奇跡の村リバーフォード
【レオン教皇17歳視点】
『リベルタス歴18年、フェリカ歴146年 9月28日 昼前』
オーロラハイドの南門をくぐり、僕たちは一路南へと向かった。追放と言っても、そこにはカイルお兄ちゃんなりの配慮があるのだろう。護衛もつけず、わずかな旅費だけを持たされた僕たちだが、不思議と不安はなかった。ファリーナちゃんとカルメラさんが一緒だという心強さもある。
数日間の旅路を経て、僕たちはオーロラハイドの南に位置するリバーフォード村にたどり着いた。
ここは、峻険な山々から清らかな雪解け水が流れ込む川のほとりに拓かれた村だ。その地理的な利点から、オーロラハイドと西方の交易都市メルヴ、そして南方の旧ルシエント領を結ぶ街道の交差点にもなっていて、多くの旅人が行き交う。村の周りには、川の水を利用した畑がどこまでも広がり、豊かな実りを約束しているようだった。
人口は千人ほどだろうか。立派な防壁こそないものの、村の入口にはリバーフォード村の騎兵隊詰所が設けられていた。彼らは街道の警備を生業としており、そのおかげで野盗の類も寄り付かず、このあたりではかなり安全な場所として知られている。
村の入口で一息つきながら、僕たちはこれからのことを話し合った。
「のう、レオン。あの村で乞食をするのはどうじゃ? 背に腹は代えられぬからのう」
「そうだね、悪くないかもしれないね。オーロラハイドからもだいぶ離れたし、そろそろ僕の新しい権能を試してみるのもいいかもしれない」
アウローラさんから授かった癒しの力。まだ使ったことはないけれど、人々の役に立てるかもしれない。
「でしたら、わたくしがどこか場所を借りられないか、村の方に聞いてまいりますね」
カルメラさんが、かいがいしく申し出てくれた。彼女の表情には、以前のような怯えはなく、むしろ新しい生活への期待感が浮かんでいるように見えた。
僕たちが村の入口でそんなことを話していると、一人の若い騎兵隊員が、馬に乗ったままこちらへ近づいてきた。
青年は軽装の皮鎧に身を包み、腰には一振りの剣だけを差している。その身軽な出で立ちは、街道を駆ける軽騎兵といった感じだ。彼が身につけている紋章は、塩の結晶をモチーフにしたもので、一見すると変わっているが、オーロラハイドでは格式の高い「交易騎兵隊」の証だった。オーロラハイドでも人気の就職先で、競争率も高い。彼らは独立採算の組織で、その団長や出資元は謎に包まれており、カイルお兄ちゃんに忠誠を誓っているとされている。
(でも僕は知っているんだ。交易軽騎兵隊は、商人シド先生の私兵集団だってこと。最近ではメルヴ総督の狐のハッサンさんも出資しているらしい。皇帝の決済書類にバンバン書かれているから、僕も知っている)
「リバーフォード村へようこそ。ここでは税金などは取られませんよっ……て、あれ、もしやレオン様ではございませんか?」
馬上の青年は、僕の顔を見るなり驚いたように声を上げた。このリバーフォード村は、僕も何度か視察で訪れたことがある。交易軽騎兵隊の隊員に顔を覚えられていても不思議ではなかった。彼の名は確か、アスターといったはずだ。真面目で、剣の腕も立つ青年だと記憶している。
「やあ、アスターさん、お久しぶりです。実は、この村で信仰と商売、そして修行のために、ちょっとした治療院のようなものを開きたいのだけど、いいかな?」
僕がそう言うと、アスターさんは馬から飛び降り、恭しく一礼した。
「はい、もちろんでございます! 村の広場でしたら、自由にお使いいただけます。あと、村の集会場も使えるように、すぐに手配いたしましょう。何かご入用でしたら、何なりとお申し付けください」
彼の迅速な対応に感謝しつつ、僕たちは早速、村の広場に場所を借りて、青空治療院を開くことにした。ござを敷いただけの簡素なものだけど、ここが僕の教皇としての第一歩となる。
カルメラさんが、持ち前の明るさで客引きを買って出てくれた。彼女の声はよく通り、村人たちの興味を引いている。
「さあさあ、皆さん、寄ってらっしゃい見てらっしゃい! レオン様の不思議な治療院ですよ~! どんなケガや病も、たちどころに治してくださいます~! この私も、レオン様の力で心の病を治していただいたんですよ~」
最初は遠巻きに見ていた村人たちも、カルメラさんの言葉で少しずつ集まってきた。
やがて、杖をついた一人のおばあさんが、おそるおそる僕の前に進み出た。
「のう、若いの。わしはもう長いこと、この足腰の痛みに悩まされておるんじゃが……こんな年寄りでも、治してもらえるもんかのう?」
「はいっ、もちろんです! どうぞ、こちらへ。見せてください」
僕は優しく声をかけ、おばあさんをござの上に座らせた。そして、アウローラさんから授かったばかりの癒しの権能を発動させる。僕の手のひらから、淡い青白い光が溢れ出し、おばあさんの足腰へと降り注いでいく。
「おお……おおおっ……なんじゃこれは……痛みが……痛みがひいていくようじゃ……アンタ、ちょっとここで待っておれ」
おばあさんは驚いたように目を見開き、痛みが和らいだ足でゆっくりと立ち上がると、何かを取りに家の方へと戻っていった。
しばらくすると、おばあさんは息を切らしながら戻ってきた。その手には、大きなダイコンと、立派なシャケの干物が抱えられている。
「ほれ、代金の代わりじゃ! こんなものしかないが、とっといておくれ!」
彼女は満面の笑みで、ダイコンとシャケを僕の前に差し出した。
その様子を見ていた他の村人たちから、どよめきが起こる。
「へー、パウラばあさんの足腰の痛みを治すとは、ホントに効くみたいだな」
「ああ、腰痛は、畑の敵だからな」
「おれも最近、肩が痛くてかなわん。診てもらおうかな」
「よし、みんな並べ、並べ」
カルメラさんがテキパキと村人たちを整列させる。
「はーい、皆さん、順番に並んでくださいね~。慌てなくても大丈夫ですよ~」
次から次へと患者さんがやってくる。打ち身、捻挫、風邪、腹痛……。僕は一人一人丁寧に診察し、癒しの光を注いでいった。権能を使うたびに、体の中から何かが失われていくような感覚があったけれど、患者さんたちの感謝の言葉と笑顔が、僕に力を与えてくれた。
「うわ~ん、こんなにお客さんが来たら、権能の力が切れちゃうよ~」
さすがに少し疲れてきた僕が弱音を吐くと、隣で様子を見ていたファリーナちゃんが、悪戯っぽく微笑んだ。
「どれ、妾がレオンに力を分けてやろうぞ」
そう言うと、ファリーナちゃんは突然、僕の唇に自分の唇を重ねてきた。周囲の村人たちの驚きの声も気にせず、彼女は僕の舌に自分の舌をからめるような、濃厚な口づけを……
「ん……んんっ……」
驚きと恥ずかしさで体が固まってしまったけれど、不思議とファリーナちゃんの温もりと共に、力が湧き上がってくるのを感じた。
「ほれ、権能の力を分けてやったぞ。これで、もう少し頑張れるじゃろう?」
ファリーナちゃんは、満足げに唇を舐めながら言った。
「あっ、あ、ありがとうファリーナちゃん……でも、あんまり人前では、その、恥ずかしいなぁ……」
顔を真っ赤にして言う僕に、周囲の村人たちから温かい笑い声が響いた。
治療は夕方まで続いた。結局、治療代としてお金は銅貨一枚ももらえなかったけれど、僕たちの横には、ダイコンやカブ、イモといった野菜・根菜、干しシャケや干し肉、そしてカゴに入れられた元気なニワトリまで、食べ物の山ができていた。村の人たちの真心が、そこには詰まっていた。
「レオン、おぬし、見事じゃのう。こんな裕福な乞食はおらぬぞ?」
ファリーナちゃんが、心から感心したように言った。
「これなら、ちょっとした宴会ができそうですね、レオン様」
カルメラさんも嬉しそうだ。
「うわーん、これ、僕たち三人だけじゃ、とても食べきれないよ~」
僕が嬉しい悲鳴を上げていると、秋風が穏やかに吹き抜ける中、一人の男が広場に近づいてくるのが見えた。
その姿に、なぜか街道騎兵隊の人たちがサッと立ち上がり、一列に並んで最敬礼をしている。
「……フッ、ならば食いきれないモノは、俺が適正価格で買い取ろう……」
聞き覚えのある、低く落ち着いた声。そこに立っていたのは……
「シッ、シドさん!?」
商人シド先生だった。彼はいつものように黒い外套をまとい、表情一つ変えずに僕を見つめている。僕とシドさんは、しばらくの間、言葉もなく見つめ合っていた。
シド四十八歳。サラーブ川の戦いのあと、引退すると宣言した超大物が、なぜここに?
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