エドワードの最後
【エドワード・フェリカ王視点】
『リベルタス歴18年、フェリカ歴146年 9月21日 夜』
静まり返った王の寝室に、途切れることのない咳の音が重く響いている。
上等な天蓋付きの寝台の上に、私ことエドワード・アウグストゥス・フェリカは横たわっていた。
このフェリカ王国の王として長年君臨してきたが、今や病の影にその威厳も薄れつつあった。
「ゴホッ……ゲホッ、ゲホッ……」
一度咳き込むと、なかなか止まらない。胸の奥からこみ上げてくる苦しさに顔を歪めながら、私は薄暗い天井をぼんやりと見つめていた。かつては戦場を駆け、数多の敵を薙ぎ払ったこの肉体も、寄る年波と病には勝てぬらしい。
侍医からは安静にするよう厳命され、この寝室に半ば隔離されるような日々が続いていた。病がうつるといけないからと、親しい者たちの見舞いもほとんど断っている。寂しいものよな。
(ヘンリーでは、フェリカをまとめきれぬ……)
咳の合間に、思わず独り言が漏れる。我が息子、ヘンリー王子のことだ。あやつは王の権能こそ持っているが、いかんせん器が小さい。酒と女に溺れ、王としての責務を理解しようともしない。あれでは、私が築き上げてきたこのフェリカ王国も、いずれ砂上の楼閣のように崩れ去ってしまうのではないか……
エレオノール……我が最愛の妻よ。そなたが生きていてくれたなら、この苦悩を分かち合えたものを。だが、そなたはもういない。
ふと、枕元に置かれた羊皮紙とペンに目が留まった。震える手でそれらを取り上げると、私は二通の遺書を書き始めることにした。万が一のことがあってはならぬ。
一通は、リベルタス帝国の若き皇帝、我が孫でもあるカイルへ。
『カイルへ
この手紙を読む頃、私はもうこの世にいないかもしれぬ。我が息子ヘンリーでは、おそらくこのフェリカ王国をまとめきれぬだろう。もし、フェリカが乱れ、民が苦しむような事態となれば、その時は、お前の手でフェリカ王国を併呑してくれて構わない。ただ、一つだけ頼みがある。ヘンリーの命だけは……どうか、助けてやってはくれまいか。
祖父エドワードより』
我ながら弱気な遺書だ。病は人の心をここまで弱くするものか。いつから私は、こんなにも臆病な王になってしまったのだろう。かつては剣王と恐れられたこの私が……
もう一通は、我が息子ヘンリーにあてたものだ。あやつに、この国を託すことへの不安は拭えぬ。だが、それでも伝えねばならぬことがある。
『ヘンリーへ
王位をそなたに譲る。お前はリベルタス皇家が嫌いだろうが、彼らを頼るのだ。カイル皇帝は、お前の甥にあたる。必ずや、そなたの助けとなってくれるはずだ。フェリカの民を頼んだぞ』
そこまで書いたところで、激しい咳が再び私を襲った。息が苦しく、視界が霞む。羊皮紙の上に、ポツリと赤い染みが広がった。
「陛下! しっかり!」
か細い声が聞こえた。寝室の隅で控えていた、奴隷の若いメイドが慌てて駆け寄ってくる。名は、ソフィアと言ったか。最近新しく入った娘で、まだ幼さが残る顔立ちをしている。金色の髪を質素な紐で束ね、大きな青い瞳には不安の色が浮かんでいた。
彼女は慣れない手つきで、私の背中をさすり、寝台に横たわらせてくれた。
「エレオノール……エレオノール……」
朦朧とする意識の中で、私は亡き妻の名を呼び続けていた。
……これは夢なのだろうか。それとも、本当に天国という場所があるのだろうか。
ふと、温かい何かに包まれるような感覚があった。エレオノールの優しい腕に抱かれているような……不思議と、体の苦しみが和らぎ、穏やかな眠気が私を誘う。
「ああ、エレオノール……迎えに来てくれたのか……」
ソフィアが、私の名を叫び続けている声が、遠くに聞こえたような気がした。だが、もう、私の意識は…………
エドワード・アウグストゥス・フェリカ王、享年六十一。
フェリカ王国は、一つの時代が終わりを告げようとしていた。
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