、思わず顔を見合わせて、はっはっはと笑い声をあげた。
その晩は、僕のおごりということもあって、リバーフォード村の酒場は遅くまで陽気な灯りがともり、村人たちの楽しそうな声が響いていた。新しい街づくりの始まりを祝うかのように。
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